運営委員長の岡野です。
今日は4日の朝日の社説について書こうと思いましたが、このブログはまだ大きな画像を掲載できるようにしていなかったので、社説の画像コピーも含め個人ブログに掲載し、リンクすることにしました。
昨日の朝日新聞朝刊の社説は、「岐路に立つ電力文明 持続可能な暮らし求めて」でした。
正直なところ、「え? 前からそうだったっけ?」という感じですが、「空気」が変わったということなのかもしれません。
メディア全体の「空気」も変わってきているようです。
今週末に出来る『サングラハ』第116号の連載「十七条憲法と緑の福祉国家」の最終回に、次のように書きました。
日本は、明治維新の時を見ても、敗戦の時を見ても、方向転換・変わり身は早い国民です。もう変わるとなったらパッと昨日までの軍国主義を語っていた先生が今日から民主主義の授業をするという、そういう恐ろしく変わり身の早い国です。
「変わり身が早い」というと聞こえがよくありませんが、それはプラスマイナス両方の面があるので、マイナス面ばかり見ないほうがいいと思います。日本人はある意味で驚くほど方向転換能力・自己変革能力があるということもできます。ですから、変わる時には変われると思います。
スウェーデンは、条件を整えて長い時間をかけてこういうところ(エコロジカルに持続可能な国家・緑の福祉国家)に到達できたんですが、日本は、山本七平さんのいう「空気」で方向性が決まってしまえば、そこにみんながわっと乗っかってくるという形で、あっと言う間に短期間で変わる可能性はあると思います。多くの方が、スウェーデンの話をすると「スウェーデンはすばらしい。でもそれは日本には条件がないから無理だ」とおっしゃるんですが、日本には「空気で動く」という別の条件がありますので、可能性はある、と私は思っているわけです。
(ちなみに、第116号には小澤徳太郎氏の「スウェーデンの新たな挑戦――緑の福祉国家」の連載もあり、ちょうどスウェーデンのエネルギー政策が論じられています。)
「空気で動く日本人」がいい方向に動くことを祈るばかりです。
真実がテレビで報道されないからこそ原発について様々な意見もあるかと思います。
これまで東電や原発が果たしてくれた役割を批判する気は毛頭ありません。
しかし今にして思えば、ヒロシマとナガサキの件のある日本で「放射能」とう言葉が付きまとう原発が許されていたこと自体おかしいのかもしれません。
たとえ本当に原発が安全で最もいい方法のひとつであるとしても、です。
原発とは全く関係のないことでですが、個人的にドイツの文化に見習いたいと感じていることがいくつかあります。
日本もドイツのようになろう!と意気込んでいたところ、「日本はドイツを理解することはできるがドイツになることはできない」とドイツ在住の日本人の先生から言われてしまいました。
真似しても真似してもドイツのようになれないならどうしたらいいのだろうとまだ答えを模索中です。
「空気で動く日本人」というキーワードがその答えのヒントになるのかもしれません。
確かに、困難かと思われていた政権交代もあっという間でしたし・・・
流されずに周囲の空気を読み取りたいものです。
先生のおっしゃるように、日本人は空気で動くという性質があります。この性質を利用して、この機に持続可能な国づくりの方向へ転換したいというお気持ちもよくわかります。しかし、この空気というのは、フォアキャスト的にしか醸成されないものですし、一度空気が醸成されるとコントロールが効かず、終端に達するまで誰にも止められないという性質がありますので、あまり頼りにしない方が良いと思います。
むしろ先生たちの活動にとっては、空気による支配はマイナスのものであるように思えます。先生たちを理想を掲げて、理念先行で事を為そうとしていらっしゃる、つまりバックキャスト的な手法で社会を設計すべきと考えていらっしゃるようにお見受けします。しかし、空気支配による社会運営というのは、その真逆の手法です。空気支配は、バックキャスト的手法を拒みます。
空気を醸成する空気のための空気・・・
空気の一歩目に、この会がなれたら良いし、なる必要があると感じます。
私たち団塊の世代は、戦後教育の中で「原子力の平和利用」という言葉を聞かされてきました。原爆はダメだが原発ならいいという意味ですね。
しかし、どちらも結局後の世代に放射能で汚染された世界を遺すことになるということは、福島原発から多量の放射のが漏れている今、事実によって証明されたと考えてまちがいないと思います。
「ドイツのようになろう」というのが具体的にはどういう意味かわかりませんが、私は、日本人はドイツ人にはなれないし、なる必要はない、ただドイツ人から学ぶべきことは学ぶ必要がある、と考えますが、どうでしょうか。
>東の回廊さん
なんとしても、持続不可能をもたらすような負の遺産ではなく、持続可能な世界を遺してやりたいものです。
それが、私たちやがてまちがいなく「ご先祖さま」になる世代の責任ですね。
もちろん、私たちはフォアキャスト的な政治手法の危険を指摘してきましたし、理念とビジョンからのバックキャストを目指しています。
しかし、そのためにはそれを実行する政治的意思と政治的勢力が必要です。
そのためには、これまで多くの日本の市民を覆っていた「それぞれがいいと思う、それぞれができることを、それぞれの場でやる」という「空気」が、「今こそ結集しなければならない」という「空気」に変わることを願っているのです。
そして、明確な理念とビジョンを核として、国民とまさにその代表としての国民的リーダーが結集できたならば、持続可能な国に向けてもう一度政権交代が可能になるでしょう。
東の回廊さんも、私たちの理念とビジョンが結集の核になりうるものかどうか、しっかりと読み込んで、またコメントをください。
>HIROさん
「今こそ結集しなければならない」という空気が醸しだされ、私たちの会の「理念とビジョン」がそのための核になるといいですね。
We have a dream !
森中さんから情報で、スウェーデンに在住されている高見幸子さんの4月1日付ブログ「今こそ未来のエネルギービジョンを描こう」を拝見し大いに共感いたしました。
http://www.nikkeibp.co.jp/ecomom/column/sw/sw_039.html
高見さんの記事の結論部分は、持続可能な国づくりの会のビジョンと一致しています。そして
表現がわかりやすく、しかもビジョン具体化の柱の一つとなるべきエネルギー政策大綱の指針として吸収すべき内容となっていると思いますので、高見さんの許可を得ておりませんが、私の独断で下記に転記いたします。
・思考の転換
> 今必要なのは思考の転換です。将来どのようなエネルギーシステムであるべきかを考えましょう。
> 30~50年後には、日本は原発にも化石燃料にも依存していない、100%再生可能なエネルギーシステムになるというあるべき姿を描きます。そにためには、今、日本にどのような資源があるのかを検証し、どのようなステップで、どの技術に投資をして行くべきかを決め、その技術が発展するための誘導政策を進めていけばいいのです。
> 今すぐに、日本の全ての原発を廃止できないのは当然です。しかし、ここでビジョンがないと、今回の福島原発事故の後、世界が原発を見直し、急速に再生可能なエネルギーへの開発にシフトして邁進していこうとしている中で取り残されてしまいま> す。それは、経済的にも日本にとって不利になります。
>♪奇跡をもう一度
> 私は、日本の第二次世界大戦後の復興と経済発展を「奇跡」と世界が驚いたように、奇跡をもう一度起こしてほしいと願います。
> 今度の奇跡は、原発に頼らず持続可能なエネルギーシステムを世界で一番早く構築し、持続可能に東日本が復興、発展するという奇跡です。
>その第一歩は、全国のみなさんがこの暗いニュースの中で、明るい持続可能な将来のビジョンを描かれることから始まります。