失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫) | |
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運営委員長の岡野です。
専門家が「事故の起こる確率は、ヤンキースタジアムに隕石が落ちる確率のようなもので、ほとんどゼロに近い。絶対安全だ」と言い募ってきて、結局、原発事故は起こりましたが、それでも政府-電力会社-多数の企業人-大多数の専門家-かなりの数の市民が、止めようとしないどころか再稼動に踏み切ってしまいました。
それはなぜだろう、それはリーダーの多くが日本のこれからあるべき姿について合理的で中長期的な展望――グランド・デザイン、理念とビジョン――を持っていない・持てないため、短期・一時の失敗があっても隠したり誤魔化したりせず明らかにしてその失敗から学んで方向転換をするという姿勢が取れないという体質を持っているためだ、と考えている中で、名著という定評があるので買っておいたままだった『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』(1989年、ダイヤモンド社、1991年、中公文庫版)を取り出して読んでみて、なるほどやはりそうか、とうなづきました。
本書では、ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄の六つのケースを取り上げていますが、詳細は本文を見ていただくことにして、いくつかポイントだと思った文章を紹介して共有したいと思います。
「そもそも軍隊とは、近代的組織、すなわち合理的・階層的官僚制組織の最も代表的なものである。戦前の日本においても、その軍事組織は、合理性と効率性を追求した官僚制組織の典型とみられた。しかし、この典型的官僚制組織であるはずの日本軍は、大東亜戦争というその組織的使命を果たすべき状況において、しばしば合理性と効率性とに相反することを示した。つまり、日本軍には本来の合理的組織と馴染まない特性があり、それが組織的欠陥となって、大東亜戦争での失敗を導いたと見ることができる。日本軍が戦前日本において最も積極的に官僚制組織の原理(合理性と効率性)を導入した組織であり、しかも合理的組織とは矛盾する特性、組織的欠陥を発現させたとすれば、同じような特性や欠陥は他の日本の組織一般にも、程度の差こそあれ、共有されていたと考えられよう。……日本軍の組織的特性は、その欠陥も含めて、戦後の日本の組織一般のなかにおおむね無批判のまま継承された、ということができるかもしれない。
なるほど日本軍の組織原理や特性は、すべてがいかなる場合にも誤りではなかったであろう。日本軍の組織的欠陥の多くは、大東亜戦争突入まであまり致命的な失敗を導かなかった……平時において、不確実性が相対的に低く安定した状況のもとでは、日本軍の組織がほぼ有効に機能していた、とみなされよい。しかし、問題は危機においてどうだったか、ということである。危機、すなわち不確実性が高く不安定かつ流動的な状況--それは軍隊が本来の任務を果たすべき状況だった--で日本軍は、大東亜戦争のいくつかの作戦失敗にみられるように、有効に機能しえずさまざまな組織的欠陥を露呈した。
戦後、日本の組織一般の置かれた状況は、それほど重大な危機を伴うものではなかった。したがって、従来の組織原理に基づいて状況を乗り切ることは比較的容易であり、効果的でもあった。しかし、将来、危機的状況に迫られた場合、日本軍に集中的に表現された組織原理によって生き残ることができるかどうかは、大いに疑問となるところだろう。」(23-25頁)
「いかなる軍事上の作戦においても、そこには明確な戦略ないし作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する。それは軍隊という大規模組織を明確な方向性を欠いたまま指揮し、行動させることになるからである。本来、明確な統一的目的なくして作戦はないはずである。ところが、日本軍では、こうした。ありうべからざることがしばしば起こった。」(268頁)
「作戦目的の多義性、不明確性を生む最大の要因は、個々の作戦を有機的に結合し、戦争全体をできるだけ有利なうちに終結させるグランド・デザインが欠如していたことにあることはいうまでもないだろう。その結果、日本軍の戦略的目的は相対的に見てあいまいになった。この点で、日本軍の失敗の過程は、主観と独善から希望的観測に依存する戦略目的が戦争の現実と合理的論理によって漸次破壊されてきたプロセスだったということができる。(274頁)
