日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

雨水過ぎて草木萌え動く

2017年02月23日 | 日記
 立春から約三週間がすぎて、故郷では雪の表面が溶け出して流れだし、冬の間を忍んできた草木の芽々がようやく膨らみだすころだ。この時期、私的にはまたひとつ齢を重ねて、還暦までもう片手の指折りで到達する年代となってしまった。ただ時の流れの無常の前にここまで来てしまったのかな。いままでがあまり大きな変化がなかったといえばそうだし、その分いまになって普通よりも十年おくれで人生の課題がまわってきているようで、キリギリスになってしまったかのような動揺も感じる日々。
 
 先週、二十四節気でいう雨水翌日の休日は、自転車で久しぶりに中央林間「慈緑庵」へ。園内の書院は一般利用があり、立春の室礼の様子を見ることは叶わず少々がっくり。その先、相模カンツリークラブ手前に残る旧米軍将校向けに建てられた広めの敷地割の平屋建て住宅、通称“ハウス”群がわずかに残る一角を巡る。ここだけが、民間地でありながらすこし周囲と違ったかつての輝いていた頃のアメリカの空気が流れているのを感じる。学生時代に初めて巡ったときのなんともいえないエアポケットにハマったような不思議な非日常的感覚を思い出す。

 ここを歩く楽しみは、その一角に異能の建築家白井晟一設計の「桂花の舎」(M邸、1983-4)があり、その周囲をゆっくりと巡って経年の変化を眺めること。家の周囲壁に瓦を載せて赤レンガを埋め込み、いかにも左官職人仕事の片鱗、コンクリの荒い塗り壁でまわした平屋建ての低い屋根の軒先が伸びる前庭に名前の由来としたのだろうか、大きな金木犀が植わっている。
 少し奥まった玄関前の門扉と車庫(倉庫)扉が揃いの白木の格子でデザインされているのが印象的で、洗練された重厚な都会の民家、といった雰囲気を漂わせる。おぬし、ダダものではないなと思っていたら、白井晟一設計と知り、こんなところに彼の最晩年の住宅があることに驚かされたものだ。とにかく、変わらずに存在してくれている姿に安堵する。

 午後は16号線を超えてまほろ方面へ走り、方運山青柳寺(日蓮宗)へ移動する。境内にある、まほろゆかりの文人墓碑めぐり。墓地の入口手前に和スイセンが咲き、馥郁とした香り。梅の花も盛りだ。 
 歩みをすすめて、まずはいま文学館で「散歩の愉しみ」が開催されている野田宇太郎の墓前へ。黒色の細身のつくりで、隣は堅実な銀行員詩人だった、田中冬二。その向かいは乾直恵、蒲池歓一と昭和初期時代の詩人たちの墓碑が集まっている。少し離れて、自然石に「寂」と一時書かれた映画人栗山信也の墓、これはなかなか人柄も彷彿とさせて見習いたいくらいのいい感じ。通路を隔てたブロックには、石川桂郎、高木蒼梧、人見勇といった名前だけは聞いたことのある俳人・詩人たちの墓誌もある。
 それにしてもいかにして、安息の地としてここの地を選びたもうか。強者どもが夢のあとではない、それぞれの文学人生の小さききらめきのような一角。此の世を去っては、おそらくみなさん平等です、ただここに偲ぶ人あり。

 追記:如月11日、イラストレーター原田治、12日アル・ジャロウ(ジャズシンガー)逝去。おふたりとも、学生時代から、その作品を通して親しんだ方たちの冥福を祈る。


御殿場駅前広場、“LOVE is ART“ を大胆にも標榜する珈琲屋兼中古カメラ屋?(2017.02.03)
芸術愛はわかるけれど、LOVEが芸術なんて!いえる? LOVEすることは信頼の証し、快楽の追求、人生の妙味?


いよいよ、この人の長編小説新作が間もなく発売になる。
まほろ市内書店で見かけた予告ポスターは、拍子抜けする位になんの変哲もないデザイン。

白い朝に目覚めて

2017年02月11日 | 日記
 目覚めたら、白い朝だった。

 昨日から降った雪が芝生やツツジ、常緑の植栽の葉の上に積もっていたのだ。しばらくして、東方からの朝の陽光が中庭に差し込み、ケヤキの冬樹形のシルエットをマンションの白い壁面のカンヴァスにしてくっきりと映し出すようになる。

 ぼんやりと一週間ほど前、木曜日のできごとを反芻してみる。

 午前10時すぎ、新幹線で新横浜から三十分くらい乗車するとJR三島駅に到着する。駅前ロータリーからの美術館行連絡バス、目指すは目前にそびえている富士山ろくの「クレマチスの丘」と名付けられた風光明媚な庭園美術館だ。クレマチスの花の季節には早すぎるが、この時期の澄んだ空気の中の情景もなかなかのもので期待が高まる。
 まずは、杉本博司が内装と坪庭を設計した写真美術館。モノクロの動物写真展「せかいをさがしに」を見て回る、古代の岩積の石棺のような苔庭、白くてシャープな空間に浸る。

 センターコートに戻って、ゆるやかな通路を上ると視界がぱっと開けて、芝生広場のむこうにコンクリート打ち放しの彫刻庭園美術館と三島市街が望めた。こんどはゆるやかな下りとなり、石庭を通って小さな入口から下るとすぐに美術館内に誘われる。イタリア人彫刻家ヴァンジの作品が並ぶその美術館を出ると、クレマチスガーデンと呼ばれる第二の芝生広場が広がる。芝生の端に円形の小さな池があって、中央に水の流れる女像のブロンズ彫刻が佇み、夏になると睡蓮の花が浮かぶ様子を想像できる。これはやはり、春から初夏にもういちど訪れてみるべきだろう。

 カジュアルなイタリアン・レストランでピザをつまんでひと休みの後は、別荘地をぬけて小さな渓谷の上に架かる吊り橋を渡って、すこし離れたエリアにあるベルナール・ビュッフェ美術館へ移動する。ここまでの景観の変化もあきることがない。入口正面で楠の大木が迎えてくれる。建物の設計は菊竹清訓で、1973年に開館してもう45年になるが古さを感じさせない。ふとどこかで見てきたかのような気がしてきて、そういえば、箱根彫刻の森美術館の分館ピカソ館みたいだ。あちらも同じ菊竹の設計だろうか。
 館内にはいれば当然、B.ビュッフェ一色、この人の尖って暗い印象のある絵は好みが分かれるだろう。意外にも都会の摩天楼を描くと、この画家のスタイルにマッチしているのがおもしろい。大空間のキリスト像の連作は、ひたすら痛々しく悲惨な印象ではあるが、館内の雰囲気は白基調のせいか妙に明るい印象だ。ここ富士山麓に、エコール・ド・パリ最後の世代の大コレクションがあるのが不思議な気がしてくる。


 帰りの三島駅行きのバス、振り返ると冠雪の富士山が覆いかぶさってくるかのようだ。その日は三島駅から隣の沼津まで移動し、まだ明るいうちに駅前の真新しい宿にチェックインして、翌日の御殿場線の旅に備えることに。

 やさしく羊を数えた長い夜に、クレマチスの花の精の深い夢を見る。


ヴァンジ彫刻庭園美術館の芝生広場から、箱根外輪山の連なりを望む。


御殿場東山のとらや工房特製どら焼き、焼印が富士の形に「と」を組み合わせたもの。