新年があけてからは、澄んできりりと冷えた空気を浄化するようにくっりと青空が広がっている。この季節、こちらが晴れていれば、日本海側は寒波で大雪の苦難の日々だ。
このところは目覚めてしばらくすると東方がうっすらと輝きだし、七時ごろにはみるみる明るくなってきて、やがて朝日の光に中庭のケヤキの梢がマンションの壁をスクリーンにして、大きく広がった枝々の影を映し出していた。すまいの近くの公園脇に残された雑木林へ、咲きだしたばかりのスイセンを花束にしようと出かける。一面に熊笹の茂る斜面をかけあがって高台にでれば公園のグランドとマンション越しに、群青色の丹沢大山の山並みが連なっている。その連なりの合間にほんの少し、コンニチワといった感じで冠雪の富士山が頂をのぞかせていた。
すこし背筋を伸ばして深呼吸をする。明るい陽光に映えて、黄色い盃を抱いた水仙の香しい花々と新春の霊峰不二の取り合わせは、なかなかいいものだと思った。その花束は住まい玄関に生けて、地元の鈴鹿明神社でいただいた戌歳縁起の陶器物とならべて飾っている。
年末年始にかけては、二冊新書を読んですごした。その一冊目は、建築史家井上章一氏による「京都ぎらい 官能編」、ベストセラーの続編である。師走初旬、京都へ二泊三日の旅をしていたこともあり、店頭で派手な帯言葉が踊る平置き本を見かけて、すぐに手に取る。いわゆる柳の下の二匹目のドジョウものだが、ややお遊びがすぎている感もある反面、異色の京都の歴史文学と都市論になっていてなかなか愉しい。井上氏は1955年嵯峨野生まれだから世代がちかい。ひろく名が知られることになった「つくられた桂離宮神話」は、来日したブルーノ・タウトの権威をひいて、当時の建築学派の面々がいかにして桂離宮を日本建築の清華として崇めていったかを自明のものとしていて、そのユニークな日本文化論にいたく喝采をした記憶がある。
今回もまた本書を読んでいるうちに、嵐山や嵯峨野をふたたび訪れてみたくさせられる。元祖アンノン族、ディスカバージャパンの掛け声にのった京都観光の側面、渚ゆう子やデューク・エイセスによって歌われた歌謡曲の中に描かれた大衆における京都幻想の考察など、笑いながらもうなずいてしまうこと多し。渚ゆう子の「京都の恋」「京都慕情」はともに1970年、作詞は「サザエさん」の林春生、作曲がなんとベンチャーズというのがユニークであり、うまく日本人心性における京都イメージのツボを押さえつつも、不思議とエキゾチックに聴こえる。
最後はいささか尻切れトンボの感がありだが、これは何よりも京都の田舎人を自認する著者自身の青春回想録でもあると思えばすんなり納得するだろう。
もう一冊は、赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」(岩波新書)。読み通したのは、2014年金沢行きの後以来、通算四度目になる。何度繰り返し読んでも、お茶をめぐる世界とその中心の利休を語って無意識の世界を覗き込むような、そのたびに新しい発見がある。とても不思議な本だ。
何よりも楕円の茶室という着想がおもしろいが、ふたつの中心が等距離に描く軌跡の世界の中に無限の宇宙が想像されることが赤瀬川さんならではの発想、直観だと思った。利休にデュシャン、路上観察トマソン物件が結びつき、建築家の原広司、美術家の河原温、パウル・クレーの名がでてきてスリリングである。利休とデュシャンの対比について、杉本博司氏も同様に語っているのは、まったくの偶然ではないだろう。侘び寂びとシュールリアリズムがつながり、建築において桂離宮はモダニズムのさきがけとして位置づけられる。もちろん、利休となれば京都山崎の妙喜庵の茶室待庵との対面エピソードもでてきて、著者の描くイラストも掲載されているので、先月にそこに身を運んだ体験をもったばかりの身としては、思わずうなってしまう。
なにげない古新聞包みの安らぎのエピソードも、おやっと思わせて、その行為の底にあるのは「不安を優しく包んだリズムなのだ」という心情にうなずく。この本の結びは「他力の思想」である。おのれが人事をつくしたあとは「自然に身を預けて」あるがままにということか。本文の最後は、つぎの文章でひとまず終わっている。
“偶然も無意識も、それは自然が成すことである。それに添って歩くことは、自然に体を預けることだ。他力思想とは、そうやって自分を自然の中に預けて自然大に拡大しながら、人間を超えようとすることではないかと思う。私もそうやって拡大した自分の体の自然の中で、拡大した利休に出合ったのだった。”
このあとに短いあとがきがあって、その日づけが 1989.12.19 とあり、著者52歳の冬のこと。言葉と意識、偶然と無意識、そして人智をこえたところの自然。