「日本軍の戦略思考は短期的性格が強かった。日米戦自体、緒戦において勝利し、南方の資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば、米国は戦意を喪失し、その結果として講和が獲得できるというような路線を漠然と考えていたのである。連合艦隊の訓練でもその最終目標は、太平洋を渡洋してくる敵の艦隊に対して、決戦を挑み一挙に勝敗を決するというのが唯一のシナリオだった。しかし、決戦に勝利したとしてそれで戦争が終結するのか、また万一にも負けた場合にはどうするのかは真面目に検討されたわけではなかった。/日本は日米開戦後の確たる長期的展望がないままに、戦争に突入したのである。」(277頁)
「短期決戦志向の戦略は……一面で攻撃重視、決戦重視の考え方とむすびついているが、他方で防禦、情報、諜報に対する関心の低さ、兵力補充、補給・兵站の軽視となって表われるのである。」(280頁)
「日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずだった。これはおそらく科学的思考が、組織の思考のクセとして共有されるまでには至っていなかったことと関係があるだろう。たとえ科学的思考らしきものがあっても、それは「科学的」という名の「神話的思考」から脱しえていない(山本七平『一九九〇年の日本』)のである。(283頁)
「日本軍は、初めにグランド・デザインや原理があったというよりは、現実から出発し状況ごとにときには場当たり的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法が得意だった。このような思考方法は、客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行なわれるかぎりにおいて、とりわけ不確実な状況下において、きわめて有効なはずだった。しかしながら、すでに指摘したような参謀本部作戦部における情報軽視や兵站軽視の傾向を見るにつけても、日本軍の平均的スタッフは科学的方法とは無縁の、独特の主観的なインクリメンタリズム(積み上げ方式)に基づく戦略策定をやってきたといわざるをえない。(285頁)
「他方、日本軍のエリートには、概念の創造とその操作化ができたものはほとんどいなかった。個々の戦闘における『戦機まさに熟せり』、『決死任務を遂行し、聖旨に添うべし』、」『天佑神助』、『神明の加護』、『能否を超越し国運を賭して断行すべし』などの抽象的かつ空文虚字の作文には、それらの言葉を具体的方法にまで詰めるという方法論がまったく見られない。』(287-288頁)
「日本軍の戦略策定が状況変化に適応できなかったのは、組織の中に論理的な議論ができる制度と風土がなかったことに大きな原因がある。日本軍の最大の特徴は「言葉を奪ったことである」(山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』)という指摘があるように、戦略策定を誤った場合でも、その修正行動は作戦中止・撤退が決定的局面を迎えるまではできなかった。ノモンハン、ガダルカナル、インパールの作戦はその典型的な例だった。」(289頁)
「以上あげたような日本軍の組織構造上の特性は、『集団主義』と呼ぶことができるであろう。ここでいう『集団主義』とは、個人の存在を認めず、集団への奉仕と没入とを最高の価値基準とするという意味ではない。個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく、組織のメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との間の関係(対人関係)それ自体が最も価値あるものとされるという『日本的集団主義』に立脚していると考えられるのである。そこで重視されるのは、組織目標と目標達成手段の合理的、体系的な形成・選択よりも、組織メンバー間の『間柄』に対する配慮である。ノモンハンにおける中央の統帥部と関東軍首脳との関係、ガダルカナル島撤退決定遅らせる結果になった陸軍と海軍の関係、インパールにおける河辺ビルマ方面軍司令官と牟田口第一五軍司令官との関係、これらはいずれも『間柄』を中心として組織の意思決定が行なわれていく過程を示している。日本軍の集団主義的原理は、このようにときとして、作戦展開・終結の意思決定を決定的に遅らせることによって重大な失敗をもたらすことがあった。」(315頁)
「およそ日本軍には、失敗の蓄積・伝搬を組織的に行なうリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。ノモンハンでソ連軍に敗北を喫したときは、近代陸戦の性格について学習すべきチャンスだった。ここでは戦車や重砲が決定的な威力を発揮したが、陸軍は装備の近代化を進める代わりに、兵力量の増加に重点を置く方向で対処した。装備の不足を補うのに兵員を増加させ、その精神力の優位性を強調したのである。こうした精神主義は二つの点で日本軍の組織的な学習を妨げる結果になった。一つは、敵戦力の過小評価である。とくに相手の装備が優勢であることを認めても、精神力において相手は劣勢であるとの評価が下されるのがつねであった。敵にも同じような精神力があることを忘れていたといってもよい。精神主義のも一つの問題点は、自己の戦力を過大評価することである。『百発百中の砲一門、よく百発一中の砲百門を制す』(日本海開戦直後の東郷司令長官の訓示)といったたぐいの精神論は海軍でも例外ではなかった。……
