一生

人生観と死生観

いのち像を悲しませるな

2009-10-06 20:38:32 | 哲学
10月6日 雨のち曇り
 仙台市向山地区の宮城県中央児童館が廃止され、その跡地は半分は売却、半分は児童公園とする方針が決まり、県は公園部分を仙台市に移管する交渉を始めたという。中央児童館を利用してきた多くの人にとって衝撃的なことであった。一昨年来5万人の署名を集めて本館の有効利用を請願してきた県民にとって文句なしの肩透かしであった。児童館は40年前に建てられ、児童研修などに優れた成果を残した。裏庭の巨大遊具は当時全国でも珍しい子どもの遊び道具として有名であったよし。建物こそ老朽化しているが、耐震補強すればまだ十分使用可能であり、子どもの行事に活用できるはずであった。周囲の自然環境もよく、仙台市の名所百選にも選ばれている。跡地に安易にマンションなどを建てられては環境破壊になる。県のやり方の強引さが目立ち、不評が拡がっているようだ。
 私たち「いのちの尊厳を考える会」でもこの問題に巻き込まれ、何度も交渉を行っているが県の煮え切らない態度に困りきっている。
 私たちの会は1997年に浅野宮城県知事の了解の下にこの児童館裏庭にドイツの彫刻家イングリット・バウムゲルトナー女史制作の子どものブロンズ像「いのち像」を設置した。これにはオルゴールがついていて人が像に近付くとウェルナーの野ばらの曲が鳴る。設置した主旨は、ワクチン禍によって千人規模の子どもたちの生命と生涯が失われたことを悼み、いのちの尊厳を銘記し、後世に伝えることであった。また本館建屋の中にはバウムゲルトナー女史によるステンドグラス入りのランタンがあり、その下部にワクチン禍犠牲者名簿が入っている。「いのちのランタン」として大事にしてきたものである。さらにスコットランドのケイト・トムソン女史の木彫りの「愛の姉弟像」も置かれている。これら「いのちの三点セット」はワクチン禍犠牲者の慰霊といのちの尊厳を記念する全国の関係者の祈りをあらわすものである。規模は小さくても精神においては広島原爆の慰霊碑にも比べられるものと自負している。毎年いのち像の前でおこなわれるコーラスなどは再々マスコミにも取り上げられる行事であり、風物詩のようになっていた。
 これらのうちランタンと姉弟像は従来本館館長室などに安置されており、丁重に扱われていた記念品であったが、今回の県の方針により本館がいずれ取り壊されるとなると、どこに移すかが大問題となる。もちろん雨曝しには出来ない。しっかりした記念室が必要だと言うわれわれの要請に対して県は曖昧な態度をとり続けている。風聞によると、みすぼらしい小屋のような別建ての建物をわずかな費用で改装し、そこに設置する案もあるかに推察され、あるいはそれさえも仙台市にまる投げする責任逃れをする可能性もあり、われわれとしては設置の主旨を県がよく理解するまで目が離せないのである。
 こんなことになった原因は県の基本方針にある。経済優先で走ってきて、トヨタの誘致には莫大な金を使うが、文化財を軽視し、子どもの喜ぶ遊び場を削り、教育や福祉は後回しという政策だ。いのちの記念物までおろそかにするのはあまりにもひどい。関係者が怒るのは当然のことではないか。幾千人の思いのこもったいのち像を悲しませてはならない。県は猛省しなければなるまい。さもなければ県民の審判にさらされる日が近付いているのだ。