(2018.01.07書出し、01.12初校)
このところは目覚めてしばらくすると東方がうっすらと輝きだし、七時ごろにはみるみる明るくなってきて、やがて朝日の光に中庭のケヤキの梢がマンションの壁をスクリーンにして、大きく広がった枝々の影を映し出していた。すまいの近くの公園脇に残された雑木林へ、咲きだしたばかりのスイセンを花束にしようと出かける。一面に熊笹の茂る斜面をかけあがって高台にでれば公園のグランドとマンション越しに、群青色の丹沢大山の山並みが連なっている。その連なりの合間にほんの少し、コンニチワといった感じで冠雪の富士山が頂をのぞかせていた。
すこし背筋を伸ばして深呼吸をする。明るい陽光に映えて、黄色い盃を抱いた水仙の香しい花々と新春の霊峰不二の取り合わせは、なかなかいいものだと思った。その花束は住まい玄関に生けて、地元の鈴鹿明神社でいただいた戌歳縁起の陶器物とならべて飾っている。
年末年始にかけては、二冊新書を読んですごした。その一冊目は、建築史家井上章一氏による「京都ぎらい 官能編」、ベストセラーの続編である。師走初旬、京都へ二泊三日の旅をしていたこともあり、店頭で派手な帯言葉が踊る平置き本を見かけて、すぐに手に取る。いわゆる柳の下の二匹目のドジョウものだが、ややお遊びがすぎている感もある反面、異色の京都の歴史文学と都市論になっていてなかなか愉しい。井上氏は1955年嵯峨野生まれだから世代がちかい。ひろく名が知られることになった「つくられた桂離宮神話」は、来日したブルーノ・タウトの権威をひいて、当時の建築学派の面々がいかにして桂離宮を日本建築の清華として崇めていったかを自明のものとしていて、そのユニークな日本文化論にいたく喝采をした記憶がある。
今回もまた本書を読んでいるうちに、嵐山や嵯峨野をふたたび訪れてみたくさせられる。元祖アンノン族、ディスカバージャパンの掛け声にのった京都観光の側面、渚ゆう子やデューク・エイセスによって歌われた歌謡曲の中に描かれた大衆における京都幻想の考察など、笑いながらもうなずいてしまうこと多し。渚ゆう子の「京都の恋」「京都慕情」はともに1970年、作詞は「サザエさん」の林春生、作曲がなんとベンチャーズというのがユニークであり、うまく日本人心性における京都イメージのツボを押さえつつも、不思議とエキゾチックに聴こえる。
最後はいささか尻切れトンボの感がありだが、これは何よりも京都の田舎人を自認する著者自身の青春回想録でもあると思えばすんなり納得するだろう。
もう一冊は、赤瀬川原平「千利休 無言の前衛」(岩波新書)。読み通したのは、2014年金沢行きの後以来、通算四度目になる。何度繰り返し読んでも、お茶をめぐる世界とその中心の利休を語って無意識の世界を覗き込むような、そのたびに新しい発見がある。とても不思議な本だ。
何よりも楕円の茶室という着想がおもしろいが、ふたつの中心が等距離に描く軌跡の世界の中に無限の宇宙が想像されることが赤瀬川さんならではの発想、直観だと思った。利休にデュシャン、路上観察トマソン物件が結びつき、建築家の原広司、美術家の河原温、パウル・クレーの名がでてきてスリリングである。利休とデュシャンの対比について、杉本博司氏も同様に語っているのは、まったくの偶然ではないだろう。侘び寂びとシュールリアリズムがつながり、建築において桂離宮はモダニズムのさきがけとして位置づけられる。もちろん、利休となれば京都山崎の妙喜庵の茶室待庵との対面エピソードもでてきて、著者の描くイラストも掲載されているので、先月にそこに身を運んだ体験をもったばかりの身としては、思わずうなってしまう。
なにげない古新聞包みの安らぎのエピソードも、おやっと思わせて、その行為の底にあるのは「不安を優しく包んだリズムなのだ」という心情にうなずく。この本の結びは「他力の思想」である。おのれが人事をつくしたあとは「自然に身を預けて」あるがままにということか。本文の最後は、つぎの文章でひとまず終わっている。
“偶然も無意識も、それは自然が成すことである。それに添って歩くことは、自然に体を預けることだ。他力思想とは、そうやって自分を自然の中に預けて自然大に拡大しながら、人間を超えようとすることではないかと思う。私もそうやって拡大した自分の体の自然の中で、拡大した利休に出合ったのだった。”
このあとに短いあとがきがあって、その日づけが 1989.12.19 とあり、著者52歳の冬のこと。言葉と意識、偶然と無意識、そして人智をこえたところの自然。
(2018.01.07書出し、01.12初校)