ガダルカナル島での正面からの一斉突撃という日露戦争以来の戦闘は、功を奏さなかったにもかかわらず、何度も繰り返し行なわれた。そればかりか、その後の戦場でも、この教条的戦法は墨守された。失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部門へ伝播していくということは驚くほど実行されなかった。これは物事を科学的、客観的に見るという基本姿勢が決定的に欠けていたことを意味する。
……大東亜戦争中一貫して日本軍は学習を怠った組織であった。」(325-327頁)
「戦略・戦術が意図したものと、実際の結果との間にパフォーマンス・ギャップがなければ、その結果は既存の知識・技能や行動様式としての組織文化をますます強化していく。しかしながらパフォーマンス・ギャップがある場合には、それは戦略とその実行が環境変化への対応を誤ったかあるいは遅れたかを意味するので、新しい知識や行動様式が探索され、既存の知識や行動様式の変更ないし革新がもたらされるのである。既存の知識や行動様式を捨てることを、学習(learning)に対して、学習棄却(unlearning)という。このようなプロセスが組織学習なのである。軍事組織は、このようなサイクルを繰り返しながら、環境に適応していく。……
このように考えてくると、組織の環境適応は、仮に組織の戦略・資源・組織の一部あるいは全部が環境適応であっても、それらを環境適応的に変革できる力があるかどうかがポイントであるということになる。つまり、一つの組織が、環境に継続的に適応していくためには、組織は環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなければならない。こうした能力を持つ組織を、『自己革新組織』という。日本軍という一つの巨大組織が失敗したのは、このような自己革新に失敗したからなのである。」(347-348頁)
きわめて困ったことに、全文の「日本軍」のところを「日本政府」、「日本の省庁」、「日本の(多くの)企業」などなどに置き換えても、そのまま当てはまりそうです。
特に現状の日本で致命的に危険なのは言うまでもなく、原発に関して、「集団主義的原理は、このようにときとして、作戦展開・終結の意思決定を決定的に遅らせることによって重大な失敗をもたらす」、「戦略策定を誤った場合でも、その修正行動は作戦中止・撤退が決定的局面を迎えるまではできな」いという事態になりつつあることです。
幸いにして戦前と異なり、戦後の日本は代議制民主主義の国家なので、リーダーがダメな場合、国民の多数の意思があればリーダーを取り替えることができるのですから、国民が意思表示をすべきなのですが、肝心の善意の国民の多くも「……は功を奏さなかったにもかかわらず、何度も繰り返し行なわれた。そればかりか、その後の戦場でも、この教条的戦法は墨守された。失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを……伝播していくということは驚くほど実行されなかった」という状態にあるのではないかと思われます。
心(心情と理性の両方)ある市民・国民のみなさん、原水爆禁止運動以来ずっと敗北・失敗しつづけてきた「戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し」ていこうではありませんか。
>特に現状の日本で致命的に危険なのは言うまでもなく、原発に関して、「集団主義的原理は、このようにときとして、作戦展開・終結の意思決定を決定的に遅らせることによって重大な失敗をもたらす」、「戦略策定を誤った場合でも、その修正行動は作戦中止・撤退が決定的局面を迎えるまではできな」いという事態になりつつあることです。
国会を取り巻く大きなデモにも係わらず大飯原発は再開されました.いま大飯原発敷地内の破砕帯が活断層の可能性があるとして,その調査が済み活断層かそうでないのか明らかになるまで運転を保留せよという意見が出されています.もしこのまま運転を続け,直下型地震がきて大飯原発の建屋が引き裂かれ,中性子を吸収する炉停止棒を入れることができず原発震災になって,近畿以西の人が集団移住せねばならない場合,その土地をどうするか,その生活費をどうするか納得できるプランができているのでしょうか.
