日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

十三夜すぎの随想

2015年10月28日 | 日記
 今秋の十三夜にあたる日から三日後の昨日、駅からの自宅への帰り道、病院通りの桜並木の先、正面上方の空にくっきりと美しい満月が望めた。薄く掛った雲を透かして澄んだ大気の中にひかり輝く満月。
 上空は早い風なのか、横長のすじ雲が次々と西方向へと流されていく中を、満月はひたすらまん丸に輝いて、それこそ輝夜姫が天井から降り立ちそうな夜だった。たった十日ほど前のこと、横浜美術館で開催中の蔡国強展“帰去来“において「夜桜」「人生四季」と題された巨大な火薬の爆発ドローイング作品を眺めた直後に訪れた片瀬の海辺で見上げた月は、まだ片眉毛のような細い上弦の月だったというのに。
 その夜に上がった秋花火は、たしかに江の島の陰のうえで大きく華ひらいたあと、余韻を残して海面低く鳴っていた。海岸の集まった人々は、打ち上げのどよめきよりも光りのあとの静寂に沈んでいたように想う。

 十三夜翌日の二十六日は、赤瀬川原平さんの一周忌にあたる。昨年、町田市民文学館で「赤瀬川×尾辻克彦」展が始まって九日目のことだった。たまたまその日に会場を訪れていた私は、翌日朝刊をひらいたところで、赤瀬川さんが二十六日の早朝に町田市内の病院で七十七歳で亡くなられたことを知り、一瞬息を吞んで驚かされたのだった。たしかに展覧会会場では、闘病リハビリ中という赤瀬川さん直筆ハガキが展示されていて、その生々しくも赤瀬川さんらしい脱力感を感じて、いずれぼちぼちとユーモアあふるるエッセイを拝読できるもの、と願っていたのだ。
 亡くなられた翌日午前中に、玉川学園のニラハウスを遠目に望んで合掌。その日の新聞記事には、著作「老人力」がベストセラーになった1998年ころの赤瀬川さんの自らの歩みを振り返った言葉として、「やってきたことは一種の落穂拾い。落し物には意外と本音が隠されてる」と話していたことがひかれていた。ようは、他力本願とでもいうような姿勢にこそ人生の真実があるということなのか。あきらめとも異なる、ひたすら待ち続けることの肝要さを説いた言葉であると思う。
 と、今年の一周忌にふさわしくも今月二十二日の朝日新聞「折々のことば」欄に、鷲田清一さんがこのことばをひいていらしたのに出くわしたのである。そこで鷲田さんは「存在の無意味さを楽しむこと」と解説している。
 尾辻克彦名義の小説を読み、赤瀬川さんの生前の表情を思い浮かべると、「存在の無意味さ」には、おかしみや遊び心、奇妙な味わいとともにどこか、はにかみのような哀しさが隠れているような気がする。最後に、もうひとつ赤瀬川さんの発言から、好きな言葉を逝ってしまった御本人に重ねて引用させていただく。「老人力というのは、田舎力というのかね、要するに老人というのは年齢の中では田舎でしょう。だんだん辺境になっていって、最後はあの世ですからね。」 
 人生の田舎の辺境にこそ、それまで気がつくことのなかった本当の面白みと味わいがあるのかもしれない。その黄昏時には、まだすこし時間がある、上弦の月がしずむ朝までに。 

村上春樹のノーベル文学“不“受賞をめぐって

2015年10月09日 | 文学思想
 ここ数日は秋晴れの佳い天候が続く。家のベランダには、ハイビスカスの今年最後の赤い花が一輪、陽光の中、けなげに咲いて、朝から雲のひとつない青空が広がる。

 この時期は、毎年テレビ新聞紙上でノーベル賞発表のニュースが話題になる。いったい、いつからこの様に受賞が決まる前からイベントととして騒がれるようになってきたのだろうか。ここ数年日本人が複数受賞していて身近に話題にしやすくなっていることがあるだろう。スマホなどで個人が気軽にインターネット上の情報をリアルタイムに入手しやすくなっていることもある。でも、もっとも影響が大きいのは、ここのところずうと文学賞候補にあがっている、日本人ならその名前を知っている作家村上春樹の存在だろう。村上春樹文学作品そのものというより、その周囲を巡っての複数のメディアが作り出す様々な話題=ウワサのようなものである。それだけノーベル賞のブランド価値が高いとも言えるからで、ちなみに受賞した場合の賞金は、それぞれの分野で一億一千万円余りだそうで、なるほど騒がれるだけの現世的価値はあるみたい。

