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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

東洋文庫から六義園へ

2019年06月26日 | 文学思想
 梅雨の合間のウイークデー、駒込の東洋文庫ミュージアム「漢字展 4000年の旅」へ出かける。住まいのマンション管理会社のメンバーシップ対象の招待企画に当選し、ちかくの特別名勝六義園の散策も兼ねてのこと。

 駒込駅は、鶯谷の子規庵から旧古河庭園へとバラを見に立ち寄った5月中旬以来、約1か月ぶり。改札を出てから、こんどは本郷通りを前とは反対側、つまり山手線の内側へ向かって進むとすぐにレンガ塀で囲まれた六義園染井門がみえてくる。そのままマンションの林立する通りの交差点を右折するとしばらくして公益財団法人東洋文庫前に着く。
 文庫創立は大正13年(1924)に溯るが、いまの建物自体はまだ新しくて2011年竣工、三菱地所設計部所員の設計だ。入口前庭横には人工池があって、水中からライトアップされたコンクリート柱がに二本たっていて池の水面が揺らぎ、柱の印影を映している。さりげないが、なかなかに凝ったエントランスのつくりだ。
 扉の中に入ると、すぐにミュージアムショップがある。その奥がミュージアム入口だから、来館者はかならずショップの前を通る導線になっている。ここには岩崎家ゆかりの小岩井農場製お菓子もあり、そのほかのオリジナルクラフト製品もさすがに目配りがきいて、いいものばかりが揃っていて欲しくなる。

 ますは、二階講堂で普及展示部運営課長の池山氏による旧東洋文庫の由来から始まって、今回の展示構成の概略と見どころについてのレクチャーを聴く。駒込周辺の岩崎家の広大な敷地である旧大和村や文庫建物の変遷など興味深い。
 それが終わって、いよいよオリエントホールと呼ばれる展示空間へ。「名言は言語の壁をこえる 翻訳された世界の文学」と題されたコーナーの冒頭は、竹取物語からはじまる。そして、あのアーサー・ウェイリー訳「源氏物語」(1925-33 ロンドン刊)、その英訳本に出会ったおかげて日本文学の道に進んだドナルド・キーン氏による、初の英訳本である近松門左衛門作「国戦爺合戦」(1951年 ロンドン刊)を目にして、しばし立ち止まる。この二月に94歳で亡くなられたキーン氏のご自宅はここから戻って、駅の反対側のさきを行った旧古河庭園のすぐ近くで、お墓もちかくの真言宗のお寺にある。
 目の前のガラスケースの中にあるのは、物理的に紙についたインクのシミ!にすぎない活字の集合体だろう。しかし、そこに記された内容を読みとることができれば、このように人類史にのこる書物として、文化遺産として、幾多に影響を与え続けるのだ。

 二階へ上がると、日本で最も美しく価値ある本棚と言われる「モリソン文庫」の書庫空間がコの字型三層にわたって大きくひろがる。圧倒的に林立する人智の宝庫、広大な書籍世界にしばし沈黙する。
 その背後に回り込む様に様々な展示が続く。なかには甲骨文字が刻まれた紀元前の動物の骨片や、江戸時代の万葉集写本があり、そこには新元号「令和」のもととなったとされる一文が載っている。
 昭和のトピックとしては、大判の「大漢和」辞典全館(大修館書店)が並べられていた。編者諸橋徹次博士はふるさと新潟出身の大偉人。それにしても半世紀にわたっての大偉業達成、その気力とあくなき探究心にあらためて感動する。出版社もすごいが、博士を援助した三菱二代目岩崎久弥もエライ!
 下って時代は異なるが、三浦しをんの小説「船を編む」(2011年)を思い出す。

 そんなわけで、二度目の東洋文庫、堪能させてもらいましました。このあとは、しばし疲れた目の保養にちょうどよい、すぐちかくの緑豊かな名園「六義園」へと足を運ぶ。戦前に都に寄贈されるまでは、三菱財閥初代の岩崎弥太郎別邸の一部だった。
 陽射しはまだ高く蒸し暑さが残るが、閉園まで一時間余りある。つつじやサツキは終わってしまったが紫陽花が見頃だろうか。やがて夕暮れにむけて風はそよぎ、都会のなかの回遊式築山泉水の大名庭園をたっぷりと楽しめるだろう。



 近松門左衛門作「国戦爺合戦」、D.キーン訳(1951年 ロンドン刊)

