テアトル・ド・ソレイユ、「太陽劇団」の22年ぶりの来日公演“金夢島”を池袋で観る。
太陽劇団の初来日は、遡ること21世紀初頭にあたる2001年で新国立劇場の招聘によるものだった。そこでこのユニークな多国籍演劇集団の舞台に初めて接し、日本文化とくに文楽の手法を大胆に取り入れたオリエンタル要素の濃い演出手法の舞台に驚かされた。主宰者であるアリアーヌ・ムシュ―キンの存在については、いまも忘れない印象が残っている。彼女自身がロシア人の父とイギリス人母の間にフランスで生まれ、若き日をイギリス・オックスフォードで学んだという、多国籍文化を体現したような存在だ。
今回の作品“金夢島”は、当初2021年日本初演とのことだったが、コロナウイルス禍のために来日が叶わず、その年の秋11月3日にパリ郊外の劇団本拠地“カルトューシェリ(旧弾薬庫)”で幕を開けた後に、ようやくの来日が実現し、東京と京都での公演に至った。京都での公演は、ムシュ―キンの2019年京都賞受賞が大きな契機と後押しになっていると思われる。
東京会場は、池袋駅西口公園広場、通称グローバルリングのむこう、巨大なアナトリアム空間を内包する劇場だ。立教大学へと繋がっていくこの都市公園広場は、休日や夕刻ともなると多国籍なにぎわいを増してゆき、その意味ではこのユニークな劇団作品上演の場としていっそうふさわしいと思われてくる。
ムヌーシュキンの語るところによれば、今回の新作“金夢島”は、彼女が長いあいだ抱き続けてきた日本文化についての限りない「愛情」や「憧憬」を背景にしている。若き日のムヌーシュキンが初めて日本を訪れたのは、いまから半世紀期も遡る東京オリンピック前年、1963年のことだったという。
それからの50年ふたたび日本への夢が膨らんで、ありったけのオマージュを込めた舞台である。とくに創造上のインスピレーションを得た場所は、なんと新潟県佐渡島の存在だったという。佐渡の能舞台で演じられる祝祭能や文弥人形、民話語り、佐渡を拠点とする芸能集団鼓童の存在と協力が大きかったそうで、公演パンフレット謝辞にクレジットされている点が興味深い。
開幕直前に掲載された朝日新聞のインタヴュー記事では、日本海の自然・文化を凝縮した佐渡島は、現代が抱えるさまざまな要素が煮詰まった「ブイヨンのキューブ」のようだと語っている。さらには、商業主義の開発脅威や効率優先の経済原則が環境や人間心理に与える影響など映し出されて「世界で起きている大きな問題を語るにはぴったりの場所」だとも。それが今回の「金夢島」の提起するテーマそのものだ。
もちろん「金」とは、江戸時代における佐渡金山活況の歴史と繋がり、世俗的な栄華や富の象徴でもあるとともにこの世界の幻影をも意味するだろう。
昼下がりに始まった舞台を二階のバルコニー席から俯瞰する。開演前からプロセニアム舞台の上縁部には歌川広重の「七福神宝船之図」を模した巨大な布絵が掲げられていた。
やがて客席前方に男が進み出たかと思うと、観客に向かってだどたどしく開演前の注意事項を述べて最後に携帯電話の電源を切るように促した。そうして上手から舞台脇に引っ込んでいったかと思うと、舞台上には病院のベットに載せられた精神を病んだらしい主人公女性コーネリアと守護天使ガブリエルが静かに登場する。コーネリアが見ている夢の中で携帯電話が鳴り、舞台は空想の佐渡を思わせる世界へと変わり、島の市長山村真由美とその右腕である友人安寿や市長秘書が会話する中、対立派の第二助役が矢継ぎばやに登場してくるさまから、次第に物語は多方面へと進行していく。
全体の舞台空間は主な演技空間となる前方部分と、後方巨大な壁の中心が左右に開閉する扉からむこうの空間に分かれていて、背後には場面に呼応して江戸から明治の浮世絵が投影される。舞台上手には、文楽における御簾内(みすうち)があり、四人の奏者によるさまざまな打楽器を中心とした生演奏がなされ、音響効果音とともに演出効果を高めている。
そして舞台転換は、そのシーンに登場する様々な人物を演じ分ける役者たちが、たどたどしい日本語も交えて動かす移動車付平台の組み立てによって室内やときには能舞台のようにもなり、島の国際演劇祭に集まった人形劇団、香港からの劇団、市職員からなる“提灯”劇団、アフガニスタン、ブラジルからの劇団の登場に合わせて、目まぐるしく鮮やかな魔法のように変わってゆく。
劇中、日本人登場人物名が多国籍からなる俳優の身体からわざわざ発声せられると、妙にエキセントリックな印象に聴こえてくる。それは舞台空間の美術装置や漢字、浮世絵などと相まって陶酔に似たような不思議な感覚を客席へともたらすのだ。
にぎやかな演劇祭と並行して、島にもちあがったリゾート開発計画に絡んだ利権争いの顛末や、島内住民を巻き込んだ市長派、反市長派対立などが合わさり、やがて島全体はてんやわんやの状態に。
さまざまな対立のあとの最後は、朱鷺なのか丹頂鶴なのかを模した三羽の巨大なトリがゆっくりと登場してどうなるかと固唾をのんで見守り中、全員が島から進み出た海上らしきところで扇子を手にして一斉に舞うことで、この壮大な祝祭劇は大円団となる。
意表をつくようなそのシーンで流れる曲は、初めて聴いたのにどこか懐かしさでいっぱいの“We will meet again”。「より良い日は巡ってくる。また会いましょう」とやさしく包み込むように甘く歌うのは、第二次世界大戦中、戦士の恋人と呼ばれたイギリスの国民的大歌手ヴェラ・リン。さまざま対立や紛争で混乱し、殺伐混沌とした世界に希望を見出そうとするようにその歌声は響く。このエンディング曲は核戦争を描いたスタンリー・キューブリック監督映画「博士の異常な愛情」と同じでもあり、同時期に戦士とその恋人の再会への希求を歌ったドイツ戦中流行歌「リリー・マルレーン」の隠された主題と共鳴するように響く。
この世界の現実をありのままに、それぞれの心の中に受け入れるしかない、ということから未来への一歩は始まる。この舞台はいま世界に起きている現実を写し鏡として、多国籍俳優たちによって演じられた「夢幻能」のようなものかもしれない。それはシェークスピアの格言「この世はすべてひとつの舞台、男も女も人はみな役者に過ぎない」につながっていく。
劇場を出た後、火照った身体と脳みそをクールダウンしたくて、劇場から山手線脇を目白まで歩く。
西池袋大通りの雑踏から住宅地域に入り込むと、突然といった感じで、都会の夜景をバックにした自由学園明日館の姿が浮かんで現れる。フランク・ロイド・ライトと遠藤新の共同設計によるその建物は、静かに両翼を拡げて、いまにも都会の夜空に飛び立とうとでもしているようだ。
自由学園明日館(1921年竣工、F.L.ライト&遠藤新 設計)2023.10.21撮影