日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

三輪の里は移ろいの季節

2018年02月28日 | 日記
 寒かったきざらぎの日々も晦日となり、明日からはもう三月弥生の草木萌え動く季節だ。この月はじめは日中が澄んで晴れたぶん、夜が冷え込んで厳しかった。日本海側とくに北陸地方は、例年以上の大雪が降り続いていた。故郷の空き家になってしまった実家、その屋根の積雪がひどく気になっていたら、近所の方がその様子を連絡をくださったので、あわてて雪下ろしの作業を手配してもらった。

 昨晩の帰り、頭上の夜空には、全体の七割くらいに満ちてきた上弦の月が微笑んでいる。その右隣に目を凝らすと、オリオン座三連星がみえた。もう天空は、冬から春に向けての星座配置へと移りかわりつつあるなあ。
 ちかくの散歩道や庭に咲く花も、可憐で芳しく揺れる水仙、清楚で馥郁とした香りの梅と咲いてきて、いまはマンサクやサンシュユの霞のような黄色、早咲きサクラの濃い桜色が主役となりつつあるころ。

 この中旬は、ひさしぶりにまほろ郊外は三輪の里へとでかける。このあたりは武蔵と相模の境にあたり、小田急線が近いというのに、まだのどかな里山風景が遺されていてほっとする。
 車でこどもの国手前から鶴川へと向かう道をのぼり、右手にTBS緑山スタジオを見ながらいくと、岡上営農団地から一気に眺めがひらけて爽快な気分になれる。それにしても、全国放送のドラマの数々が、いまは高級住宅地ともなった、この里山に忽然と出現するスタジオで制作されているなんて、なんとも不思議な感じがしてならない。大学生時代の春休みだったか、ここでアルバイトをしていたことがあって、本社のある赤坂とを往復していたのが、ほんとうに夢のように思える。
 
 高蔵寺で車をとめて、山門からこじんまりした境内をひとめぐりする。このあたりでふたつある真言宗の寺で、よく手入れされた境内には、ここを昭和のはじめに訪れた北原白秋の詩碑がたっている。ちかくに住んでいた白洲正子の散歩道でもあったという(“鶴川の周辺” 「鶴川日記」1979年 より)。寺の向かい側は、三輪の里山景観地で美しい風景がのこっている。もうじき、しだれ桜や菜の花が咲きだすとちょっとした桃源郷といった風情があって、これまでも何度も訪れてきたけれど、いつも変わらず心がなごむのは、田舎の暮らしを思い起こさせるからだろうか。
 畑地のさきにはちいさな社の七面堂が祀らていて、どことなく中世のもののあわれ、まほろばの里のような気配がだだよう。この一帯が私有地なのであまりつまびらかにはされていないが、戦国時代の沢山城址跡なのだそうだ。とにかく静かでひっそり人知れず、といった雰囲気がよい。

 グリーンのデミオのタイヤを新調したばかりなので、弥生の花のさかりの季節に訪れよう。それももうすぐだ。


 中世の山城跡にひろがる三輪の里山風景、ここは奈良三輪とつながる。


 高蔵寺境内、弧カムリ姿の七地蔵(2018/02/17 撮影)


国道246号線大山山麓伊勢原行き

2018年02月15日 | 日記
 きさらぎ立春がすぎても、寒さは厳しい日々だ。ここしばらくは、冬の日の晴天が続き、空気が澄んで高くぬけていくようななかに梅の花がほころび、ほんのすこしづつ春への気配が潜んでいるのだろう。

 晴れ渡った日曜日が仕事休み、自宅から県道を下って伊勢原まで向かう。その道中聴いていたのは前日に手にした、パット・メセニー・クインテットの二枚組CD「80/81」(1980年リリース、ECM)を聴きながらの一時間余りのドライブ。北欧オスロのスタジオで収録された透明感のあるスリリングな演奏がいまの季節にふさわしい。これがもう三十八年前の演奏となってしまったなんて、時の流れを思うととても不思議な気がする。大学生時代にその音楽に触れて以来、ずっと好きなアーチストであって、来日のたびに演奏会場に足を運び続け、同時代の空気を吸って生きてこられたことを幸せに思う。

