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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

2020年はどんな年になるのだろう?

2020年01月31日 | 日記

 きょうで、2020年元号“令和”最初の正月もおしまいの区切り。明日というかあと数分で暦上は如月へと変わって、一年の十二分の一が過ぎていこうとしている。うかうかしていると何もなしえないまま、時の流れだけは年々早くなっているように感じるのは、どうしてだろうか。

 令和の年号は、万葉集の「初春の月令しく、気淑くて風和らぐ」から来ている、という。これは天平二年正月に太宰府の大友旅人邸宅で、梅見の宴が開かれた際に読まれた歌三十二首が納められた巻五の序文に述べられていると、美術史家の高階秀爾さんが新聞連載エッセイ「美の季想」で書いていた。

 高階さんが格調高い文章で取り上げていた表題は「初春の白梅」、江戸中期の詩人にして画家としても有名な与謝蕪村(1716-1784.1.17)とその高弟松村月渓(呉春)についてだ。蕪村は教科書でも出てくるくらいで大方に知られているが、さすがに呉春の名は一般的に知られてはいないだろう。その呉春の師に捧げたという「白梅図屏風」画(逸翁美術館蔵)とそれにまつわるエピソードは、いまの季節と相まってなかなか興味深い。それは何かというと、蕪村の臨終の床での句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」が、呉春の六曲一双の屏風画「白梅図」と呼応しているというもので、高階さんは「蕪村追慕の情の表れと言えるのではないだろうか。」と考察している。

 このエッセイ上段には、その「白梅図屏風」の写真が掲載されている。それをしげしげと眺めると、青みがかった薄明かりの背景にぽつぽつと咲き出した一本の白梅の情景のとなりに蕪村の亡霊が浮かんできそうな気配すらある。まさしく「ようやく夜明けの気配が忍び寄る暁闇の涼気のなかに、玲瓏たる香気を漂わせて独り立つ白梅の姿」であって、蕪村の弟子高井几董の記述をひいて「蕪村が世を去るにあたって思い浮かべていた世界」と結論づけている。こうなると関西に行った折にはこれを所蔵する大阪郊外の地にあるという美術館を訪ねてみて、ぜひとも本物の屏風画と対面をしてみたいと願わずにはいられない。

 ところで、エッセイには元号と月が旧暦表示であることが示されていないため、蕪村の68歳没年の西暦年表記が一年ずれて(1783)とあったりする。臨終の12月とは新暦ではほぼひと月あとになるから、命日である天明三年12月25日(旧暦)は、新暦だと1784年1月17日にあたる。そう読み直してみれば時系列的にすっきりと納得がいく。
 旧暦12月の史実については、新暦との混合とそこからくる誤解が生じやすいものと留意を要するだろう。九州大宰府でも梅は、いまの師走月大晦日では硬いつぼみのまま、睦月の半ばから如月はじまりの時期になってぽつぽつと咲き始めるもの。さきの万葉集の序文に書かれた令和にふさわしい時候は、旧暦の正月すぎ、新暦でいうともうしばらく先の立春の如月四日すぎあたりからだ。

 新年あけての江の島詣でのあとは、二度目のお伊勢両参り、そして三度目のソウル行きから戻ってきたばかり。なにかと公私ともにいつになく慌ただしかった。今宵、天空にはまだらの雲影、その間から覗く星々と切れ長眉のような三日月が冴え冴えと耀き、その分冷気は澄みきっている。すでに日の出は六時半過ぎ、日の入りは17時過ぎ、すこしづつ日は長くなりつつある。(書き出し:1月31日、校了は2月4日)


 睦月のロウバイ(撮影:厚木郊外上荻野 2020/01/21)


 如月のマンサク(撮影:町田天満宮 2020/02/03)


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