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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

箱根湯本温泉湯場通り

2019年11月13日 | 旅行

 晴れた休日の昼前、箱根湯本駅を降りると外国人の姿が結構目につく。先月の台風19号から約ひと月、その影響は表面上なく、にぎやかなメインストリートをしばらく歩けば、レトロな洋風建築の湯もち本舗「ちもと」本店につく。まずはここでお土産のお菓子セットを買ってから、国道一号線を左にそれてすぐ、早川にかかる湯本橋をわたると、湯場といわれる箱根湯本温泉発祥の地だ。橋のたもとには、老舗蕎麦屋に行列が並び、正面つきあたりには木造の古い三階建て温泉宿が見えていた。学生時代からもあまり変わらぬたたずまい、昭和の古き良き温泉街の情景が残されていてどこかほっとした気分にさせられるのは、こちらが年齢を重ねたからだろうか。

 まずは温泉宿の奥まった熊野神社に参拝する。参道階段のわきでは源泉櫓が今も現役だ。そのすぐ脇に「箱根温泉発祥之地」の碑があり、「百一歳 高橋輿平」と刻まれている。この長寿の主は、この地区の老舗旅館創業者の名前だ。新潟県旧松之山町の出身で、上野御徒町の鮮魚商店として身を起こし、昭和八年(1933)に箱根のこの地に隣接してあった湯本館を買収して「吉池」として開業し、五年後に隣接して売りに出いていた旧三菱財閥岩崎小弥太別邸の買収に成功していまに続いている。なかなかの立志伝中の人物だったらしく、「吉池」の名は田舎生家屋号か、そのちかくにあった池の名をひいたらしいと聞く。

 ひとまず参拝のあと、日帰り入浴受付開始時間には間があったので、湯本方向にもどって炭火焼き魚の店「喜之助」で、アベックに挟まれてカウンターで昼食をとる。午後一時半、ふたたび吉池へと戻って受付でタオルを受け取り、長い廊下を通って大浴場室へ進む。五月の母の米寿祝いに泊まって以来だ。まだ、だれも利用客の姿は見えない。大浴場は、かつての温室を利用したというジャングル風風呂でゴムの木が生えている。湯舟はひと泳ぎできるくらいに広くて、湯量が豊富だ。続いて庭園に隣接した露天風呂へ。まだ紅葉に早くてすこし残念だったが、こちらも広々として気持ちが清々する。

 午後の陽ざしがでてきて、水面に反射して揺らぎ、湯気を浮き立たせている。ここは自家源泉が六本もある正真正銘のかけ流しで、循環装置なしの自然流下式だそうだ。浴槽内の岩に背中をもたらせ、空の雲を眺めて大きく深呼吸する。股間が漂流物と波間の海藻みたいにゆれるのは愛嬌としよう。どこからともなくアントニオ・カルロス・ジョビン「メディテーション」のメロディーが脳天に浮かんでゆったりと流れてゆく。

 湯上りに旧岩崎別邸のなごりをとどめる山月園となずけられた庭園を散策する。一万坪あるという回遊式庭園の大池には、須雲川からの豊富な水が滔々と引き入られていて、何匹もの錦鯉たちが悠々と泳ぎまわっていた。サイフォン式と思われる噴水がいくつかの場所で見受けられて、これは水流が豊富な証拠だ。木造瓦屋根拭きの平屋別荘建物は明治42年(1902)の竣工で岩崎家の恩恵をいまに形として残す。今秋、小田急ロマンスカーCMに庭園風景とともに映像が流され、おもな駅ポスターとして掲出もされている。そのコマーシャルソング「ロマンスをもう一度」(気恥ずかしくなる!)を若手シンガー青葉市子が可憐な声で歌っていて、これがなんとも郷愁と旅愁をかき立てるのだから。

 中島にある大きな雪見灯篭は、同じものが大阪城にもあるそうで、明治時代に三菱の財力でこの箱根の地に運び込まれたのだろうか。かつては庭の中央、池を見下ろす場所に明治42年、ジョサイア・コンドル設計の二階建てヴィラ風洋館が建ち、大正12年の関東大震災で倒壊してしまうまで威容を誇っていた。その瀟洒な姿はフロント壁面のモノクロ写真に残っている。そんな庭園にしばらくたたずんでいた。

 さあ、晩秋の日はそろそろ傾きつつある。ぶらぶらと駅まで歩いて、帰りはロマンスカー箱根56号湯本発午後3時56分に飛び乗って、家路につくとしよう。

 旅館入口にある旧岩崎別邸庭園案内板。岩崎彌之助についても記している。

庭園シンボルツリー、ヒマラヤ杉の大木。大正時代、この右横にコンドル設計の ヴィラがあった。