ラジオの時間 谷川俊太郎&DiVa

2019年06月09日 | 音楽
 月初めの一日土曜日午後2時開演、「谷川俊太郎&DiVa 詩のまほう、うたのまほう、ラジオのまほう」朗読&演奏会、ひさしぶりの海老名市文化会館へお出かけ。
 ラジオがテーマということで連想したのは、ビーチボーイズの50周年記念のアルバムタイトル「神の創りし給うラジオ」(2012/06/04リリース)。かつて若者の神器だった車でドライブ中、カーラジオから流れてくる音楽の調べに耳を傾ける恍惚感を追想している。このステージもオールドメディアとなったラジオの存在あれこれ、かと想像していた。ラジオが発明され放送が始まって約90年、その当時は最新のメディアで、それこそ“まほうの箱”だったのだろう。

 駅改札を出てデッキを歩くと、週末の昼ということもあってずいぶんとにぎやかだ。会場に向かうJR相模線方面は再開発真っ最中で、すっかり変わってしまった。大きな商業施設ができて、高層のマンションも建設中、そのうち「ロマンスカーミュージアム」というのもできるらしい。

 海老名市文化会館は、ひろびろとした前庭があって、昭和後半時代の面影を残す。小ホールはあとから増築された様で、天井が高く教会堂のような雰囲気だ。ほぼ満席という客席をさっと見渡してみると、やはり若い人よりも中高年以上が目立つ。どちらかというとやっぱり女性の方が多いだろうか。舞台中央にでんとおかれた木製アールヌーボー調の大型ラジオにスポットがあたっていて、その横に椅子がひとつ置かれていた。
 開演時刻になると、まずはベース奏者、つづいて谷川俊太郎さんがゆっくりと舞台中央へ、と同時にさりげなくDiVaのメンバー三人が揃う、まるでいつもの行いのように。進行役は谷川賢作さんで、俊太郎さんとのステージは何度も行ってきただろうに、その都度新鮮な感じがするのは、お互いへの敬意と観客への誠意と、それから息子の父に対する照れもあるみたいだ。その俊太郎さん87歳、ご挨拶かわりに自己紹介の詩から。
 自作詩の朗読、歌と演奏、ツッ込み役の賢作、すこしとぼけた返しの俊太郎、といった調子で会話のかけあいがすすむ。途中、中央のラジオからチューニング音が鳴りだすと、一青窈の谷川俊太郎氏を語る特別コメントが流される趣向。すこし客席がなじんできたかな、という雰囲気になってきたら、また朗読と演奏があって前半は終了。谷川さんはピアノのうしろを通って舞台そでに入るあたりで、客席に一礼して退場、大きな拍手。

 後半の冒頭は、この日のハイライトかもしれない谷川俊太郎とピーター・バラカンの公開初対談。二人とも黒地のTシャツ姿。バラカンさんから本日の二人のいでたちの共通点の話から、ラジオをおもなテーマに和やかにしなやかにときに脱線しながら会話が弾む。バラカンさんは、前半客席後方で舞台を見ていて、谷川さんが読んだ自作詩について、ボブ・ディランとちょっと初期のビートルズの歌詞を連想した、といっていた。なるほどね、直観としてバラカンさんならではの視点。
 最近よく聴いている曲として、ヴィンテージラジオコレクターでもある俊太郎さんは、ヘンデルの「オンブラ・マイフ」をあげていた。あの松本の喫茶室まるもに入ったときに流れていて、耳にした歌曲だ。すかさず、賢作さんが「キャスリーン・バトルの?」と尋ねると、俊太郎さん「誰の歌、演奏でもいいんだ」と返答、そのときに頭の中で、松本の喫茶室まるもでは、かすかなノイズ入りで男性の声とピアノ伴奏だったことが思い出された。
 ふたりの会話は盛り上がってゆくところ、二人目のコメントはやわらかな声の細野晴臣さん。そして朗読、演奏と続き、アンコールはやっくりとした歌いだしで「鉄腕アトム」だった。谷川さん二十代の作詞、当時の時代背景もあり懐かしくもあり、そして若々しく希望にみちていてエンディングに相応しい。

追記:舞台上の大型ラジオは、海老名温故館から借り出された、昭和初期に地元農家で実際に使用されていたもの、舞台上の椅子やテーブルは地元の横浜開港当時のクラシック家具のながれを汲む製作所のものだそうで、いわば地産地消の舞台小道具。


大山蓮華(オオヤマレンゲ) ホウの木や菩提樹によく似た小ぶりの白い花
(旧白洲邸武相荘にて 2019.6.9撮影)