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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

箱根芦ノ湖畔にたたずむ村野藤吾

2013年08月23日 | 日記
 前回に続き、箱根芦ノ湖における村野藤吾設計のふたつの建築について作品プロフィールを併記する。ともに建築主は国土計画株式会社。


○箱根樹木園休息所
 竣工:1971年4月      施工者:鹿島建設
 建築面積:715平方メートル 延床面積:711平方メートル
 構造:RC造。茅葺屋根


○箱根プリンスホテル
 竣工:1978年6月      施工者:清水建設
 建築面積:5,988平方メートル 延床面積:14,058平方メートル
 構造:SRC造


 樹木園休息所は貴賓室も備えていることから財政界や皇族方の来場も想定されたものであったようだ。樹木園はのちにコテージ施設が置かれて自然のなかのキャンプ場的性格が付与されたが、この当時の建築主の堤義明氏はいったい何を考えていたのだろうか。
それにしても箱根プリンスよりも先だってこの建築物が竣工していたとは、ちょっと意外である。ふたつとも箱根芦ノ湖湖畔の絶好なロケーションに静かにたたずんでいる。西洋リゾートを知らない日本人にとっての“リゾート”のイメージの王道?を踏襲しているのではないだろうか。2000年代までのプリンス系のホテルは、高原の湖畔に立地するものが複数存在していた。箱根芦ノ湖、日光中禅寺湖、信州野尻湖、十和田湖、田沢湖など。そのうち箱根と十和田以外はもうプリンスの看板を下ろしているが、ホテルとしては存続しているものもあり、1970年代バブル黎明期に生み出されたリゾートというはかなき産物が時代とともに移り変わる栄枯盛衰を感じずにはいられない。

 建築物として興味深いのは、RC造に茅葺屋根の組み合わせ。当時の建築潮流は当然ながらモダニズムであるからして、この試みは現代における一連のフジモリ建築(タンポポハウス・ニラハウスやツバキハウスなど)よりも衝撃的だったに違いないと思う。これぞ村野建築の真骨頂で、伝統的な茶室をルーツとする数寄屋から改めて派生(先祖帰り)した“現代の茶室?”の変形なのかもしれない。


  



夏の箱根記(箱根プリンスホテルと旧箱根樹木園休息所を見にゆく)

2013年08月17日 | 日記
 休日に思い立って好きな建築を見に出かける愉しみ、というわけで昨日16日に久しぶりに箱根芦ノ湖まで足を延ばした。目的は箱根プリンスホテル(現ザ・プリンス箱根)と箱根樹木園休息所(現九頭龍の森)を見にいくため、いずれも村野藤吾(1891-1984)80歳代の設計。

 箱根プリンスというとやや憧れに似た特別な感慨がある。手の届く範囲のリゾートでありながら奥が深くぜいたくな環境の中のホテルという印象だ。湖畔のにぎわいからは距離があり、庶民的な世界からすこし洗練された上品なイメージ。小田急沿線の住人からするとやや文化圏が異なる感覚をずっと持っていたが、これってフリーパスに代表される企業戦略から生じている現象か。つまり、フリーパスでは箱根園にいこうとすると交通が別料金になってしまい、結果箱根プリンスは少し遠い存在となっていた。
 
 今回訪れて、箱根プリンスホテルの竣工と開業が1978(昭和53)年、つまり今年35周年と意外に新しいことにびっくりした。もちろんそれに至る開発変遷の歴史は、大正時代から連綿と続いて今日に至るのであるが。
 変わらず四層構成の建物は、木々に囲まれて湖畔にたたずんでいた。東と西館のドーナツ型とも花びら型ともいえる優美な造形、そこにつながる縦長のロビーの見事さ。今回初めて正面入り口の低く抑えられた軒先からロビーをへて客室廊下へと歩いてみたが、その空間構成の高揚感の高まりへと誘う巧みさにうなった。外壁に埋め込まれたベージュの石片は、インド砂岩であるそうだ、インドから箱根の湖岸に!

 全体の敷地はゆるやかに湖畔に向かって傾斜しており、エントランスからは本館客室の高さが目に入らず、自然に奥への導かれる構造になっていて、進むにつれて次に何が展開するのかという期待感と客室棟が見えた先につながる芦ノ湖の水面に心癒されるのだ。客室棟が真中が空洞で竹が植えられた中庭であることも今回の発見であり、この有機的空間構造は京都宝ヶ池プリンスホテルの造形にもつながっていく。なお、エントランスロビーの雰囲気は、旧千代田生命本社ビル(1966年)のエントランスが先取りしているだろうか。

 箱根樹木園休息所(1971年)については、稿を改めたいがこの建物は見た限り村野藤吾の問題作、アバンギャルドの最たるものであると思う。何しろ森の中のキノコと見まごうような外観、近代建築でありながら茅葺屋根が三棟。そして現状の朽ちかけた姿が自然に帰るとは、建築物の終演とはなにかについて雄弁にかたっている気がする。正面入り口の開かれた木戸横の壁面に「1971 村野・森建築事務所 村野藤吾」と銘板あり。貴賓室天井の優美なモビールのようなシャンデリアは、そのまま残されていて、それはもういまは記憶の彼方にしか存在しない横浜プリンスホテルの優美で有機的な吹き抜け空間にもつながる。
 なんとも感慨深く、建築と自然の関係性について思いを巡らせることとなった。

天一美術館(群馬県水上町谷川)

2013年08月17日 | 日記
 天一美術館のことは、PR誌「銀座百点」2010年3月号に掲載された広告で知った。オーナーが銀座の天ぷら屋創業者で、設計が吉村順三であることに興味を惹かれたが、今回の訪問でそれが遺作であることがわかり、ちょっとびっくり。個人コレクションの美術館としては、その収蔵作家リストをみるとなかなかの充実ぶりであることがうかがわれたが、まったくもってその存在は予備知識すらなく(赤瀬川原平「個人美術館の愉しみ」にも掲載がない)、ややミステリアスな存在でいつか実際に訪れてみたいと思っていた。

 水上インターを出て15分というものの看板もなく、一度行きすぎてしまい再確認してようやく山間の美術館に到着。建物は道から見上げる位置にある。どうやら別荘地らしい敷地の斜面に建てられたコンクリート地盤に山荘風の構えだ。構造的にはRCコンクリート造りだろうが、外壁には濃いベージュの横板張りである。レーモンドの「夏の家」を連想した。玄関前にネムの木とヤマボウシ、ムクゲにヤマユリ。
 受付を経てホワイエへ、あざやかな紫の布張りの椅子がゆったりと並べられて屋外の山の風景を愉しめるようになっている。これも吉村氏の設計だろう。展示室は2フロアに別れていて、マチス、ルノアール、ルオーなどに岸田劉生や佐伯祐三、藤田嗣治といった日本人も含めた西洋画と南画、朝鮮半島を中心とした陶磁器コレクションで、大津絵なんていうものもありなかなか幅広くて、このようなコレクションが谷川岳のふもとで公開されていることにいたく感心した。これってなかなか、オーナー一族の見識と財力の両方がないとできないことだろう。創業オーナーの矢吹氏は岡山県の出身だそうで、財界人や作家・文化人と料理をとおしての様々な交流の中でこれらのコレクションを築いたらしい。

 さて、建物の外、石張りと芝生と構成された庭にでてみる。建物との間に水がたたえてあって、これは谷川の水を引き入れているんだそうだ。周囲の緑が目にしみいる。コンクリート壁の産土色が建物と調和してやさしい。