春のお彼岸中日、昼の長さと夜の長さが半分半分となる日、太陽が真東から昇って真西に沈む「春分の日」である。ということは、きょうからは昼間の時間のほうがすこしづつ長くなっていくわけで、ソメイヨシノのサクラ前線も気がつけば、あと一週間ほどで中部から関東地方へとやってくる季節となった。
この記憶すべき春分の日に重なった今日は、1955年生まれのエムズ62thバースデー! ファンとしてはやはりうれしく、その記念にささやかながら祝意を表して、ちょうど十年前の2007年にリリースされたアルバム「デニム」を聴く。プロデュースは山下達郎&竹内まりやご両人名義、アレンジと演奏には名古屋発の長いバンド歴を持つ、センチメンタル・シティ・ロマンスが参加していて、このアルバムのいつもと違った多彩な色合い、方向性を決めていると思う。その「シンクロニシティ(素敵な偶然)」「人生の扉」の2曲は、いずれも聴くほどに履きなれたジーンズのようになじんできて、忘れることのできない懐かしさを呼び起こすような魅力を感じさせる大好きな曲。
演奏メンバーのクレジットを見るとピアノは細井豊、ペダル・スティールギターと間奏マンドリンソロは告井延隆と記されており、NHK「ソングス」での映像が記憶によみがえる。その映像は八ヶ岳高原音楽堂で収録されたもので、終わりにタイトル曲「人生の扉」が歌われていたのを鮮やかに思い出す。
アルバムでは、一曲に松たか子がバックコーラスに参加して華を添えている。
このアルバムは、冒頭の「君住む街角」以外は、すべてご本人の作詞作曲で、とくにラスト曲「人生の扉」は、五十代となった彼女からの同世代に向けたアンサーソング、応援歌、人生讃歌と呼べる珠玉の一曲だろう。最初の頃はそれほど感じなかったのだけれど、聴くほどにしみじみと胸に沁み込んでくるのは、そのストレートなメッセージがまさしくいまの自分がその世代と重なって同感することが多々あり、とっても勇気づけられるからだろうと思う。
ジャケット写真が写された建物は、おそらくは故郷出雲の門前にたたずむ老舗日本旅館と思われ、瓦屋根、畳部屋、その縁側、ふすまに障子戸、庭園の緑と、ここにも不思議な懐かしさが満ちている。スリムなデニム姿に白シャツ、またはノースリーブ、夏を感じさせる素足がいい。いつか、出雲大社を訪れたときに泊まることができたらと思う、きっとね。
歌詞の一節、「気がつけば五十路を超えた私がいる」とは、まさしくただそのとおり、「信じられない早さで時は過ぎ去ると知ってしまったから」日々を後悔のないように生きていきたい、現実はなかなかそうは簡単にいかないけれど。そして「五十代はナイス=素敵だ」といえるような過ごし方を自問自答しながら、そう思い至れる僥倖の日々は確かにあったし、これからもそうあってほしいと願っている自分が在る。
二十代のときのあの出逢いがなければ、その僥倖の日々は訪れてくれなかっただろうし、三十代、四十代はあっという間に過ぎして待ったような気がするのに、良くも悪くも確実にいまにつながっているのだと、お彼岸の中日、運命の不思議さに感じ入る。
この記憶すべき春分の日に重なった今日は、1955年生まれのエムズ62thバースデー! ファンとしてはやはりうれしく、その記念にささやかながら祝意を表して、ちょうど十年前の2007年にリリースされたアルバム「デニム」を聴く。プロデュースは山下達郎&竹内まりやご両人名義、アレンジと演奏には名古屋発の長いバンド歴を持つ、センチメンタル・シティ・ロマンスが参加していて、このアルバムのいつもと違った多彩な色合い、方向性を決めていると思う。その「シンクロニシティ(素敵な偶然)」「人生の扉」の2曲は、いずれも聴くほどに履きなれたジーンズのようになじんできて、忘れることのできない懐かしさを呼び起こすような魅力を感じさせる大好きな曲。
演奏メンバーのクレジットを見るとピアノは細井豊、ペダル・スティールギターと間奏マンドリンソロは告井延隆と記されており、NHK「ソングス」での映像が記憶によみがえる。その映像は八ヶ岳高原音楽堂で収録されたもので、終わりにタイトル曲「人生の扉」が歌われていたのを鮮やかに思い出す。
アルバムでは、一曲に松たか子がバックコーラスに参加して華を添えている。
このアルバムは、冒頭の「君住む街角」以外は、すべてご本人の作詞作曲で、とくにラスト曲「人生の扉」は、五十代となった彼女からの同世代に向けたアンサーソング、応援歌、人生讃歌と呼べる珠玉の一曲だろう。最初の頃はそれほど感じなかったのだけれど、聴くほどにしみじみと胸に沁み込んでくるのは、そのストレートなメッセージがまさしくいまの自分がその世代と重なって同感することが多々あり、とっても勇気づけられるからだろうと思う。
ジャケット写真が写された建物は、おそらくは故郷出雲の門前にたたずむ老舗日本旅館と思われ、瓦屋根、畳部屋、その縁側、ふすまに障子戸、庭園の緑と、ここにも不思議な懐かしさが満ちている。スリムなデニム姿に白シャツ、またはノースリーブ、夏を感じさせる素足がいい。いつか、出雲大社を訪れたときに泊まることができたらと思う、きっとね。
歌詞の一節、「気がつけば五十路を超えた私がいる」とは、まさしくただそのとおり、「信じられない早さで時は過ぎ去ると知ってしまったから」日々を後悔のないように生きていきたい、現実はなかなかそうは簡単にいかないけれど。そして「五十代はナイス=素敵だ」といえるような過ごし方を自問自答しながら、そう思い至れる僥倖の日々は確かにあったし、これからもそうあってほしいと願っている自分が在る。
二十代のときのあの出逢いがなければ、その僥倖の日々は訪れてくれなかっただろうし、三十代、四十代はあっという間に過ぎして待ったような気がするのに、良くも悪くも確実にいまにつながっているのだと、お彼岸の中日、運命の不思議さに感じ入る。