一生

人生観と死生観

反ギャンブル的生活の中で

2009-10-21 22:06:35 | 哲学
10月21日 晴れ
 人は競争心を持ち勝敗にこだわる。それが人間の本来の性情で、これによって社会は進歩してきたが、一方でこのために無駄な時を費やすことにもなる。一番問題なのはこれに金を賭け、昂奮をいっそう拡大するギャンブルにふけることである。こうなるともはや不健全もいいところだが、少しはそんな誘惑に乗ってみたい心情も人間の中にあることは事実のようだ。はまり込むと大変なことになるが、悪戯ごととして一寸やってみるという若者もいるようだ。競馬や宝くじは公認のギャンブルだ。麻薬に手を出すよりはましだろうが、溺れると身をほろぼす。
 幸いわが家はそんなことには程遠い。面白味はないがそれで成り立っている生活だからよいとしているが、刺激を求める人たちには大いに不満であろう。幸せと満足は必ずしも重ならないものだ。

天国の子どもたちへの誓い

2009-10-20 14:41:49 | 哲学
10月20日 曇り後晴れ
 穏やかな日が続いた。しかしまた雲が西からやってくるらしい。秋の日は変わりやすい。私たちの心に詩人の感傷を呼び起こすのはこの季節だ。日本人はこの列島の中に自足して住み、大陸のことはほぼまったく対岸の出来事であった。そこで人が飢餓に悩まされようと、戦争が起ころうと、まず関係がなかった。だからこの島では平和があり、余計な心配をする必要がなかった。いまはいわゆるグローバル化の時代だからそうも行かなくなりつつある。
 ところでどの社会でも子を失った親の気持ちは悲しくない筈はない。心を尽くして子の冥福を祈るのが古来の風習であり、これをけなす人はいない。幾年経っても命日が来れば子のために花を買い、墓に捧げ、天の浄福を記念する。
 宮城県の中央児童館に置かれたいのち像、いのちのランタン、いのち輝く愛の姉弟像の三点セットはおよそ千人のワクチン禍犠牲者を悼み、そのいのちの尊厳を記念し、かつ未来の子どもたちの幸せを祈る記念物である。宮城県はその精神を汲んで設置を許可したはずである。ところが知事が替わり、児童館の建物はいずれ取り壊すというようなことでは記念物の居所がなくなる。いのちのランタンにはワクチン禍死亡者名簿が入っており、もちろん雨ざらしにはできない。木彫りの姉弟像もそうである。私たちは天国の子どもたちのために記念館を要求する。慰霊のための記念物をおろそかにすることは許されない。県にはしつこく要求を貫く積りだ。子の国際化時代に宮城県の恥になるようないい加減な扱いは断固許さない。

追い詰められる人

2009-10-19 12:39:57 | 哲学
10月19日 晴れ
 穏やかに晴れた日。天の恵みかと感謝をもつのも老いの流れに身をまかすものの幸せのひとつ。
 さて社会はめまぐるしく変化する。変化されなければならない要素も沢山日本にはある。社会が動くには人が動かなければならない。どのように人は動くのであろうか。考えてみよう。
 朝日新聞に回想された戦争記事を見ると、多くは80台の人たちだが、上からの命令で強制された。従わないとピンタ、罰としての重労働その他。軍隊では天皇絶対、上官絶対、上官の命令は天皇の命令と心得よと来る。つまり神聖な権威によって権力を行使するというわけだ。今どき天皇の命令は通用しないが、これに類似した強制は方々で起こっている。君が代日の丸の強制は教職員の上にのしかかる。法律を作るときはそれほどきついことを言っていなかった政府だが、施行されてみるとやはり末端で強制となった。強制しなければ自由に従う積りのある人もいやいやながら起立し、もごもご口を動かす。それを監督する人たちは訳も分からず上に報告して処罰が下る。お祝いというからこそ国家国旗がある。お祝いに不参加だからとて罰がくるのか。国民としてはもっとしっかりした国家像を持つならお祝いしたいが、変てこな国家像を押し付けて、形式的にイエスかノーかと追い詰めてくるのはいただけない。自民党政府の国家像が今反省されなければならない時になっているのだ。
 上のものは教職員にとって重大なことだが、一般論としてを追い詰める方法はどんなものがあるか。(1)神聖なもの、宗教的権威、(2)理想主義あるいはこれに類する思い込み的疑似理想主義、(3)暴力的装置ー警察力、軍事力、(3*)法律による規制(4)政治力、(5)マスコミ的宣伝力、(6)環境、人がやるからおれもやる的右習い主義もそのうち。
 力はいろいろある。ハードなものは避けたいが、どうしても使わないといけないときがあるだろう。そんなときに時間のある限り説得につとめるが、最後の最後に法にのっとるというのは上に立つものの責任になる。しかし法の精神が間違っているときは速やかに原点に還らなければならない。
 

