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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

まほろからの情景 その壱

2016年08月25日 | 日記
 まほろ市はかつての武蔵国と相模国の境、多摩丘陵がやがて丹沢の山並みに連らなろうする間に位置する、どににでもありそうな典型的郊外のまち。明治維新以降は、八王子から横浜港へとむかう絹を運ぶ街道の中継地にはじまる商業街地が形成され、日本のシルクロードと呼ばれたこともあった。
 昭和20年以降、JR横浜線と新宿から小田原・箱根・御殿場をむすぶ特急が走る私鉄が交差するターミナル駅を抱えたベッドタウンとして発展してきた。1960年代からの首都圏人口の集中化に伴う受け皿としての団地造成により、昭和40年に入ってから人口が急増し、関西資本のデパートが初進出、やがて私鉄駅ビルの中にも巨大デパートができて、1980年代には三つの百貨店が競合し、首都圏郊外でも吉祥寺とならぶ有数の商業激戦地となっていった。

 いまのまほろは、百貨店こそ私鉄駅ビルの中のひとつに淘汰されてしまったが、旧デパートはファッション、雑貨、飲食にまたがるテナントビルとして改装され、沿線に点在する大学に通う若者や高校生で連日にぎわっている。もちろん、地元住人や団地、分譲住宅に住み着いた地方からの定住者層も少なからずそのにぎわいの一端をになっているのは間違いない。
 休日お昼どきに駅ビルスカイタウンと呼ばれるレストラン街に昇ってみよう。それらのすでにまほろを故郷として久しからぬシニア層に次世代ファミリー層でなかなかの混雑ぶりである。今年開店四十周年を迎えるそのデパートは、下車ホームからそのままエスカレーター直結の改札が三階入口と直結している。

 デパート八階の催事場では、アメリカ郊外で田舎暮らしを楽しみながら創作活動を続けた絵本作家ターシャ・チューダー展が開かれている。自作のカントリーハウスに動物と住み、自然を生かした庭づくりや生活全般にわたる手仕事、シンプルでありながら心豊かで優雅な自給自足的ライフスタイルそのものが、この郊外都市に暮らす中年世代を中心にひろく郷愁ともいうべき共感を集めて盛況そのもの。ある意味うまくできていてここまほろにふさわしい展覧会なのでは、と思えてくる。
 かつては、まほろの里山地域ではあたり前にあった生活様式を理想化し、体現してみせてもらったということなのかもしれない。すぐに頭に浮かぶのは白洲次郎と正子で、鶴川武相荘はその変奏スタイルともいえるだろう(もっともご本人は、フンッっと一蹴するだろうに違いない)。

 喧噪を抜けてレストラン街へ。入った店舗内の大きな窓からの眺めはなかなかのもの。ここ十年ほどで周囲に建物は立て込んできたが、丹沢や津久井、高尾の山並みが遠くに望めるのはできた当時と変わらない風景だろう。街並みの上に夏の終わりの入道雲、この青空!


 まほろ私鉄駅ビルデパートスカイタウンからの眺め、左手奥に横長の市庁舎(2016.08.21)


 同じ青空の風景を、故郷越後妻の魚沼スカイラインからの眺めと対比させてみる。眼下に横断する関越自動車道。(2016.7.19撮影)

越後妻有まつだいに咲ける花

2016年08月07日 | 美術
 ふるさとに帰省していたのは、先月の土用の入り19日から大暑の22日までのこと。例年より少し早い帰省で、もうすでに二週間と少しの時がたってしまった。お盆前にお墓掃除とお参りを果たした後は、菱ケ岳のふもとの鉱泉に行ったり、翌日上越高田公園の早朝ハスを見たあとには、老舗の料亭「宇喜世」の舞台つき格子天上が豪華な大広間でランチしたりと、のんびりと過ごしてきたのだった。

 帰路、ほくほく線まつだいの駅前を通りかかって、オランダの建築家グループMVRDV設計の白い巨大なクモの様な「まつだい雪国農耕文化センター」“農舞台”がみえてきたとき、昨年の思い出がフラッシュバックしてきたかのような錯覚にとらわれた。そこで始まったばかりの『花』をテーマとした展覧会「どうしてみんな、花が好き?」をやっぱり見ていこうと思ったのだった。
 駅前に車を止めて、地下道構内を通り抜け、反対側に出てすぐの建物内にあるギャラリーに入ると、蜷川実花のフラワー大写し、森山大道の路端に咲く花々の写真、たしか二回目のトリエンナーレの十日町市街で見た中川幸夫の書「花狂」、階段を利用したインスタレーションと花々の映像の組み合わせなど、百花繚乱といった作品の世界が広がる。

