ミュルダール経済学の全体像
以上のように、累積的因果関係論の逆流効果・波及効果概念によって先進諸国と低開発諸国とを総体としてとらえることで、ミュルダールは両者の格差拡大という世界レベルでの悪循環を認識し、そして悪循環を好循環へと転換させることで、グローバルに福祉が行き届いている理想の世界(「福祉世界」)が構築され得るとしたのです。本書は、このように累積的因果関係論を中心に据えてこそ、ミュルダールの遠大な考えが統一的な経済体系として理解され得ると主張するのです。その経済体系を図式化したものが、図1です。
図1の一番上の部分は、「価値前提の明示」の方法論と累積的因果関係論が不可分で一体であることを表現しています。それは、累積的因果関係論において、状況が「好循環」と「悪循環」のいずれであるかを判断するには前提とされる価値が明らかであることが必要ですし、また逆に累積的因果関係論によって得られた科学知識が啓蒙されることで大衆の価値判断は変化し得るという相互循環性があると考えたからです。ただし、最高の価値が平等であることは不変であるとミュルダールは確信していました。
なぜいまミュルダールなのか?
本書でまとめられたミュルダール経済学についての私なりのレビューはこれで終えます。彼の経済学を通して現実世界を見ると、例えば中国は軟性国家から脱しようとしている最中なのだろうとか、日本は福祉国家としての国民主義的傾向がまだまだ強いので移民をほとんど受け入れないのだろうとか、各国の状況把握に役立てることができそうだと私には思えます。それにしても何故今ミュルダールなのか?それに対する著者の回答が本書冒頭にあります。
なぜいまミュルダールなのか。それは、彼が主力を傾けて取り組んだ経済学上の諸問題が、現在の諸問題にまちがいなく通じていると考えられるからである。さまざまな格差が問題視されている現代、経済面に偏ったグローバル化が危惧されている現代、社会の価値観が多様に変化している現代である。彼の問題提起を受け止めるべき時代が到来しているのであり、少なからぬ人々が彼の思想を再発見すると思われる。(p.4)
また、本稿ではミュルダール経済学の体系化ということに集中し触れませんでしたが、ミュルダール夫妻(彼の妻は1982年にノーベル平和賞を受賞したアルヴァです)には人口問題論に関する業績があり、本書でも詳しく扱われています。現在日本は少子化の問題を抱えており、彼らが主張する消費の社会化(育児補助をお金ではなく現物で支給する)などは非常に参考になると思いました。