途中、青梅駅では駅の待合室など、レトロな雰囲気が作り出されていました。
まず、たましん御岳美術館へ向かいました。
途中、渓谷沿いを歩いていると、釣り人が大勢いました。
川合玉堂の絵画そのもので、なかなか風情があります。
駅から歩いて30分は最初思案してみたほうがいいでしょう。
周りの景色を眺めて行くと思ったより時間がかかります。
小さな美術館ですが、平成14年天皇皇后両陛下の行幸啓を得たそうで、碌山の作品の銅像「女」ほか、高村光太郎の「手」などが陳列され、日本人 の洋画でなかなか素晴らしい作品がありました。
倉田三郎という多摩信用金庫に貢献なさった画家が、こう述べていました。
油絵でなくて、どんな画材でも絵に遜色はない、芸術に画材はこれでなくてはならないと言うようなことないというような内容(同じではない)を述べていたそうで、世界の旅のシリーズで水彩画を描いていました。
芸術の表現方法に決まりはないと言うことは、今では当たり前ですが、一昔はなかなか認められなかった時代がありましたから、自分なりの信念があったのでしょう。
そこからまた渓谷沿いを歩いて、玉堂美術館へ行きました。
こちらへは、昭和天皇ほか皇族方が大勢お見えに なっていて、見るからに立派な借景庭園のお寺かと思うような美術館でした。
高松宮喜久子様の和歌が飾ってあって、これが有栖川流の筆跡かなと眺めていました。
川合玉堂はやはり天才的な方だったのだなと、十代の頃からの写生画などを拝見して、自分が絵を描いていたことが恥ずかしくなるほど、天賦の才の凄さを感じました。
昭和19年から昭和32年まで青梅市御岳に在住なさっていて、ちょっと敷居が高く感じるほど立派な美術館なものの、玉堂さんが描いたのは地元の自然と市民が多く、本来は庶民派で、温かい和やかな絵を描いておいでです。
玉堂の掛け軸に、和歌が自筆で書かれていて、暗記できなかったのですが、こういうような内容でした。
水、豊かなこの水流を拝見して、緑豊かで水に恵まれた日本はほんとうに神様の恩恵を受けていると感じたのでしょう。
海外旅行をして、世界でも水とお茶を無料で出してくれる店があるなど、日本くらい親切な国はないと思ったものです。
私は、子どもの頃、水は当然あって当たり前に思っていましたが、砂漠の世界を知って、どれほどありがたいか、大人になるにつれて、ひたひたと感謝の念が湧きます。
やがて、上海の寒山寺から譲り受けた仏像の安置された、日本の寒山寺(今は澤乃井さんが管理している)を訪れて、中国と日本とのぎくしゃくした現代を憂いて、なんとか良くならないものか、文化まで嫌うことがないように静かに祈りました。
日本にとって中国は昔はいろいろ学問を教えてくださった先生の国でもあります。暴動まで起きてしまったことを悲しく思いました。
寒山寺は綺麗な天井画が描かれていて、一度 消失した鐘楼も復元されてありました。中国の方々の中には現状をやはり憂慮している方もいることでしょう。
「発明の中国、保存の日本」と何かの書きものにありましたが、優秀な方をかつて輩出された国ですから、いずれ世界情勢に対応して変わっていくことを願わずにはいられません。
日本人は中国人を排斥していず、いいところを確かに認めているのに残念なことです。
この近くには、やはり澤乃井さんの櫛かんざし美術館があります。
一見、かんざしなぞつまらないだろうと思いがちですが、入館してロビーの光景の見事さに感心し、ここでデートしたらいいだろうなあと思いました。
櫛、かんざしともに、これは芸術品ですね。たいへんな量だし、精巧な工芸作品で、見ごたえがありました。
この近くにおいでの際は、ご覧になるといいと思います。日本人の女性の黒髪に合う繊細な
飾りに、毛髪を染めても綺麗なものの、自分が生まれて親から譲り受けた色合いをそのまま大事にする考え方も、やはりあるかと思います。
エリザベス一世の女王陛下がお使いになったと言う珊瑚の髪飾りはたいへん印象的です。
これも、実は黒髪のほうが映えるのではないかと思いましたが、品のあるティアラに女王のお好みが偲ばれて、さぞお使いになったお姿は素敵だったことでしょう。
ステロイドと、鼈甲の見比べの陳列がありましたが、やはり鼈甲は色合いと言い、深みがあって素晴らしいと思わずにはいられませでした。
お土産を購入して、ほっと一息休みました。
車で澤乃井さんのところを通るとわからないのですが、渓谷沿いにテラスがあって、ここで食べたり飲んだりできますし、眺めも綺麗です。
圧巻は、やはり櫛かんざし美術館でしたが、澤乃井さんもいい場所にあるなあと感心しました。
日本髪に興味のある方や、工芸品の好きな方にはお勧めです。
デートにこういう場所に来たら、いい思い出になることでしょう。
青梅市は、近代的な日本が忘れかけた何かを想い出させてくれるものがありました。