箸墓の謎ー誰か教えて

2009-10-18 15:35:58 | 歴史
10月18日 晴れ
 日本の古代はわずか2000年前でさえよく分からない。中国4000年の歴史、エジプト5000年、メソポタミヤ6000年などと比べ、まことに見劣りする。文字がなかったからだというが、文字をもった地域からの移住者がいても文字を書く状況になかったのかもしれない。考古学的方法が発達しても、一番のネックは宮内庁管轄の陵墓の発掘が許されないことである。
 人は自分は何者かと問い続ける動物として生まれた。哲学はこのような欲求の産物であるともいえる。また歴史もそのようにとらえることもできるであろう。
 箸墓は近畿地区にあるが、卑弥呼の墓という説(近畿説)をとなえる学派とそうではない、誰か別の人物の墓だという卑弥呼九州説の学派に分かれ、何時までも決着がつきそうにもない。発掘調査が許されれば大きく解決に近づくだろうが、何時のことになるだろうか。
 卑弥呼が魏の国から貰った銅鏡にしても単純でなく、その候補は何百枚かあるといい、論争は尽きない。
 魏史に出てくる卑弥呼の宮殿が九州のある地区にあったとすると、神武天皇イワレヒコが卑弥呼の子孫として支配の正統性を主張し東征をおこなったことは、まあまあ理解される。銅鐸地域の人も銅鏡を下賜されてまいったと思ったかも知れぬ。
鏡は簡単に運べるから九州で貰おうと、近畿で貰おうと、どちらでもよい。ただお墓はそれほど簡単にうつすことはできないが、絶対にというわけではなく、九州から遺骸を運び、お墓を造成することはできる。魏志にある中国使者の日本での道順の距離と方角は謎が多いが、解釈が出来なくはない。
 卑弥呼が近畿にいたとすると、上記道順の方角を変えると距離はおよそのところ合うかもしれない。しかし神武東征の事実がまったくの虚構として棚上げされるのはあまり納得できない。神武が卑弥呼より古い人物になると解する説も現われ混乱が広がる。卑弥呼と目される天照大神が伊勢神宮に歴代の神武系天皇により手厚く祭られている事実が納得できなくなる。
 天皇の墓であれ、だれの墓であれ、墓はみだりに発掘することが良いとは思わないが、日本の文明の曙を知るために、たとえば内視鏡検査のような方法が取れないのか。死者に敬意を持ちながら、調査をおこなうことは許されて良いのではなかろうか。そのためにどうしたらよいのか。箸墓は調査対象としては格好のものと思うが、誰か方法を教えてくれませんか?

未知の大海、羅針盤は?

2009-10-17 20:18:22 | 哲学
10月17日 晴れ後曇り夜は雨
 中学生の孫と話をしていて、将来どの大学に進みたいかの関心の度合いを探った。未来のことはなかなか具体的に考えられない様子。未知の大海が先に広がり、羅針盤はまだどこにあるか見当がついていない。今の子どもたちは頼りない。草食系男子などといわれる由縁か。温泉に浸かり脱出できない裸の子どもたちのようなものか。
 若者の世界はわれわれ年寄りにはよく分からない。彼らが社会の下積みに過ごすことになりそうで心許ないと思うのは古い人間の一人よがりか。彼らは何も考えないといっても、不安だけは心に巣食っているのだから始末が悪い。どこかでこの悪しき惰眠を断ち切らなければなるまい。そして大海を進む羅針盤の前にしっかりと立ってもらわねばならない。世代ギャップというものはいつの世にもあるが、先人は後輩に指針を示してやらなければならないのは当然である。

人生の果てを薔薇色に

2009-10-15 17:14:12 | 哲学
10月15日 晴れ
 秋晴れの美しい日であった。夕焼けを見ると人生のもろもろの相を考えてみたい気持ちが起こってくる。人生薔薇色、人生いろいろ、有名人の語る台詞(セリフ)のように思う人もいるかも知れない。人生いろいろだが、薔薇色の人はきわめて少ない。一時は薔薇色であっても、次の瞬間に大波に飲まれてしまう人もいる。
 私は次のように考えている。われわれ人間はごく小さな存在であるが、それぞれがいのちの尊厳を持っている。それは創造の神によってそうなるべく運命づけられていると見る。神を認めない人には理解できないかもしれないが、根拠は、この世には超越者の介入があるということ。偶然と見えるものが糸のようなものでしっかりと結ばれており、それは実は偶然ではなく、ある高い意志によって導かれているとしか考えられないこと。それは時を経てますますはっきりとしてきるということだ。信仰の世界はこの世の論理を超えているが決して矛盾するわけではない。神を認めることによって私たちの心は最終の宿り場についたことを感得するのだ。神は大きいから人間の知恵でははかりがたい部分が多いことは当然である。しかし古来聖書が証するように、神は愛であり、神は真実である。だから人生に悩むものは神を見上げよ。イエスこれを助けたまう。その時人生は平安になり、そして薔薇色にさえなるであろう。

