日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

明治神宮外苑周辺を歩く

2017年07月23日 | 音楽
 この夏、新装なった日本青年館ホールの竣工記念演奏会を聴きに、久しぶりに都心に出る。ちょうど三年後に迫った2020年東京オリンピックの開閉会式場、陸上会場となる新国立競技場建設のため、旧敷地を提供して外苑前駅寄りに新築移転したのだ。
 東京駅から中央線快速を四谷駅で各駅停車に乗換えて、最寄りの千駄ヶ谷駅でおりる。駅前の東京体育館を横切ったさきのぽっかり生まれた空き地に大型クレーンが林立している。ここが新国立競技場の建設現場で、いまは基礎工事の真っ最中だ。
 その設計コンペ選考結果を巡ってひと騒動の末、当選したザハ・ハディド設計案の白紙撤回、そして再公募による隈研吾+大成建設案による新プラン決定を経てのようやくの着工開始だ。いっそのこと、名誉ある撤退か、五十年前のオリンピックの遺産である旧競技場の改修案、あるいはここがもし建築物がなにもない大都会に出現した原っぱのままでいこうという英断がなされていたならば、未来にむかっての豊かな環境形成におおきく貢献していただろうと夢想する。はたして、いまここに三年後のオリンピックを迎える高揚感はあるだろうか。
 暑さのせいもあって、いささか重苦しい雰囲気が漂う巨大クレーンのそのむこうには、外苑聖徳記念絵画館を巡る緑がひろがっていて、都心の高層ビルがスカイラインを突き破って立ち並んでいる。
 
 外苑西通りを日本青年館へとむかって歩く。この季節のこの時刻まだ日は長く、演奏会開演までにはまだ少し時間がある。通り沿い行列店、ホープ軒のカウンターに連なり、白濁スープのラーメンでお腹を満たすことにした。外観が黄色のビルは、間口は長いが奥行きは極端にせまく、厨房のすく先に裏通りが見えている。もとはタクシー運転手が深夜立ち寄るうちに、次第に評判を呼んで繁盛店となっていった古くからの店舗をそのラーメンの売り上げだけで、ついに四階建てのカミソリ型ビルを建てるにおよんだのだろうか。
 すぐさきの仙寿院トンネルの交差点、その角には窓がまったくない巨大な白い箱型のビクター音楽スタジオビルがある。ここではサザンオールスターズをはじめ、有名ミュージシャンのレコーディングがいくつも行われていて、ポピュラー音楽業界では有名な場所らしい。たしか、原由子さんの新聞連載エッセイで読んだかな。

 その交差点を渡った通りの右側は、いまは再整備のため、高い鉄板にかこまれてしまってる。かつての明治公園および古びた都営霞が丘住宅があった場所だと気がつく。そのまま少し進んで、旧日本青年館のあった場所を右折して神宮球場が近づいてくると、見えてくるのが15階建の真新しい建物、一般財団法人日本青年館ビルだ。
 一階のエントランスとロビーは、通りに沿って間口は長いがさほど広さは感じられない。建物二階から四階に新しいホールを内包し、そのうえの中層階がオフイスフロア、そして九階以上の高層階が宿泊施設となっている。前に比べると敷地が狭くなった分を高層化していて、やや味気ない感じがするのは仕方ないか。せっかくだから、九階のホテルフロントまであがってみる。エレベーターをでた先のロビーは全面ガラス張りの眺望のよさで、なんと神宮球場を一望に見下ろすことができる。もちろん、外苑周辺の森一帯や秩父宮ラグビー場、青山通り沿いや港区方面の高層ビルなどもこれぞ都会風景!といった感じでそのままに望める。このあたりでは貴重な公共的ホテルは八月一日が正式オープンとのことで、いまは招待客の宿泊期間中で、本番開業の予行演習もかねているらしい。フロントスタッフの様子がどことなく見習い風の雰囲気がしたのはそのせいだろうか?まあ、余り気取られるよりも、そのほうがいいかな。

 しだいに球場のカクテル光線がきらめきだす。内外野スタンドがそくぞくと観客で埋まりだした。フィールドでは、キャラクターのぬいぐるみたちとチアガールたちの華やかなショーが始まっている。今夜はプロ野球の公式戦があるらしい。そのうちに選手たちがベンチ入りをはじめた。やっぱり、こころから野球を楽しむには、ドーム内ではなく、屋外で汗をかきながらでなくては!

 その夕暮れの空のもとに広がる情景に見とれながら、ロビーのソファーで、再読をはじめた村上春樹×川上未映子「みみずくは黄昏に飛び立つ」の読みかけの頁をめくる。この都心には、みみずくは棲息してはいないだろうけれども、ひょっとしたら明治神宮の深い杜には、野生のコノハズクくらいは何羽か棲みついていてもおかしくないだろう。そのコノハズクは球場のカクテル光線が消えた後に、夕暮れのビル街を飛び回っているのかもしれない。


 新国立競技場建設のクレーン、左側の黒い影は東京体育館の屋根(2017.07.22)


 日本青年館ホテル九階ロビーからの眺め。神宮球場の芝生、秩父宮ラグビー場と青山通りのビル群。

 夜の演奏会のほうは「日欧室内楽の夕べ」のタイトルにふさわしく、前半が筝・尺八・津軽三味線の邦楽器三重奏、A.ドヴォルジャークの弦楽三重奏、さらにその両方の全楽器がジョイントした現代曲「アース・スペクトル」(これが美しいアンサンブルでよかった)、後半が男性兄弟ピアノデュオによるリスト「ハンガリー狂詩曲」、A.ピアソラのモダンタンゴをジャズ風にアレンジ、最後が全員による現代曲でにぎやかなフィナーレ。なんとも真新しい舞台に映えての明るくまぶしい印象の演奏だった。