 昨晩八日午後8時すぎ、かくいう私もたまたまインターネット画面で今年の文学賞受賞決定がストックホルムで発表されるというのを見かけて、その話題の瞬間を待っていた。と、画面を切り替えて戻すと、標題は「文学賞受賞はベラルーシの作家」とあって、なんだか話題が先延ばしされてすこし落胆したような気分をあじわうこととなった次第。それでも、世界一般の本命はこの女性作家だったというから、日本以外の国々の受け止め方としては順当な決定だったのだろう。受賞記事によれば、戦争を巡る女性やチェルノブイリ原子力発電事故問題に関するインタヴューをまとめた作品を発表するなど社会派と目され、2003年に来日して講演もおこなっている。

 その意味では、最近の村上春樹も、オウム真理教事件や湾岸戦争に関して著作を発表したり発言を行っているので、受賞に向けて毎年話題をひっぱりつつ、案外その時は近いのかもしれない。ご本人は「競馬じゃあるまいし、ちょっと迷惑(わずらわしい?)」とコメントしていて、実にその通りだとしても、意図ぜざる“社会的戦略”があるのかもしれない。少なくとも出版界や書籍業界にとってはありがたい話だろう。それにしても、“ムラカミ不受賞”が受賞以上に話題になるニッポンも平和で不思議な国なのだろう。本人が直接表にでないことで、さらに周りが必要以上に過熱する現象を生んでいるといえる。

 今朝のNHK番組では、いったい村上春樹って何?という、その作品の初心者むけのきわめてまっとうなレポートを行っていた。なんだかんだと言いながら、やっぱり興味深くて見てしまった。
 昨年あたりは、ハルキストの聖地?らしい中央線沿線のブックカフェからの中継がよく流されていたのだけれど、さすがに同じネタは使えなかったようで、今回は千駄ヶ谷の鳩森八幡神社境内に集まったファンたちがノーベル賞委員会サイトをプロジェクターで野外のスクリーン投影して眺めている様子や、地元のかつて村上夫妻も通っていた書店主のコメントと店内ムラカミ縁コーナーが紹介されていた。少し斜めに構えてどんなものだろうと思っていたのだが、意外にも気負いなくこのお祭り騒ぎを楽しもうとする姿には好感が持てた。
 ここ千駄ヶ谷は70年後半に、村上夫妻経営のジャズ喫茶「ピーター・キャット」があったことで知られていて、ムラカミファン巡礼の聖地のひとつとなっているのだ。この時代にデビュー作「風の歌を聴け」が発表され、群像新人賞をうけたのは1979年のこと。個人的なことを告白してしまうと、どっぷり大学生時代にこの作家に惹かれていて、新作が発表される都度に軽やかに時代感覚を掬っていく乾いた文体と作品にちりばめられる音楽の固有名詞にハマっていった。それは爆発的に売れた「ノルウェイの森」の次のあたりから、何故か次第に離れてしまう。
 
 ところがここ数年また村上春樹が読みたくなって、2013年「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」、2014年「女のいない男たち」と続けて新作を手に取っている。その世界は、初期の作風により回帰しているように思う。とくに「色彩を持たない・・・」は、名古屋とヘルシンキが舞台として選ばれていたことに不思議な符丁を感じ、主人公の“巡礼の旅”に自分の心境を重ねて読んでいった。
 これまで生きてきた中で、巡礼の旅って、いったい何なのだろうと思う。ムラカミ巡礼聖地として、最初の喫茶店を構えた国分寺や作家の早稲田大学学生時代、入寮していた和敬塾のある目白周辺、作家専業となってから住んだ藤沢市鵠沼や大磯などの地名があがる。そのいずれもをついでがあると歩いて巡った。小説やエッセイの舞台としては、青山・京都山科・名古屋・北海道・北欧のヘルシンキなど。

 さて、ノーベル賞が話題となる頃、家人のお知り合いの方から北欧を旅行してきたお土産に、たいていの受賞者が記念に購入するという、受賞金メダルをかたどったというおなじみ?のチョコレートを一個だけいただいた。金色の包装の表面には、創設者ノーベルの横顔があって、ダイナマイト発明者の遺産が個人の名を冠した、世界で最も著名な表彰式のもとになっていることに思い至る。そのチョコの味は、すこしほろ苦くて、甘さとのバランスが絶妙、のような気がした。