 相模川を渡り、厚木市街を通り抜けると国道246号線へと合流する。すぐに東名高速高架をくぐり、愛甲石田からはぐんと丹沢の山並みが迫ってきて、駅前あたりではアマダ・フォーラム246の特異な黒々とした姿が目立つ。しばらく進んだ歌川地区ではロードサイドにあるスターバックスコーヒーの背後、新東名高速の建設工事がすすんで、圏央道からの高架が連なって西へとのびている。
 前方上り坂の右手方向に白亜の東海大学病院棟がみえてくると、もう目的地の伊勢原市民文化会館前だ。手前の市役所前には、ご当地ゆかり室町時代の武将太田道灌像がたち、会館前広場では、集まって開場を待っている観客の前で、甲冑をまとった野武士姿の一団がほら貝の音を鳴らし、ときの声を上げていた。う~ん、なるほど、これは予想以上に開場前から力がはいっているなあ。
 この日、ここでイラストレーター、キン・シオタニと落語家立川晴の輔のライブトークがあって、今回のテーマはもちろん大山街道・大山阿夫利神社・大山講の歴史。ふたりのテンポのいい街の話題を盛り込んだ脱線トークとスライド、ライブドローイングそして落語高座「大山詣り」、ご当地道中もので盛り上げてくれたのだった。
 はじめて茅ヶ崎でこの舞台を見て以来、次が昨年の町田市民ホールときて今回は三度目、ニット帽にスニーカー姿のキン・シオタニと着物姿の晴の輔師匠が、その土地土地の生きた魅力とトピックスを的確に切れ味鋭く俎上にのっけて、旅人視点からおおいに楽しませてくれる。

 終演後、せっかくなので地名縁の伊勢原大神宮まで歩いて訪れてみた。江戸時代のはじめ、開拓地として人が棲みつくうちに、その土地の鎮守として伊勢の国より勧請され奉ったことから、ここが「伊勢原」と呼ばれるようになったそうで、そのルーツの社なのだ。
境内には神木の大楠をはさんで外宮と内宮が並んでたち、天照大御神と豊受姫大神が祀られているのだから、お伊勢様とまったく同じ、境内には神宮遥拝所もあり初めてのときはびっくりした。
 ここから駅までの大通りは大山街道のひとつ、古くからの商店街であってちらほらと気になる老舗も点在している。のどかなローカルタウンで、すぐさきに大山を望み時間の流れがゆったりとしているように感じられる。
 しばらく歩いた農協の物産販売所でようやくみつけた、地元大山山麓子易の特産「おおやま菜漬け」を買って帰る。今年は不作で生産量が少ないと聞いていたのできょうはラッキー、野趣あふれるの地野菜のからし菜を塩漬けしたもので、ピリリときてこの寒さの季節になると食べたくなるのである。


聖と俗もあわせての現代風景、国道246号沿いのレストランから大山を仰ぎ見る。(2018/02/11)


都心皇居桜田堀から始まる246号大山街道はこの地点が都心から55km!

江之浦からの相模湾、そのむこうには丹沢山

2018年02月07日 | 旅行
 一月の週末午前中、JR根府川駅ホームへと降りたつと、そこからはもう眼前にあっけないくらい圧倒的な相模湾が広がっていた。ホームから跨線橋を渡って熱海からの切符を小さな箱にいれ、改札を通り抜けて小さな水色に塗られた木造駅舎駅舎へとすすむ。若き日の茨木のり子が、終戦後の帰省で通りかかり、
 「東海道の小駅 赤いカンナの咲いている駅 たっぷり栄養のある大きな花の向こうに いつもまっさおな海がひろがっていた」(根府川の海)
と青春のかがやきを記した、まさしくその海の見える駅舎だ。
 もちろん、冬の季節にカンナの花はなく、駅舎前の広場の向こうの土手には、いまが盛り水仙の花の群生が目に入ってくる。そして夏になれば、いまもホーム脇にカンナの花は咲く。

