読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

赤ちゃんが何ともなくて良かった。

2011-11-17 09:17:19 | 暮らしの中で
昨日、午後、近くの交差点で交通事故が有った。
軽自動車と四駆の普通車の衝突事故だった。
すぐに見に行ったが幸い、チャイルドシートの乳幼児も母親にも
怪我はなかった。ただし、病院には行ったと後で聞いた。
四駆の普通車の方が一時停止違反だったと思う。そのドライバにも
怪我はなかった。わけても、赤ちゃんに異常がなかったのは
その場に居合わせた人たちが一様に安心出来た事だろう。
私には孫が四人居て、そのうちの二人は同じ乳幼児で、他人事では
ないのだ。不幸中の幸いと言える。

生姜が省エネに役立つ

2011-11-16 09:20:42 | 新聞
生姜は英語でジンジャー、字引でその意味は元気、と石原慎太郎が昔、テレビ番組に
出ていて、そう言っていた記憶が有る。
 商品にショウガを加えてこの冬の売り上げをぴりっとさせようと、食品メー
カーが慎重な取り組みをみせている。
 福島原発の大惨事で、エネルギー節約が大きな関心事となるなか、市場では
ショウガを含んだ商品の人気が高まっていると、企業はみている。食用の根を
もつこの植物は、人々を癒す特性があることで知られ、風邪を防ぐとも言われ
ている。

干し柿作り

2011-11-15 11:30:59 | 暮らしの中で
家内が今年も在所へ行って柿の収穫を手伝ってきた。
そのとき、何時ものように干し柿にする柿を貰って来る。
その柿を、午前中かかって私と家内とで皮をむき、干し柿
にする。毎年の我が家の年中行事になっている。
軒先に吊るすのだが、カラスにやられないように
軒先にCDも吊るす。これで今のところカラスの被害は
出ていない。

記者 正岡子規

2011-11-13 09:03:04 | 読書
正岡子規は大学を中退して新聞記者になった。同年年齢の尾崎紅葉も幸田露伴もすでに
売出していた。子規が入社した新聞社は創立まだ三年の日本新聞社と言う三面記事はなく
評論中心のものだった。社長は陸羯南と言い子規の叔父(母の弟)の加藤拓川の友人で
あった。子規はそこで二十行ほどを与えられ、俳句を書き、俳論を書いた。
日本新聞はしばしば政府批判を書いたため発禁処分となったが姉妹紙「小日本」と言う
ダミー紙を出し、そこの主任となった。子規はそこで小説も書いたようだ。しかし日本新聞社
の経営状態は「小日本」を約半年で廃刊とせざるを得なかった。が、子規は「日本」に戻り
再度、俳句、俳論を書いた。日清戦争では近衛師団の従軍記者となり満州に行ったがその帰り
の船中、喀血し、神戸で生死の境をさまよう事になったのである。
この翌年、子規は「従軍記者」と言うタイトルの軍隊批判の記事を書くことになる。



記事のタイトルを入力してください(必須)

2011-11-12 09:27:27 | 暮らしの中で
普通の生活を大切にしたいと12才の小学生が新聞に投稿している。
戦争について本で読んだのか、話に聞いたのか、それからの感想で
あるらしい。
福島に国連の事務総長が来たとき、その前で「人は普通の生活が
出来る事が一番大切だと言う事が震災に遭って初めて解った。」と
英語でスピーチした女子高生が居た。また、震災で父親を亡くした
小学生の女の子は、今まで、いかに幸せだったかが解ったとも
言っていた。
この年は震災、原発、洪水、円高といく重にも不幸に襲われた。
普通の生活が如何に大切かは多くの人の感じたところだろう。

お取り越し

2011-11-11 10:19:53 | 暮らしの中で
今朝、お取り越しが済んだ。親鸞の法事だ。
正信偈を読むのだが、普段、自分で読む時は正信偈は和讃の
部分は読まず、偈だけを経本を見ずに読経している。
お寺さんと一緒に読んでいると一箇所だけ私が普段、間違えて
読んでいる事が分かった。たまには経本を見て、読経した
方が良いと思った。