驕る平家は

2009-10-14 16:33:48 | 哲学
10月14日 晴れ後曇り
 結構忙しい毎日だ。朝は孫の通学を送る。それから『夕映えの杜』送付作業がある。手紙を付ける必要のある人がかなりの割合になる。
 自由民主党が長年日本の政界を支配して、ついに政権の座を追われた。驕る平家は久しからずの諺が当てはまることを痛感させられるような変革だった。民主党政権は張り切って日本の制度のお掃除に乗り出した。時代の要請に叶っているように見える。したがって国民の支持率も高いままに推移している。官僚は民主党政府にたてつくこともなく、従順な態度を見せているようだ。
 自民党は党の再生を賭けて新体制を作ろうとしているが、民主党のようなインパクトはもちろんない。理念に新みなんかないのは当然だろう。だから総裁になったところで得するわけもない。総裁は殉教者のような立場に近い。すべての重荷をひとり負う覚悟も必要なのだ。こんなときに総裁になったものは損の長だがやむを得ない。とにかく二大政党制の実験をこれからの日本はやり切れるか。見ものだ。

白血病の人たち

2009-10-13 16:20:08 | 哲学
10月13日 晴れ
 穏やかな秋晴れの一日。家内は俳句の先生から本をまとめるように言われたといって張り切る日々が続いている。二男を長い長い介護生活の末に亡くした喪失感から立ち直る良いきっかけになるであろう。穏やかであればこそ恵みに通ずる秋の日なのだ。
 さて白血病という難しい病気がある。子どもから大人までだれかれとなくかかるようだ。治る人はどれほどいるのか私は詳しい統計を知らないが、一種のがんであるということだから簡単ではないであろう。宮城県知事であった浅野史郎氏がこの病気にかかったことが新聞で報ぜられた。この人は石原都知事と知事の座を争い、敗れて慶応大学の教授に戻ったはずだが、選挙戦は超重労働だから無理がたたったのかも知れない。奥さんには出馬を反対されたが、やむにやまれぬ状況だからと立候補に踏み切ったのは、この人一流の正義感あるいは使命感があったのであろう。
人はこの世に生まれたからには何らかの使命を果そうと思ったときが一番の華であるかもしれない。止めても無駄と覚った奥さんは愛情からであったと察せられる。奥さんはわれら「命の尊厳を考える会」の会員になっていた時期があり、首都圏に転出のときまで続いた。そんな次第でこのご夫婦にお見舞いを出したが、返事にはありのままの心境を綴ってあり、いたく同情した。良い治療法もあるようだから、前向きに歩むことが第一であろう。白血病の子どもたちも境遇に耐えて生きている。医学の進歩がいっそう待ちどうしい。

美男美女の結婚マーチ

2009-10-12 20:32:52 | 哲学
10月12日 晴れ
 昨日久し振りに結婚式のお呼ばれで東京へ。豪華な式と披露宴で、東京暮らしの若いカップルにふさわしいものであった。挨拶を頼まれていたのだが、形式的なおめでとうを言ったところで心に残るまいと思ったから、当日発見したことをタネにチョッピリ学のあるところを見せる小話風にまとめることにした。それにしても私の話下手は家内には度し難い病気のように思われているらしいから、無理することはしないようにつとめたのだ。
 新郎は当世風の若者で、もてるタイプだというのは私にも分かった。それにしても新婦のほうは大変な美人で(お化粧していることもあるが)女優さんにしてもよいほど。こんな美人に惚れられる男は果報者ということだろうが、一寸待て、それなりにしっかりした心掛けを持たないと、離婚の原因がチョロチョロ芽を出してくるのだ。しかし両家とも普通の真面目な家庭であり、そこに普通に育ち、悪意が胚胎するような気配もないのでまずまず大丈夫だろう。式はホテル内カトリック教会風会堂でおこなわれ、永遠の愛の誓いを交わした後で新郎が新婦にキスを命じられて、照れくさそうに唇ではなく左の頬に軽くキスしたのがお愛嬌であった。
 結婚当初は人生の最高の頂点と、後の披露宴で新郎の上司も言った。人生いろいろ、山あり谷ありで、無事を祈ってもなかなかそうとは限らない。それにしてもまことの神を信じる信仰を持つ若者はきわめて少ない。後の長い人生行路でそれを見い出すものは幸いである。

大河『天地人』終盤へ

2009-10-11 09:59:17 | 哲学
10月11日 晴れ
 東京で甥の二男の結婚式に招待される。出発前は気ぜわしい。歴史物に興味をもつ若者は女性を中心に意外に多いと聞くが、今日はそれを題材の話をするか、プレゼントをしたらどうかと考える。常識的な月並みを嫌う性格に生まれ育った私である。
 さて新潟ー福島(会津)-山形(米沢)を結ぶ天地人も大詰めの段階に入る。貧乏になった上杉をぎりぎりの生活をしてでも守り立てる兼継最後の腕の見せ所だ。富におり、貧に処して動ぜずということは達人の人生観のクライマックスだろう。私は直江兼継の最後はまことにいさぎよいものと思うが、彼自身直江の家を断絶した決心は凄いと感嘆する。関が原後家康も直接直江を罰しなかったのはそれなりの理由があろう。日本人の信仰心は当時の殺伐な世でも死にきっていたわけではない。家臣のため、百姓のためという政治理念は武将たちも無視はできなかった。家康は頼朝の武家政治を模範としこれを改良しつつ太平の世を築こうとした。兼継が
宰相だったらもっと優れた体制が生まれたかもしれないのだが。