 迎えのシャトルバスに乗りこんで、曲がりくねった旧道135号線を左手に海をみながら、ゆるゆると真鶴方面へとしばらく進むと、やがて目的地の小田原文化財団“江之浦測候所”へ到着する。
 バスを降りてゆるやかな坂道をのぼると室町時代に鎌倉に建てられたあと、幾度かの変遷をへてここに移築された明月門が目に入ってくる。その先がガラス張りの待合棟、右手相模湾方向に突き出すように、直線で百メートルあるという、ギャラリー棟がまっすぐに伸びていた。

 そこの高台からは、相模湾の広大な蒼い海原が澄んだ碧い冬空のもとに望める。目線のさきの海岸線の続くむこうに小さく小田原市街が見えていて、その背後には低く東方向に曽我丘陵、そして相模湾へ流れ込むように三浦半島が伸びていた。小田原市街地のさきの曽我丘陵を抱くように、大きく左手に連なってるのは、大山と丹沢の山並みだ。冬の季節にふさわしく、黒い山肌に鮮やかな白雪模様を交えていた。いつも自宅から眺めている方向からは、百八十度移動して廻り込んでいて、逆方向に連なっていく山並みのパノラマ風景が不思議なくらい新鮮に見える。はるか遠くまで視界がさえぎられることがなく、澄み切った大気の中をすうっと気持ちよく伸びていく解放感と壮快さは得難いものがある。そうだ、かつてはここに一面のミカン畑がひろがっていたのだ。

 ここになんと思いがけず、といった感じの京都市電の軌道敷石を敷き詰めた(廃止前に乗った記憶がある)という庭園をぬけて、茶室「雨聴天」へとすすむ。あの京都大山崎、待庵の寸法を写し取ったつくり。床の間掛け軸には「日々是口実」とあり、そこは庵主杉本博司らしい過剰な諧謔趣味とウイットを感じる。このすぐ近くには天正18年(1590)小田原合戦の際に、豊臣秀吉の命で野点を献じた千利休ゆかりの天正庵跡があって、この茶室の屋根は地元の古びたミカン小屋のトタン屋根が使われている。雨の日にはトタン屋根をたたく雨音を聴きながら、お茶を喫すことが風流だとばかりの“有頂天”な庵主の顔が浮かぶ。にじり口の踏み石は、割れ目の入った厚みのある光硝子で、四季の移り変わりを取り込み、春分秋分の日の出には組石造りの鳥居を通して陽光が輝くのだそうだ。
 杉本流現代侘び寂びの世界、利休そしてM.デュシャンへのオマージュなのか。草庵の手前両脇には、ほころびはじめた白梅と紅梅が対になって植えられてあってその構図は、熱海MOA美術館で昨日見てきたばかりの尾形光琳「紅白梅図屏風」を思い起こさせた。

 ここの野外舞台石畳の客席からは、海面がまぶしく光ってみえていて、その洋上には初島や伊豆大島、そして真鶴半島も望める。冬の空、晴れ渡った太陽のひかりは明るく、海から吹く風は野外にたたずむ身にはまだ冷たい。
 こんなとき日本海側の故郷の新潟は大雪だろう。こうしていてもしんしんとふり続くふるさとの雪とそこに暮らす生活を思う。


 江之浦からの相模湾。遥か先には白雪まだら模様、大山丹沢の山並みがみえる。(2018.01.27)


 “冬至光遥拝隧道”と命名された寂びた鋼鉄製通路の先端のさきに相模湾の水平線が切り取られ、ふた筋の潮のみちがうねる。