新聞小説「天佑」

2011-11-10 09:11:39 | 読書
高橋是清をテーマとした新聞小説が始まると知り
楽しみにしていたが、うっかり、それを忘れていて
気がついたのは第四回目からだった。その四回目を
読む前に前三回目までの新聞を取り出しきてきてから
四回目を読んだ。
第一回目はいきなり二、二六事件で高橋是清が暗殺
される日から始まっている。
勝海舟の息子とアメリカに渡り、騙されて奴隷に売られ
帰国した後も共立学校(現開成高校)で英語を教え、
教え子に正岡子規や秋山真之などを出しながら、さらに後
要請されて、六度も大蔵大臣を務めた優秀な人物であるらしい。
現在、新聞に連載中の五木寛之の「親鸞」と共に
朝刊が更に楽しみになりそうだ。

中国の黄砂による放射能には、なぜ無反応?

2011-11-09 10:00:58 | 新聞
あるメルマガから記事を紹介。
放射線防護学の第一人者・札幌医科大学の高田純教授は、中国がウィグル地区で広島の原爆の1375発分に相当する規模の核実験を行い、100万人以上のウイグル人たちが死傷している事を訴えている。

 高田教授によれば、地表核爆発によって黄砂が放射能汚染され、それが偏西風に乗って、日本にも流されてきている。教授の推定では、黄砂によって日本人の体内に蓄積された放射性ストロンチウムは2千-5千μSvに達している、という。

 1.6μSvの牛肉に大騒ぎするなら、2千-5千μSvの黄砂には、その千倍以上も大騒ぎしなければならないだろう。しかし、こういう事を騒ぎ立てるマスコミはない。

「我が国は世界で唯一の被爆国」というのが反核勢力の常套文句だが、それなら放射能の被曝の影響を科学的に突きとめ、合理的な対応を世界に示す事が我が国の役割だろう。

コスミック出版「笑撃!テストの珍解答グランプリ555」から

2011-11-06 09:45:02 | 読書
近頃に中学生は学校へ「笑点」をやりに行っているのか。
・次の慣用句を使って文章を作りなさい。
「うってかわって」
彼女は薬を打って、変わってしまった。

・「どんより」
僕はうどんよりそばが好きだ。

・次の四字熟語を完成させなさい。カッコ内が正解だが
変○自○→変態自分(変幻自在) 
満○一○→満腹一杯(満場一致)
無○○中→無理心中(無我夢中)

・事の成り行きを、緊張しながら息を凝らしている様を答えよ。
なまずをのむ。(固唾を呑む)

・「国富論」を記した経済の父は?
マダム・スミス(アダム・スミス)

・日本の最南端に位置する島は?
沖ノ島鳥(沖ノ鳥島) 惜しい!

・鹿児島に来着し、日本に初めてキリスト教を伝来させた人物。
フランシス・コザビエル(フランシスコ・ザビエル)
などなど「笑点」メンバーも負ける。 

西本願寺と東本願寺

2011-11-05 08:45:21 | 歴史
十一年に亘った信長と大阪、石山に有った本願寺との石山合戦ののち
朝廷を介して本願寺は屈辱的な講和を結んだ。本願寺は城を明け渡し
紀州鷺の森、泉州貝塚、摂津などを転々とした。その当時の法主は
顕如であった。その後、秀吉の時代に変わり、秀吉は、この落胆の法主
顕如を拾い上げ、京は七条堀川に本願寺を建立させた。間もなく顕如は
病死し、長男の教如が法主になった。この人物は気性が激しく、石山合戦
が長期化し信長が手を焼き、朝廷を動かし和議に持ち込もうとしたが
飽くまで抗戦を主張し、父の顕如と対立したほどであった。
教如は、本願寺が石山から退去した後、父と離れ諸国を流浪した。
教如を拾った秀吉も彼のこの気性を知っており、石山合戦の再発を恐れ
僅か三年で教如に弟の准如に法主の位を譲らせている。
更に、政権は関ガ原の戦いで家康に移った。家康は本願寺と言う眠れる獅子を
手懐けたいと考えた。家康は教如に別の本願寺を造らせ、これが東本願寺と
なった。西本願寺は豊臣家の創建で、東本願寺は徳川家の創建であると言える。
西本願寺は太閤に恩義があり、徳川家には深い恨みを持った。この恨みは幕末
まで続き、維新前夜には、西本願寺は勤皇派になり、東本願寺は佐幕派になっていた。

司馬遼太郎「風神の門」から