みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

コスタ・クラシカ~東京港晴海埠頭初入港

2009年04月18日 23時41分27秒 | 船の写真

Dsc01568 Dsc01429 2009年4月18日コスタ・クラシカが日本の東京港へ初入港した。

わたしは、慌てて出立して向かう。どこから撮影しようか思案した。

ちょうどレンボーブリッジを通過するところの前から撮影開始。

今日は午後曇天、少し晴れ間。

マンションがどうも撮影に邪魔で綺麗に見えなくさせる。都会だからしかたないが。

慌てて、走って行き、シャッターを切るが、焦っていてなかなか綺麗に構図が決まらない。

ちょうど、橋の真下のコスタ・クラシカ。

白い船舶は、海に映えて綺麗である。形は端正。わたしは、以前、イタリアのベニスでこの船を見かけたので、久しぶりの再会である。

わたしが、充実感あった頃の見慣れた船。

就航年は1991年、改装年は2001年。約53000トン。幅は約31メートル。

イタリアは、ほんとうに見所が満載で、ヨーロッパに行って、非常に良かったと思う。バチカンに伺えて、感動し、そこから消印を押していただいて手紙を友人に出したことがある。

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海は広く、世界に通じていると思うと浪漫が広がる。

撮影は完璧ではなく、素人であるが、時間的にもう少し余裕があれば良かったと反省した。

東京港は横浜港に比べて交通が不便で、華やかさにひとつ欠ける。しかし、静かで撮影するのには良い。

Dsc01452 歓迎放水を受ける船。甲板には大勢の乗客が立っている。

デザイン的に、美しい形をしているなあと思う。

この右下の写真で旋回するとは思っていなかったが、直に向きを変えた。旋回して、反対側に向き直る。(左の写真)

これから何回か東京港Dsc01469_2 へまた立ち寄るらしいから、珍しくないかも知れないが、わたしは懐かしい。

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イタリアの町並みの保存の良さに感心し、わたしは国内旅行しかエッセイにしていないが、海外は、日本にはもうない、遙か麗しい古い町並みが残っていて、内心は世界の国々の人の自国の文化への高い関心度の違いを感じている。

わたしは日本人だから、日本の良さを認めたいが、それでも海外では日本とは違う、眼を見張る風景や建築物があって、自分の故国だけ愛しなさいという教育は、もはや今の日本人にはもう通じないだろう。

それだけ国際化したのである。一昔、わたしの父母の時代は、渡航は若い頃、自由ではなかった。日本は敗戦し、ほんとうに貧しく、独立も危うかった。

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わたしは、ここから、晴海埠頭へ向かう。そこで、最初に見たのは勿論、船体ではあったが、わたしがこだわったのは、右翼ではないが、日の丸の旗だった。

Dsc01588  ハンサムな男性らしき方が佇んでいたが、勿論、その方が目当てではなく、旗に注目したのである。彼は、外国人であり、偶然いらしたのである。

コスタ・クラシカが日本へ帰航したと言うことである。家族は旗を見ても何も感じないらしいが、わたしには国旗が掲げられることに、戦後生まれでも特別な思いを抱く。

GHQ占領下、日本の国旗が掲げられない時期があった。それは日本という国が今とは全然違う姿になるかも知れない、そんな不安定な時期だった。

今が良かったかどうかわからないが、独立国であることがありえたかどうか(今も蔭ではどうか知らないが)、全く推測もできない時代を経ていた。

愛国心は、いや、愛郷心は自分の国だけが良ければいいとは思わない。加藤周一氏には敬意はあるが、違う感覚も持っている。

自分も愛せる、だから人も愛したい、自分と同じく他人も同じように思ってあげようと言う気持ちが沸く。自分なんて、自分の国なんて、どうでもいいのです、そういう考え方は怖い。

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「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」

という儒教の教えの通りである。

遠くに、レインボーブリッジが見える。

甲板はどうなっているか、展望台へ上って見る。どうも見えづらい展望台である。これが、全部綺麗なただのガラス張りならと思ったが、残念である。

Dsc01606 上は、こんな風で、プールになっている。ちょっと写真では見えにくい。

ここでも旗を見てしDsc01616 まう。綺麗に、旗が翻っていないか、シャッターチャンスを待っていたが、なかなか来なかった。

なんどかシャッターを切った。

わたしたちの国が植民地になっていたら、昔の黒人の方々と同じように、今よりもっとひどい人種差別を受けただろう。時代は変わり、アメリカの大統領も白人ではない。人種差別は少しづつなくなりつつあるが、国境はなくならない。どこの国ではなく、地球という思案をみんなが持っているわけではない。

