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2023年の新潟、福岡帰省あれこれ

 2023年も最後となる年の瀬の大晦日に、この一年を振り返ってみる。

 一言で述べると、なんといってもこれまで生きてきた人生の中でもっとも旅にでたり、外泊の頻度の多い年だった。その理由のひとつはずっと懸案だった新潟の実家の建物の取り壊しのためである。
 4月の冬支度明けのかたずけ、委託業者若社長との顔合わせから始まり、7月の草刈り作業立ち合い、夏の取り壊わし作業前後の立ち合いと確認、9月の更地となったあとの墓参を兼ねた叔母たちとの帰省も含めると、なんと都合七往復もすることとなったからだ。
 いま改めて振り返っってみると、もっと効率よく取り掛かることも可能だったはずなのに、取り壊し時期を決めてからも、ぐずぐずと躊躇気味であって未練がましかったように思う。決断と実行には程遠い、“家終い“騒動だったが、もうやるしかないと背中を追い出された思いがする。

 その過程の中で、5月には糸魚川まで足を延ばして、設計者である村野藤吾の生誕132年目にあたる15日に、その最晩年作である谷村美術館を再々訪問した。雪国の田園地帯に突如あらわれた中央アジア砂漠の遺跡か幻の城郭楼のようといった佇まいは、竣工後40年の歳月を経て、さながら大地から生えてきたかのように風格を増していた。
 さらにもう一か所、生誕100年を迎えた直江津出身の異才、渡辺洋治設計のコンクリート打ちっぱなしぶっ飛びモダニズム建築である、善導寺を念願かなって訪れている。それはまるで住宅地のなかに、空母船体が座礁したかのような迫力あるフォルムとして出現する。二階のテラスからは横一直線に伸びる北陸新幹線高架のむこうに日本海の水平線が望めるだろう。
 ふるさとに立つふたつの異色の近代建築物を目の前にして、その驚きと感慨は、本来の家終いが目的の帰省すら霞んでしまうような気さえした。

 福岡には新潟帰省の合間を縫うようなタイミングで、8月の義母三回忌法事と12月姪っ子結婚式で二度にわたり、いずれも新幹線往復の旅だった。
 8月のときには、博多から船で志賀島へと渡り、志賀海神社を振り出しに金印公園、休暇村など島周回四キロのサイクリングひとり旅を敢行した。すこし高台にある金印公園から玄界灘を望めた時には、さすがに古代史の場に臨んだという感慨が深かったなあ。
 12月は、大宰府都府楼跡から令和元号ゆかりの坂本八幡、観世音寺、戒壇院をへて御笠川沿いに歴史の道を歩き、大宰府天満宮まで至った。本殿が改修中でその前に話題の仮本殿、屋根に草木が生えているユニークなもので、仮といっても立派な佇まい。

 披露宴にあわせて、娘がソウルから合流して博多港ちかくの福岡サンパレスに滞在中、ちょうど本人誕生日の前日にあたる四日、家族三人で円筒形棟展望レストラン“ラピュタ”で、お祝いディナーをともにすることができたのは、なによりの出来事だった。



 博多港と博多ベイサイドプレイス(2023.12.3)


大宰府都府楼前 万葉歌集碑

 翌日誕生日の午前中、ソウルへと戻る娘を空港まで見送った。韓国ソウルは遠いようであっても思いのほか近く、午後の新幹線帰路途中大阪あたりで「いま、インチョン(仁川)空港へ着いたよ。」とのLINEが届いたのにはびっくり。
 わたしたちが乗車した“のぞみ38号”は、博多駅を午後2時36分に出発し、新横浜に午後7時過ぎに到着した。それでも五時間足らず、陸路とはいえ驚くほど正確で速いもので自宅には八時過ぎに無事到着。娘のほうもちょうどそころまでにはソウル市内の自宅まで戻れたようだ。
 こうなると、ソウル日本(福岡)飛行機往復も博多と新横浜新幹線往復も時間的には、ほぼ変わらない。現代交通事情の発達と恩恵、移動の妙のようなものをあらためて思い知らされた感があり。

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