 演奏会が終わってまだ日中の暑さが残るなか、もうすこし都会のさんざめきの余韻を楽しもうという気分になる。ほんとうに久しぶり、外苑前から青山通りをそのまま表参道入口まで歩いて地下鉄駅にもぐると、ちょうどやってきた郊外乗り入れの列車に乗って帰ることにしよう。

(2017.7.23 大暑の日に記す)

追記:この文章をアップした翌日、青山通りの老舗ベーカリー「アンデルセン」の閉店ニュースを夕刊新聞で目にした。広島市中心街にレンガ造りの本店があって、住まいのちかくのデパートにも支店があるが、ここはシャレた青山通りに面した暖かい雰囲気のレストランを併設した大好きな店で、若き友人がしばらくの間、アルバイトをしていたのを思い出す。今月31日までの営業だそうだが、それまでにもういちど訪れてれてみることは叶うだろうか。

小暑七夕、静岡への旅

2017年07月12日 | 旅行
 早朝、私鉄の終点小田原でJR東海道線に乗換える。相模湾から駿河湾へと連なる風景を眺めながら、在来線を乗り継ぎ、西へと向かう旅。空模様は曇りだけれども、おそらく雨降りにはならないだろう。根府川ホームでしばらくの停車、遠く水平線の境目がつながっているように見えるくらいの明るさ。
 そうして約二時間ほど、車窓を眺めながら西方へと移動につれて海辺が近づいたり、街並みの向こうに隠れたりしながら、午前十時半すこし前に静岡駅に到着した。そのまま構内新幹線改札前での待ち合わせ時間を待つ間、ほんとうにうまく再会できるのだろうかという思いは、うす空色のショールをまとった夏姿を改札の向こうに見つけたことで杞憂に終わった。ゆっくりとした静岡の時間がはじまる。

 まずはシャトルバスに乗りこみ、日本平へ向かう。駅から南に下って約三十分、標高三百メートルほどの小高い丘陵にひらかれたゴルフコースに隣接したホテルの芝生広場は、南東方向にひらけていて清水港と三保の松原のむこうに駿河湾が一望できる風光絶佳の眺め。もしこの暑さによる水蒸気が上がっていなければ、東方の山並みの視線の向こうには、日本平の名にふさわしく富士の霊峰が望めるはずだ。芝生のなかの木陰に入れば、海の方向から吹き上ってくるそよ風がひたすら心地いい。谷の向こうからウグイスの鳴く声がきこえてくる。のんびり、ゆったりとした時間が過ぎていく。
 ホテルのラウンジに戻って、ガラス越しの芝生に点在するいくつかの庭石と緑と遠い海を眺めながら冷たい飲み物でひと休み。ここでは、地上の喧噪は遠い世界のことのようだ、ほんのすこしの距離なのに。


 晴れてきた日本平から清水港、三保の松原を望む(2017.07.07)

 ふたたびシャトルバスで街中にもどったら、遅めのランチをとったあとに駅の反対側、駿府城公園口へと出て歩き出す。その名の通り、中心に池を配した日本庭園を抱えるようにして、浮月楼と呼ばれる日本家屋と中層ビルに囲まれた一角。駅前からすぐなのにそこには大木が茂ってこころもちか少し涼しい。 
 こじんまりとした庭園の植栽のうち、そのシンボルは水辺に枝を伸ばして緑陰を作り出しているハル楡と日本家屋の脇にある大きな泰山木だろう。泰山木は庭から見上げてもわからないけれど、建物八階の窓から眺めると大きな白いよく目立つ花をいくつか付けている。もう少し早い時期なら、たくさんの花々模様が緑に映えて見事なことだろう。もうひとつ珍しいのは、その泰山木のすぐ近くで見つけた温暖系樹木ナギの木で、厚手の青々とした葉を茂らせている。神がつかわした八咫烏がくわえている姿として描かれ、縁起モノとして尊ばれていたりする。
 もともとの庭園中央池のなりたちは、安倍川の伏流水が噴出して集まってできたものらしく、復原されたと思われるせせらぎが二方向から注ぎ込んでいた。橋の手前には蘇鉄、竹林、半夏生、百日紅など、説明書には作庭小川治平衛とあるけれど、現在の姿からはその面影は薄い。かなり当時の敷地が失われてしまっているのだろう、それでも貴重な緑と歴史的遺構がいまに健在で活用されているはいいことだ。
 池に架かる弓反り橋に立って眺める向かいのお茶室は、ライトアップされると壁面の黄金色が妖しくて、外からは想像ができない情景だろう。そのまぶしさに惑わされたのか、池の水面に月の浮かぶ姿が映っていたのかどうかは、見損ねてしまっている。

 夜の静岡の街中をそぞろ歩き、駿府城公園の手前までいって暗くなってしまった園内に入ることはあきらめた。市庁舎の角から繁華街の方向へもどって、宿の近くの渋いたたずまいの居酒屋へ入る。大正時代の創業なのだそうで、にぎわっていて、まちなかでみんなに愛されいるのがその中に入った瞬間から伝わってくる。安くておいしく、昭和時代の堆積した空間でしばしの寛ぎ、よき静岡の七夕の夜。
(2017.07.12 書出し、07.16 初校)