昨日の猛烈な春の嵐、雨は夕方には止んで日差しが望めた。その夜の帰宅時、駅前広場に一本だけ残された染井吉野サクラの古木が満開で、照明に浮かび上がっていたのを目にしてそのもとへ歩み寄る。もともと広場には、三本の古木があって毎年春を楽しませてくれていた。ところが近年は枯れ死したり、台風で幹が倒されたりして、とうとうこの一本だけになってしまったのだけれど健気に今年も咲いてくれている。すぐ横には、車道の排気ガス、根元はコンクリートタイルでがっちり固められてしまっていて、相当厳しい環境には違いないのだが、思わず「ありがとう、頑張れ!」って声をかけてあげたくなる存在だ。夏の季節になれば、その周辺に緑陰を作ってくれて夏祭りの様子を見守ってくれている。踏切前の「千代の松」とともに東林間駅広場のシンボルだ(とひそかに思っている)。
そして31日の今日は、早朝から雲一つないさわやかなサクラ日和で、いよいよ本格的な春の到来だ。
朝の散歩へ、久しぶりに東林間の上鶴間周辺をぶらぶらと歩いてみようと思い立った。近くの深堀中央公園のサクラを見にいくと、ソメイヨシノが見事な枝ぶりを拡げていた。まだ、7分咲きでピンク色の花びらに濃いピンクの膨らみかけた蕾が、早春の青空に映えて美しい、いいな、ニッポンの春って!公園の周遊路を散策しながら、黄色のレンギョウ、白いユキヤナギの花々が次々と咲きだしていて華やかな気分になってくる。
国道16号沿いのケヤキの並木も新芽がむずむず?といった感じでのび出していて、ああ春だなあと改めて時間させられる。今朝の新聞朝刊に、「伊藤銀次さんとたどる大瀧詠一の哲学」と題された記事が特集されている。大瀧氏の音楽スタジオは、この16号を八王子のさらにずっと先まで進んだ都内瑞穂町の米軍ハウスにあった。改めてここからとにかく進んでいけば、いずれ16号線の先でつながっていると思うと、ただうれしく感慨深い気持ちになってくるから、不思議な気分だ。
やがて、市立南大野小学校の手前を住宅地側に入っていくと、学校グランドにも満開のソメイヨシノが。入学式には散ってしまうだろうけれどね。その先にいくと世田谷区長の保坂展人氏のご実家が見えてくる。こちらは以前、散歩の途中に保坂氏の政治活動連絡先の看板があって見つけたものだ。ここにご両親の家があるなんて意外だった。区長転身の前は、社民党の衆議院議員、さらに私が学生時代は、自身の「麹町中学校内申書裁判」で公の教育制度を批判的に問うていた活動家だった。正義を前面に出したその言論ぶりには、やや距離を置いて見つめていた記憶がある。なぜなら、彼自身が越境入学というルール破りを行ってエリートを目指していたのだから、体制を批判する前にもっと自身が謙虚になっていいはずだから。
さらに進んで住宅地を抜けけていくと、オレンジ瓦を乗せたスパニッシュ風の特徴ある素敵な住宅の前に出る。どんなひとが住んでいるのだろう?その先を左折しての一本道は、深堀川へ向かうアップダウンとなっていて、そこを登りきる途中右手に日本美術院重鎮で文化勲章受章の栄誉を受けた日本画家岩橋英遠(故人)のアトリエ兼住宅がある。さらにすこし離れたところには、小説家古山高麗雄が亡くなるまで住んでいた家があった。古山は芥川賞を1970年に受けているが、10年ほどまえに亡くなったときの死亡記事で初めてその存在を知った次第。
と、まあ探してみると普通の住宅地であるここの地にもさまざまが文化人が住まいを構えていらして、ちょっと地元愛に目覚めるなあ。最後に、異色の文化人を記して終わることにしようか。
小原銀之助(1898-1983)、京都出身の美術評論家・編集者だそうで、この上鶴間の地で亡くなった。もしかして玉川学園創設の小原一族かとも連想されるが、じつは国際的な日時計製作者としてその世界では名を知られた人なんだそうだ。あちこちで見かける日時計の台座には、たいてい「小原式日時計」と記されていて、国内だけでも北海道から沖縄、海外ではヨーロッパやアメリカ本土にハワイ大学にもあるそう。そのお住まいだったマンション隣接の公園にも小原式日時計が設置されている。白赤の御影石が敷かれた台座に設置由緒と小原銀之助についての紹介が記されているのを目にすることができる。
