日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

ドナルド・キーンとE.J.サイデンステッカー

2019年03月15日 | 文学思想
 それはことし如月のころ、24日。その日早朝、日本に帰化した著名な日本文学研究者ドナルド・キーン氏が96歳で天寿をまっとうされたことは、まず、養子キーン誠己さんのブログ「日々 ドナルド・キーンとともに」において、深夜23時16分に発信されていた。

 入院先の台東区の病院から北区西ヶ原の旧古河庭園に隣接した自宅マンション畳の間に安置されたご遺体のそばには、白いバラとカスミ草の供花が映り、マリア・カラスのCDが映っていた。マリア・カラスは、ジェシー・ノーマンとともにキーン氏の好きなオペラ歌手であったようだ。
 翌25日朝刊の一面には大きく訃報が、三面には評伝が掲載され、日本文学研究と海外紹介における輝かしい業績を伝えていた。続いて26日と27日の文化・文芸欄にも追悼記事が掲載され、26日は作家平野啓一郎の寄稿文、27日は親しい著名人の談話取材記事である。日本文学研究者としては破格の扱いで、それだけ日本を愛し、日本人のメンタリティに深く訴えかけて、多くの日本人に愛されたからなのだろう。2011年東日本大震災後の帰化申請と日本国籍取得のニュースがその契機となったことは、一般的には間違いないだろう。
 その人柄は謙虚でつつましくエスプリに富んでユーモアがあり、人懐こい笑顔の素敵な方だったようだ。それは、孫ほど歳の離れた平野氏がひたすら称賛する「ユーモアと笑顔 憧れだった」とリードされた追悼文からも十分すぎるほど伺える。

 今月に入ってからも6日文化・文芸欄で、養子のキーン誠己さんが養父の思い出について取材をうけた記事が掲載された。旧姓が上原、68歳の誠己さんは、「(父は)我々以上に日本を楽しんだ」と晩年の日々を語っている。それによれば、亡くなる五日ほどまえに「You are everything for me」と発したのが、息子への最後の言葉となったという。十二年間をともに過ごした新潟市生まれの元文楽座員で古浄瑠璃三味線奏者の存在は、日本文化を象徴するものであったのだろう。ブログ「日々 ドナルド・キーンとともに」をたどってみると、飾らないおふたりの日々の暮らし、旧古河庭園の散歩やちかくの霜降商店街での買い物や人々との触れ合い、最後となった2018年3月のニューヨーク行きの様子などがスナップとともに拝見できで、ほのぼのとしたあたたかい気持ちになる

 アメリカ出身の日本文学研究で想い出したのが、2007年に亡くなったエドワード・ジョージ・サイデンステッカーだ。1921年生まれだから、キーン氏の一歳年上である。ともにコロンビア大学で学び、教授となった。調べてみるとふたりとも戦時中は、米海軍の日本語学校で学んだことも共通している。戦後、サイデンさんは東京大学、キーンさんは京都大学へと留学して日本文学研究を深められたというが、はたしてふたりの関係はどのようなものであっただろうか? わたしには、しばらくのあいだ、おふたりの区別がうまくつかずに、失礼ながら混同してしまうところがあった。
 サイデンさんは上智大学で教えていた時期もあったが、コロンビア大に戻ったあと、晩年は来日して台東区湯島のマンションに暮らしていた。江戸の情緒と下町と落語を愛し、永住も考えていうことだが、春の不忍池を散歩中に転んで頭部を強くうち、四か月後の夏のおわりに亡くなってしまった。そのときの日本人の反応は、キーンさんのときほどではなかったように思える。
 生前に受けた栄誉も、キーンさんは長生きされた分、さらに幸運な出逢いを得た感もあるが、ふたりには明かな差があるだろう。私生活では、おふたりとも生涯独身を通された(サイデンさんは断定しないが)。生まれはコロラドの田舎がサイデンさん、生粋のニューヨーカー、キーンさんはハドソン川に臨むブルックリン地区が生家だから、もともとの都会人なのだ。

 亡くなった2007年の11月、ゆかりの上野精養軒で行われた偲ぶ会では、キーン氏も弔辞を読まれたことがわかる。キーン氏によれば、同じ日本文学でもカバーする分野がちがったという。でも、日本文学に開眼したきっかけのアーサー・ウエイリー訳「源氏物語」は同じであるし、永井荷風、谷崎潤一郎を評価するのもいっしょ、違いがあるとしたら、夏目漱石と川端康成はサイデンさん寄りで、三島由紀夫と石川啄木がキーンさんか。こらはもう、好き嫌いの相性のようなものと言ったらいいすぎか。やっぱり、なにかと比べてみたくなるのは仕方ない。

 そこで勝手な空想だが、おふたりがもし健在なら現代の作家の代表として、カズオイシグロは両者が好み(じっさいキーン氏は高く評価している)、村上春樹はすくなくともキーン氏はあまり好まず、サイデン氏は、それなりに評価するのではないだろうかと思う。
 おふたりは、しばしば上野界隈ではとんかつの老舗「ぽん太」で会食されていたという。どんな会話をされていたのだろうか。


 この時期はちかくの校庭片隅に、西洋水仙の群生。大柄な花輪のうすクリーム色が清々しく。(2019.03.15 撮影)


 近所の庭先、白木蓮レンレン、青空に映える。いよいよ、春本番! 


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