 館内の食堂で早めの昼食をとることにした。床、壁、椅子はすべてペパーミントブルーで統一され、テーブルは鏡面になっていて、農家の窓から見えている日常の里山風景を組み合わせプリントした天井パネルを映し出す。大きく川側にとられたガラス窓からは、カバコフ夫妻の『棚田』が真正面に位置する。農夫をかたどった五つのシーンを表わすオブジェと一連の稲作作業を記した立体詩篇からなるその作品が、本物の里山棚田風景とリンクして望める絶好のロケーションを、期せずして一人占めすることとなった贅沢な時間だ。

 屋上に昇って外に出ると、さすがに厳しく蒸し暑さが増している。大暑の日の陽射しは、真っ白の床に反射してまぶしく目がくらむかのよう。周囲の緑の風景の中に見下ろせば、熱帯植物と見まごうかの赤・緑・黄・青原色の大輪の花オブジェが、2003年以来ずっと送電線鉄柱と鉄道路線に挟まれた小高い丘のうえに咲き続けている。じつは、はじめてこの作品をみたときには、強烈なエネルギーと同時に違和感のようなものを感じた。
 ここに来るたびに、この「花咲ける越後妻有」の迫力、インパクトはなかなか大したものだと思うのは、その上を高圧電力がまたぐと同時に、豪雪地帯に暮らす人々の宿願として、ようやく20世紀の終わりに開業した第三セクターの鉄路がそのすぐ脇を疾走しているからだろうか? はたして作者の草間弥生は、制作にあたってこの歴史と風土にどんな思いを寄せていたのか、それとも作品がここに置かれることでこの地の気候や精霊に誘発されて成長してきたものか、どちらなのだろう?




 草間弥生「花咲ける越後妻有」と「まつだい雪国農耕文化センター」“農舞台”(2003年竣工)


 都会にむけて越後妻有アートトリエンナーレのイメージを決定づけたショットのひとつを模して。
 曲がりくねった雄しべの蒼に白の水玉模様、空の青と白い雲がコラボしてるかのよう。雌しべはどこにある?

立秋前、今朝の偶然

2016年08月06日 | 日記
 連休の週末にひとり早起きしてクルマを出し、咲き終わってしまっていないことを願いながら、薬師池公園の大賀ハスを見にゆく。午前八時少し前、かつての谷戸田だった地にひらかれた蓮田に到着、ゆっくりとひとまわりしても十数分たらずのほどよい広さだ。この時間になると、もう蒸し暑さが大気を覆っていたけれど、朝露をわずかに残した大きな緑の傘々の合間から、薄ピンク色の清楚なハス花があちこちに顔をのぞかせている。それを眺めているとやっぱり、この夏も見にこれてよかったと思う。

 小高い丘の上の東屋先にある萩の植生を生かしたトンネルには、はやくも立秋の兆しが覗いていて、明日が二十四節季のその日なのだと思い至る。植物が知らせてくれる自然の流れは確かなものだ。その隣にある巨大な自由民権運動の記念碑にくると、突然広域行政放送が流れてきた。何かと思って聴くと、今日の広島原爆投下時間にあわせての黙祷を案内している。明治時代中期に勃興した自由民権運動とは直接の関係はないのだけれど、あまりの偶然に誘われて、手のひらの上に鳩をいただいたモニュメント(三橋国民制作)の前でこうべを垂れる。

 帰路、来た方向と逆回りで歩き出しながら蓮の花を写していると、向こうから男女二人ずれが歩いてくる。すれ違ってすぐに男性に目が行き、あれっと思って声をおかけする。むこうも気がついて表情が変わった。何度か公演の機会に知り合った京劇俳優の殷(いん)さんである。やはりハスの花を見に来たのだという。この日の偶然の出会いは、殷さんの地元、鶴川ポプリホールでの桜美林大学生教え子たちの舞台を拝見して以来だ。

 公園をでて蓮見橋を渡り、車を止めておいた地元神社脇に戻ると、今が旬のブルーべりー摘み取り園畑の脇に家族三人連れが収穫を終えて座っていた。何気なく前を通りかかって男性をみると、ポプリホール開館イベントでご一緒した編集者のTさんではないか! たてつづいた偶然の出会いにびっくり、こんなことってあるものだ。ひさぶりの再会に近況を交わして、神社の横でお別れする。

 それにしてもハスの花とポプリホールが招いてくれたとはいえ、世の中は偶然の連鎖にみちている(ときもある)から恐れ入る。



今朝の薬師池公園の大賀ハス、すこし小ぶりで花びらは縮れていたりする(2018.8.6 早朝)



 こちらは同じ公園内の田圃跡に咲く睡蓮。葉っぱは水面の高さに浮かんだまま、キリッとした表情の花だけが顔を出す。