朝のちかくの散歩で、見たこと考えたことを書き連ねてみたけれど、最後の一枚をどうぞ。
昨夜の嵐で小枝ごと吹き飛ばされて落ちてしまったサクラの花々を、家人が小さな沖縄壺屋焼にアレンジしてみた。
流れているのは、ビーチボーイズの2013年リリースの「神がつくりし給うレイディオ」。
そして31日の今日は、早朝から雲一つないさわやかなサクラ日和で、いよいよ本格的な春の到来だ。
朝の散歩へ、久しぶりに東林間の上鶴間周辺をぶらぶらと歩いてみようと思い立った。近くの深堀中央公園のサクラを見にいくと、ソメイヨシノが見事な枝ぶりを拡げていた。まだ、7分咲きでピンク色の花びらに濃いピンクの膨らみかけた蕾が、早春の青空に映えて美しい、いいな、ニッポンの春って!公園の周遊路を散策しながら、黄色のレンギョウ、白いユキヤナギの花々が次々と咲きだしていて華やかな気分になってくる。
国道16号沿いのケヤキの並木も新芽がむずむず?といった感じでのび出していて、ああ春だなあと改めて時間させられる。今朝の新聞朝刊に、「伊藤銀次さんとたどる大瀧詠一の哲学」と題された記事が特集されている。大瀧氏の音楽スタジオは、この16号を八王子のさらにずっと先まで進んだ都内瑞穂町の米軍ハウスにあった。改めてここからとにかく進んでいけば、いずれ16号線の先でつながっていると思うと、ただうれしく感慨深い気持ちになってくるから、不思議な気分だ。
やがて、市立南大野小学校の手前を住宅地側に入っていくと、学校グランドにも満開のソメイヨシノが。入学式には散ってしまうだろうけれどね。その先にいくと世田谷区長の保坂展人氏のご実家が見えてくる。こちらは以前、散歩の途中に保坂氏の政治活動連絡先の看板があって見つけたものだ。ここにご両親の家があるなんて意外だった。区長転身の前は、社民党の衆議院議員、さらに私が学生時代は、自身の「麹町中学校内申書裁判」で公の教育制度を批判的に問うていた活動家だった。正義を前面に出したその言論ぶりには、やや距離を置いて見つめていた記憶がある。なぜなら、彼自身が越境入学というルール破りを行ってエリートを目指していたのだから、体制を批判する前にもっと自身が謙虚になっていいはずだから。
さらに進んで住宅地を抜けけていくと、オレンジ瓦を乗せたスパニッシュ風の特徴ある素敵な住宅の前に出る。どんなひとが住んでいるのだろう?その先を左折しての一本道は、深堀川へ向かうアップダウンとなっていて、そこを登りきる途中右手に日本美術院重鎮で文化勲章受章の栄誉を受けた日本画家岩橋英遠(故人)のアトリエ兼住宅がある。さらにすこし離れたところには、小説家古山高麗雄が亡くなるまで住んでいた家があった。古山は芥川賞を1970年に受けているが、10年ほどまえに亡くなったときの死亡記事で初めてその存在を知った次第。
と、まあ探してみると普通の住宅地であるここの地にもさまざまが文化人が住まいを構えていらして、ちょっと地元愛に目覚めるなあ。最後に、異色の文化人を記して終わることにしようか。
小原銀之助(1898-1983)、京都出身の美術評論家・編集者だそうで、この上鶴間の地で亡くなった。もしかして玉川学園創設の小原一族かとも連想されるが、じつは国際的な日時計製作者としてその世界では名を知られた人なんだそうだ。あちこちで見かける日時計の台座には、たいてい「小原式日時計」と記されていて、国内だけでも北海道から沖縄、海外ではヨーロッパやアメリカ本土にハワイ大学にもあるそう。そのお住まいだったマンション隣接の公園にも小原式日時計が設置されている。白赤の御影石が敷かれた台座に設置由緒と小原銀之助についての紹介が記されているのを目にすることができる。
朝のちかくの散歩で、見たこと考えたことを書き連ねてみたけれど、最後の一枚をどうぞ。
昨夜の嵐で小枝ごと吹き飛ばされて落ちてしまったサクラの花々を、家人が小さな沖縄壺屋焼にアレンジしてみた。
流れているのは、ビーチボーイズの2013年リリースの「神がつくりし給うレイディオ」。