Dsc01565 Dsc01593 白人と言われる方でも素晴らしい方は大勢いるし、人種は本来関係ない。確かに白人の方で惚れ惚れするほど美しい方は多い。しかし、違うと言われる人種が悪いわけでもない。

ただ、海外へ出ると、菊の紋様のパスポートを握りしめ、初めて祖国とはどこか思い知らされることは経験がある。

どの国も良いところがあり、ステキであるが、やはり自分が多少気楽にいられるのは、生まれ育った場所だったりする。しかし、他国に馴染める方もいるし、日本より気に入る国があっても全く不思議ではない。

ただ、わたしは自分の国の言葉や文化に馴染みがあるせいか、日本にはやはり特別な気持ちを抱いて、離れる気持ちにはなれない。

ただ、世界は丸く、みんな海や陸でつながっていて、ものすごく長い年月を経て、いつか世界はみな同じ人間だと認識し、国境もなくなるかも知れないし、それでもいいのかも知れない。

だが、間違った道を行くと、戦争が広がり、人間は滅亡する。そうならないことを願いつつ、やはり国境があり、世界に憎しみや差別がなくならない限り、自分の国は大事に思わなくてはならないだろう。今回は、ちょっと自分の主観が入ってしまい、読みづらかったかも知れませんが、最後までおつきあいくださった方、ありがとうございます。


クイーンメリー2日本初入港~横浜

2009年03月07日 08時13分58秒 | 船の写真

3月6日、開港150年にあわせて横浜市が誘致した。Img_0907
フランスのアトランティーク造船所が受注を受けた豪華客船である。

全長345mという船体は2003年の建造当時、客船としては史上最大を誇っていたが、今では世界第三位くらいになると思う。(年内に、22万トンの巨大豪華客船が造船される予定である)
クイーンメリー2は、全長345m、全幅39.9m、総トン数151,000トンで、過去日本に寄港した客船の中で最大となる。

乗客定員2620人。海面からの高さが62メートル。ベイブリッジをくぐり抜けられないため、大型客船としては初めて貨物船用の大黒ふ頭(横浜市鶴見区)に接岸した。
シドニーを出て、6日午前7時に横浜港に着き、午後5時に香港に向け出港した。

Img_0918_2 船籍はイギリスで、よくこういう船を持てると思って、イギリスは凄いなあと感心した。 

クイーン・メリー2の接頭辞RMSは元々Royal Mail Steamer(英国郵便汽船)の略であったが、先代クイーン・メリーとは異なり、ディーゼルエンジンとImg_0931 ガスタービンを併用するCODAGを採用した2号ではRoyal Mail Shipの略称とされるそうである。

  以前は、2004年1月12日、テロリストに対する厳戒態勢の下、2,620名の乗客を乗せたクイーン・メリー2はイギリスのサウザンプトン(タイタニック号が出航したことで有名で、昔は非常に名高い港、現在はイギリスの港として中心ではなくなったと思う)を出港し、アメリカ合衆国フロリダを目的地とする処女航海を行った。

 今回はフロリダを出港し、中南米、ハワイ、オセアニアと旅を続け、横浜港に立ち寄った。夕方には香港に向けて出港した。今回の旅は92日間。今後、東南アジア、エジプト、ヨーロッパを回り、4月中旬、最終目的地のニューヨークに帰港する。

  大黒埠頭T-1・T-2岩壁に停泊した。この大黒埠頭T-1・T-2Img_0916 岩壁は普段は一般の立ち入りが禁止されているが、同船が入港している時間に限り立ち入り制限が緩和され、桜木町行きのバスを待っていると、最後は観光バスが無料シャトルとして運航されて、便利・快適だった。

 船上から、数人の外国人乗客が出航の際に、日本語で「ありがとう」とこちら(見学客)へ呼びかけていたのが印象的だった。
天候は嵐ではないが、最悪で、横殴りの雨風の中、そう思ったより、多くない人出だったが、船舶の見える最前列へ近づImg_0926 けず、人の傘越しから見ることになった。

