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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

小田原城下 三の丸ホール

2021年09月10日 | 日記

 九月に入ってから雨続きのなか、この五日は薄曇りから陽ざしも見られた天気模様になる。初めての週末、小田原城址お濠端通りに面して、新しくその名も「三の丸ホール」が開場した。当初設計案の白紙撤回、見直し再設計後の入札不調など難産の末、三度目の正直ようやくの幕開けである。公開見学会初日へと足を運ぶ。

 敷地は申し分のない立地で、外観は黒を基調とした古民家作りを近代建築に生かしたようなどっしりと落ち着いた佇まいだ。大ホール1105席(一階686,二階419)、小ホールは可動式最大296席、展示スペースを含んだ広い大ホールオープンロビーと両ホールを繋ぐギャラリー回廊が特徴のひとつ。
 旧市民会館の約六割の客席で抑えた大ホールは、舞台との親密感があり、木調と深い小豆色の焼きタイルの内装は落ち着いて重厚感がある。三階ホワイエからの城址公園の馬出門、松の巨木のあいだに望める天守閣の眺めが最高に素晴らしい。左手の三の丸小学校の城郭風の白壁、瓦屋根とのつながりも本当に申し分がない。これ以上望めない立地に、よく整えられた景観が出来上がった。

 お堀端通りに面した正面は、二本の大きなヤマボウシ、ケヤキやサクラなど植栽が施されていて、芝生が清々しく全体が広々としている。その日の開場式は、この広場で半被姿の和太鼓演奏が披露されていて、いい雰囲気があふれていた。先行してオープンしていた二階建ての観光交流センター棟は、ホール棟と階段状のテラスでつながっている。その一階は広場にむかって開かれたカフェスぺースが営業していて、ここが旧警察署や消防分署跡だったなんて信じられない!
 これら広場を介して有機的なつながりを生み出している空間構成と国道一号線側からかもアプローチできるよく考えられた導線が素晴らしい。設計者は環境デザイン研究所の仙田満氏。「まちとつながる文化芸術の空間」という仙田氏の平易なことばがこの新しいホールのありようそのものを表しているだろう。


 城址内馬出門から見た小田原三の丸ホール。通りとの間をお濠が隔てている。


 

 小田原について。

 ここは箱根山と相模湾にちかく風光明媚な旅への玄関口、コンパクトでとても好きな街だ。JR東海道線と新幹線、恐竜の背中を体内から見上げているような小田急線駅ホーム、二両編成の伊豆箱根鉄道大雄山線も乗り入れている一大ターミナル駅、山側に小田原厚木道路、相模湾側には国道一号線が並行している。酒匂川と早川に挟まれた複合扇状台地に広がる城下町。ムラカミ小説「騎士団長殺し」の舞台となった街。
 
 御幸の浜海岸は、西湘バイパスで市街地と分断されてしまっているが、地元ゆかりの作家川崎長太郎の小屋跡を捜して、かつての街中かまぼこ通りを歩いてみた。
 国道一号線に面した出桁造りの旧網問屋建物を再整備した「なりわい交流館」から横丁へと入る。このあたり明治天皇行在所跡、伊藤博文像の残る滄浪閣跡などの旧跡にちかいが、日常一般のひとが訪れることはあまりないだろう。ここのところ町おこしに励んではいるが、いささか侘しく閑散としていて昔日のにぎわい何処、といったあんばいではある。それでもあの街中のにぎわいからタイムスリップしたかのような時間が流れる通りは、貧乏暮らしが長かった川崎長太郎が、浜辺に近い漁師小屋を借りて二十六年間も住み続けた足跡を訪ねる場所としてふさわしいだろう。
 通りのはずれ、青物町交差点からすこし入った、かつての防潮コンクリート壁のすぐ脇にその跡を記念した石碑が建っている。そこには小説「抹香町」の一説から引用された一文「屋根もぐるりもトタン一式の、吹き降りの日には、寝ている顔に、雨水のかかるような物置小屋に暮らし」が刻まれていた。
 しばしその周辺の草むらを歩いて感慨にふけったのであるが、あとで帰ってしらべるとその碑はどうやらもとあった通りから、何かの事情で海岸地点よりへと移動させられたものらしい。まあ、石碑があとから小屋跡に移動したのかもしれないし、これも人生気ままに生きたという川崎長太郎のイメージにふさわしいものだろうと思いなおして、納得する。

 その日、さらにその先の碑のあるすぐ脇を海岸にそって東西にのびる西湘バイパス、その下を貫通する四角いトンネルの向こうにやや陰鬱な相模湾の海が広がっていて、西の方向には真鶴半島が突き出している。海岸には釣り人何人かが暇を持て余したかのように竿を投げてはを繰り返している。週末なのに、明るく海遊びや散歩する人々の姿は見かけないのは、やはりここが人工的に遠く街中のにぎわいと分断されてしまっているからなのだろう。どこかSF的で虚無感漂うさまが小説やサスペンス映画の舞台になりそう。

 疲れて重くなった足を引きずり、駅の方向へと引き返す途中、安部公房と内密の関係にあった女優山口果林のふたりが箱根別荘への道中すがらよく通った国道沿いのレストラン「KINOMI木の実」(ここは桑田佳祐の父が支配人を務めていたのだそう)、待ち合わせ場所だった喫茶店「豆の樹」の前を通ってゆく。移り変わる街並みにも、有名無名の人間の営みが堆積して染みついている。それに気がつくかどうか、だ。
 彼らも同時代の生身の人間のはず、ふたりしてこんど来たときは、ここでランチしてお茶を飲み、語り合おう。
(2021.09.10書き出し、9.12校了)

 


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