●脱原発 人の波
・原発10万人集会に集まった大勢の人たちのヘリからの写真掲載
・主催者発表約17万人警察集計約7万5千人参加
<産経新聞7月18日朝刊より>
・参院民主党から新たに3人の離党者が出た。
・谷岡郁子参院議員は原発再稼働反対派の急先鋒、船山安江参院議員はTPP反対の中心メンバー。行田参院議員は参院幹事長代理。
・この3人に亀井亜希子参院議員を加えた4人が新会派「みどりの風」を発表。
・輿石氏も常任幹事会では「消費税、原発問題はうっかりするとすべての女性を敵に回しかねない」と漏らし、参院常任役員会では「みんなで落ち着かせないと・・・」と動揺が広がるのを食い止めるのに躍起となった。
<谷岡郁子氏のブログより>
・今、毎週金曜日の夕方に官邸前を目指して、10万分の1になろうと集まってきている人々は、その大半が無党派と呼ばれる人々であり、これまでは「政治的」であることを避けてきた人々だと言われています。
・私は、この新たに巻き起こって来た国民による民主主義の流れの中に身を投じたいと思います。
●直接民主主義再び手に(五野井郁夫 高千穂大准教授)
・非暴力で支持獲得
抗議行動を呼びかけているネットワーク「首都圏反原発連合」は、親子連れや高齢者らあらゆる人々が参加できる平和的な行動にするために
「非暴力直接行動」を掲げている。
・新しいメディアの使用
アラブの春と同様、フェイスブックやツイッターなどの呼びかけに多様な世代、属性の人が集まっているのが特徴だ。
・私たちは、メディアの進化を背景に直接民主主義の政治を再び獲得しつつあるのだ。
●政府と市民の大きなズレ(辻本清美衆院議員)
・民意の地殻変動
このピープル・パワーは従来と質的に異なる。
「なし崩し的に次々再稼働に突き進むのでは」という不安や不満、不信が噴出した結果だろう。
・地殻変動に鈍感すぎる政府
わずか11回の意見聴取会などの官製「国民的議論」でエネルギー戦略を決めようとする大きな
ズレ。形だけの市民参加はかえって信頼を失う。私は最低でも47都道府県でワークショップ形式をとるなどの工夫を政府に求めた。
●民意実現へ次の一歩(今井一ジャーナリスト)
・毎週金曜日の官邸前の抗議行動はツイッターなどの呼びかけに呼応したもので、週を追うごとに参加者は増える傾向にある。
・デモの先にある、市民が何かを獲得していく段階にきているのではないか。
・たとえばポーランドの労組「連帯」は円卓会議の開催と自由選挙の実施という具体的要求を抱えてデモを行い実現にこぎつけた。
・主催者を批判しているのではない。参加者にもっと考えてもらいたいのだ。政権や電力会社を追い込むため、民意が反映される新しいアクションを企画し、実現していくことが必要だ。
<所感>
・失敗続きだった左翼的運動のスタイルとは大きく異なる、新しいスタイルの本格的デモが日本で発生したことに目をみはっています。
・今の呼びかけ人たちや、積極的に参加している人たちが、原発推進派の対抗策に負けることなく英知を発揮して、これ以上の再稼働を許さないことをこころより祈っております。
当初は無視していた大新聞も取り上げざるをえず、最後まで無視を続けたNHKですら取り上げる事態になりました。
戦前戦後の左翼的デモの失敗によって国民に根強く浸透した政治アレルギーを、ある程度まで解消したことは、新しい運動スタイルの光の部分だと思います。
しかしインターネット情報を眺めていて、以下の感想を抱きました。
最近は運動スタイルをめぐって批判的意見が飛び交うようになりました。
労働組合の旗は持ち込まないでという方針をめぐって議論が起きています。
また再稼働反対一本やりでは参加者に飽きがきて継続参加の意欲が減退するのではないかと危惧する意見も出ています。
政府の再稼働方針は少しも変わっていません。
多数の参加者の実現という成果を土台にして、次の成果を得るための新しい目標、新しいスタイルを考案して導入しないと、せっかくの運動が停滞する可能性があるように思われます。
運動のリーダーや積極的な参加者の叡智が発揮されますようお祈りいたします。
療養中の身ですので、外部から観察することしかできませんが、せめて親身になって観察を続けたいと思っています。
市民のデモをニュースでも無視して放映してこなかったNHKが、原発再稼働デモについてはじめて正面から取り上げました。
普通の市民がどういう気持ちで参加しているかを素直に取材して放映しています。
映像を見て、私は「こうした市民は今後自分の考えを深めていくだろう」と思いました。
参加者は10万人を超えたようですから、これだけの人々が考えを深めれば、社会を変えるきっかけになるのではないかと思います。
7月26日毎日新聞朝刊の記事では、関西電力八木誠社長が大飯原発の次に再稼働するのは、高浜原発3,4号機が最有力と語ったことについて枝野経産相は「大変不快な発言だ。しっかり安全性をチェックすることなしには再稼働はありえない」と批判しました。経産省内で記者団に語りました。
経団連などの圧力にも関わらず、政府の責任者が次の再稼働について慎重な姿勢を示しているのは、あるいはポーズだけかもしれませんが、
10万人を超える反対デモの存在を無視できないからだと思われます。
反対デモの今後については難しい問題もあるようですが、参加者ひとりひとりがが自分の考えを一層深めていけるような運動になってほしいと思います。