スマホとホームWi-Fiのこと

2015年10月04日 | 音楽
 ここのところ、といっても八月中旬から九月にかけてのことだけれども、長く変化のなかった時代遅れの電子通信をめぐる個人的環境に相次いで変化があった。
 具体的には、まず八月十八日、これまでの携帯電話をスマートフォンに移行することに。シャープ製の“シンプルスマホ”という初心者向けの操作性の簡易なもので、OSはグーグル社のアンドロイドらしい(実は、IT関係はあまり詳しくないのだ)。どうして移行したのかというと、娘がアップル社アイフォーン機に変えたため、一台使用していない機器が生じていたためでこの機会に遅まきながらようやく時流に乗ることができたという、極めて消極的な事情から。でも、インターネット接続機能やカメラ機能で撮りためたスナップ画像については、従来のガラケーでは不満足で閲覧に不便さを感じていたし、より大きな画面で見てみたいと思っていたのは確か。
 最初は指先のタッチ感覚になかなか慣れなくて、おぼつかないメール操作だったがそれもようやく慣れて、文字通りスマートになってきたかな。

 それから九月十八日には近くの家電量販店に出かけてきて、ホーム用のWi-Fi親機(ルーター)を購入し、リビングルームに取り付けてパソコンの無線LAN環境が整った。その結果、いままではモデムから有線で繋がれたリビング机でしかインターネットやメールができなかったのが、自室でも可能になった。ちなみに前回のブログがその環境で作成された最初のものだ。
 こうして、ようやくわが身においてもにIT環境が人並みに時代に追いついた?かたちとなったので、メデタシ、めでたしともろ手をあげたいとことだが、どうも少し違和感、というか何か感覚が異なっている感じがあるのだ。自由に好きな時に自室でインターネット、というのはこの時しかできないという切実感が少なくなった分、無駄なこともできてしまって集中力に欠けるのかもしれない。
 たとえばスマホですが、駅ホームや電車の中の風景、座席のほとんど人が手中の小さな画面を覗きこんでいるが何をしているのかというと、大抵はゲームかラインのやり取りか、商品購入かニュースサイトなどのネットサーフィン(このコトバももはや古いか)であろう。つまり、暇つぶしなのである、それも他人から与えられる一方の、多少は自らの意志もあるかな。座席の両側でスマホに夢中の人に挟まれると、なんだか居心地が悪く感じたことはないだろうか?別に迷惑をかけているわけでもないのに何故か、それはその当人が周囲の関係性とあまりに隔絶しているからではないのだろうかと思うのだ。あるいは、あまりに一方的な情報の受容からの思考停止状態。せめてもうすこし、ぼんやりとでもいいからまわりの風景や環境に気を巡らしてもいいのではないかしら。やや大げさに言えば“いま、ここ”でどう生きるかである。

 さて、今回当たり前のことでふたつ、ようやくわかってスッキリしたことがあった。ひとつめは、Wi-Fiを導入するにあたって、その「ワイファイ」っていったいどういう意味ってこと。いまさら聞くのも気が引けて、自分で調べれてみれば意外と簡単、「Wireless Fidelity」の略で、直訳すると「無線における忠実度」「無線(環境における高い)性能」っていうことでした、なるほどね。詳しい仕組みはわからないけれど、そういえばすでに聞きなれた言葉で「Hi-Fi」ってありますが、これなんか「高性能」の略だろうから、語源的にはその延長線か親戚というわけか。
 それでは最後に。これもいまは当たり過ぎてな~んも疑問に思われなかった「ブログ」って何のこと?このコトバがでてきた十年前ほど前にはどう説明されていたのか覚えていないのだけれど、簡易ホームページだったかな、なんとなくしっくりこないままだったのでこの機会に調べてみました。なんと「Web Log」の省略、ということは「蜘蛛の巣状の記録または日誌」、つまり“インターネット上の個人日記”を意味していたのでした。
 元が分かってしまうと、ふたつとも拍子抜けするくらいなんとストレートな表現!


 この時期のスナップ、今年の中秋の名月を近くの教会からのぞむ(撮影:9月27日)