 下手でも、撮影を繰り返すが、雨と暗さの関係でシャッタースピードが遅くなって、ピンぼけになることがあった。
 Img_0920 足下は、雨水に濡れて、びしょびしょになり、寒さで帰りはぐったりしたが、帰宅してお風呂に入り、少し一心地ついた。

 晴れていたら、さぞ綺麗だったことだろう。
 乗客のみなさんもきっと残念だったに違いないが、自然には逆らえない。

 なぜ、こうも人は港や船に憧れを持つのだろう。自問自答してみた。

 「私の愛は海のように果てしがない。与えれば与えるほど豊かになるばかり。海も愛も無限だからです。」シェークスピア

 遠く去ってゆく船体を眺めようと、夕方に到着したわたしが見送った船体。船旅をするには、語学も必要だろう。動く国際社交場でもある。海のかなたに走り去って行った。

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客船コスタアレグラの出港風景

2008年08月23日 21時36分05秒 | 船の写真

「2008年6月29日東京港へ初入港、30日夕方出港のコスタアレグラ」

イタリアのコスタ社の豪華客船コスタアレグラ(2万8597トン、乗客定員800人)が東京・晴

海ふ頭に初入港し、30日には出港し、レンボーブリッジを通った。

 当初、晴海埠頭に行こうか迷ったが、レンボーブリッジへ直行した。

Dsc088292  コスタアレグラは92年就航、

2006年に貨物船を改装し、主

に日本や韓国、中国などアジア

地域でクルーズを行っている。

外見も変わった趣であったが、

珍しくて撮影した。

 お台場を背景に、クルージン

グする姿は綺麗だった。

 当日休暇を取り、夕方待ちかまえる。

 何人か男性がいたが、みな撮影に集中した。

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夕闇にさざ波立ちて船は行く

       夜景煌めくお台場後に

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ラプソディ・オブ・ザ・シーズ号入港

2008年05月16日 07時33分45秒 | 船の写真

5月13日、横浜大桟橋に、ラプソディ・オブ・ザ・シーズ号が、入港した。

就航年/1997年 総トン数/78,491トン 全長/279m 全幅/32.2m 巡航速度22ノット 乗客定員/2,435人 乗組員数/765人 

雨の中、行ってみると、そう雨は降っておらず、なんとか撮影できた。

Dsc086722 クイーンエリザベス2世号より大きい。

うーん、大きいと思った。

中国人が大勢乗船しているせいか、中国語のアナウンスがかかっていた。

当初、朝、大勢お客さんが船にいた。

先頭部分より、まず撮影した。

向こうには、ランドマークタワー、インターコンチネンタルホテルの建築物が見えて、いかにも

横浜らしい。

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船体の横側はこんな感じである。

                             中国人富裕層が多いせいか、アナウンスに

                                     中国語が船内に響いていた。

朝、まだ午前中早い内は、船内に大勢人が甲板にいたが、次第に人影がすくなくなって来た。

5月13日、客船を見学しに来た人も、そう多くはなかった。台風情報が流れていたせいかも知れない。

Dsc087232                                      客船の船尾はこんな感じ。

                                      旗がはためいていた。

中は、ガラス張りで、明るいらしい。

この日の中華街は、修学旅行生だけで、閑散としていたが、それは連休後だからだろうか?

客船の人はどこへ行ったのだろう。

大桟橋に左側についていたなら、赤煉瓦倉庫から撮影したら、もっと綺麗に全貌を撮影できたかも知れない。

 「ピース・ボート」も寄港していたので、両方を、山下公園から撮影した。

 「ピース」という名前、「平和」を大事にしたい。海への浪漫は広がる。一度、こういう客船に乗ってみたいものだ。

 Dsc087902_3 これは、ピース・ボート。

左が、ラプソディ・オブ・ザ・シーズ号

である。

海は結構荒れていて、大桟橋は強雨風と寒さで、穏やかに眺める雰囲気ではなかったが、わたしは撮影に夢中だった。

帽子は危ないので、鞄にしまった。

下は、両方の船を撮影。

天気がなんとかもっていたのが撮影に幸いだった。

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