日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

喫茶去でココアを

2016年11月20日 | 旅行
 冬支度のため新潟に向かう。圏央道経由で藤岡ジャンクションから信越道に入って、一路ふるさとへ。
 
 碓氷峠のトンネルを抜けた妙義山のあたりでは、雨雲に隠れて奇岩の連なりは見ることができない。小諸までくると雨は上がってきて、右手方向のさきに浅間山の雄大なすそ野が広がっていた。長野から須坂の先、小布施サービスエリアで二回目の休憩をとる。駐車場の向こうには戸隠飯綱連峰が望める。またすこし雨模様になってくる。このさきの県境ちかくになると雄大な妙高山がみえるはずなのだが、あいにくの天候で上から半分は雲に覆われてしまっていた。

 上越高田インターチェンジを下りたのが午後三時過ぎで、ここから高田市街を抜けて、刈取りの澄んだ田園地帯をひたすら東へと走ってゆく。やがて平野が頚城丘陵へと入るあたり、雨脚は次第に強くなり、山高津字鞍馬というところで沿道に民家を改装した軒先の白い暖簾が飛び込んでくる。鞍馬とは気をひく名前だが、戦国時代の武将上杉謙信にちなんだ名前だという。
 このあたりではまったく珍しい喫茶専門店だ。だいぶ前の帰省の折に立ち寄って以来、変わらずに営業を続けている様子になんだか嬉しくなり、玄関前に車を停めて中をうかがう。吹き抜けの天井に黒々とした梁が組まれた空間、土間にいくつかのテーブルを並べた店内に客は誰もいない。まだ三十代くらいの若い夫婦らしきふたりの姿がみえた。ミシン台を再利用したテーブルの椅子に座って呼吸をすると、すこし煤けた匂いが残っている。温かい飲み物が欲しくなって、ココアを注文した。

 ココアを飲みながら、吉野登美子「琴はしずかに」の頁をめくる。その副題にあるように、齢三十歳前で夭折した詩人八木重吉の妻が、出逢いから死別までのわずか六年ほどの思い出について、詩人没後五十年を機に回想して綴られた文章である。この著者は、旧高田藩士であって日本画家だった父をもつひとで、まさしくふるさとゆかりのひとだ。一方の八木重吉は多摩のはずれ、旧堺村相原生まれで豪農の二男のクリスチャン、夫人とは池袋の下宿先で家庭教師とその生徒の関係で知り合ったことをきっかけに、生涯の伴侶となっていく。まことに短い生涯であった分、その無垢な魂の交流の純度は、痛々しいくらい崇高に感じられる。夫人は夫との死別後、数年して愛するこどもたちを次々と結核で失いながらも夫の原稿を守り抜き、戦後は巡り合った高名な歌人の吉野秀雄と再婚したのちも、吉野の理解のもと八木との魂の交流を描くことなく、平成十年にその稀有な人生の長寿を全うされた。

 本書では、夫人が幼い時代を過ごした明治期の高田時代のことや、吉野秀雄との出逢いについては殆ど触れられていないのが残念なことだ。その中でふたりが新婚時代を過ごした兵庫県御影時代の様子が記されている。それによると、ココアは重吉の好物であったそうで、英語教師であった重吉が勤務から帰ると、まずココアを飲んでから詩作に励んだのだそうである。

 さて、ここからふるさとの家まではひとつ峠を越えたら、もうすぐだ。


 落ち着いた構えの“喫茶去”骨董と手作りケーキの店とある。
 喫茶去とは、禅語で「お茶をどうぞ」の意。さり気げなくも人生の極意を表わす。
 店の脇には、移築された鋳物製の外灯が地方文明開化を感じさせる。

1941年、ボブ・ディランとポール・サイモンは同い年生まれ

2016年11月03日 | 音楽
 11月はじめ曇り空のもと、まほろ天満宮の骨董市へ行ってきた。駅改札をでてすぐのマクドナルドでまずは朝マック。ここの店舗は、ガラス張り円筒形二階建ての造りで元平和相互銀行だったところだ。その二階の席からは街中が見渡せる。その昔、広島アンデルセン本店が旧日本銀行広島支店銀行なのを知り、しかもその設計が長野宇平治であることに驚かされたが、ここも元銀行の融資フロアがいまはファーストフード店というのがなんとも不思議で、時代の変転を物語っていている。正面にはジーンズ専門のマルカワ本店が見えている。ここの建物外観は、シースルーエスカレーターにイルミネーションつきのエレベータと、いまとなっては懐かしい1980年前後の流行の香りを漂よわせている。

 駅から街頭をぬけて約十分ほど歩くと、同じ目的で会場へと向かう人々の流れに合流する。JR横浜線跨線橋を渡ると、もうすぐに雑多な陳列品が並ぶ境内入口に至る。思いのほか、外国人の姿が目について、交わす言葉に耳を傾けているとフランス語、韓国語が聞こえてきて、その姿格好からするとおそらくは在日なのか、エキゾチック・ジャパンを目指して、はるばると東京郊外まで熱心に足を延ばしているのだろう。
 しばらく境内を見て歩くと、ちょうど欲しかった美濃焼だろうか、夫婦湯飲み茶わんが格安値段で出ていた。作者名書き入りの桐箱つきで、骨董初心者としてはちょっとした満足感をくすぐられるようですぐに手に入れる。あとは、軽く流してアンティークジュエリーで掘り出し物があればくらいの気持ちで見て回るのは、休日初日にふさわしく楽しいものだ。駅近くのはずれまで戻って、地中海料理「コシード・デ・ソル」で昼食。店主が標榜する地中海料理の中身は、スペインやイタリア風のメニューのようで、安くて美味しいから、平日も近くのホワイトカラーやアベックたちでたいそうにぎわっている。

 ボブ・ディランがノーベル文学賞発表後二週間の沈黙をへて、事務当局に対して受賞の意志を伝えていたことが先月末に報道された。沈黙の理由として「受賞に唖然として、何というべきか言葉を失っていた」というのだから、七十五歳の年齢もあわせて考えると、実に等身大のディランがそこにいて、世間並みの人間臭さを感じさせたものだ。これは、やはり素直に喜ばしい出来事で彼が述べたとおり、「素晴らしい、最高だ。いったい誰がこんなことを想像しただろう」に違いない。

 そこで、ふと思ったのはこの次に受賞してもおかしくないミュージシャンは誰だろうということ。すぐに頭に浮かんだのは、ポール・サイモンで、この二人年代的にも近いと思って調べてみたら、なんと1941年生まれの同い年でディランが五月生まれ、ポールが10月生まれである。となると、今回のニュースを知って真っ先にそのように思ったのは、初期の頃ディランに影響を受けて詞を書き始めたと公言しているポール・サイモン自身かもしれないと想像する。もうひとり、ここのところの日本人の文学賞受賞予想候補の常連、村上春樹の場合はどうだろうか。これは大方の予想としては、ディランの受賞によってより可能性が高まったとみるのが妥当だろう。
 
 
 村上春樹自身が「三十六歳の誕生日に第一校が完成した」と語っている『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年刊)には、ディランの「激しい雨」(1963年の「フリーホリーイン」収録、1976年アルバムタイトル)の一節が引かれていて、その歌声は「まるで小さな子が窓に立って雨降るをじっと見つめているような声なんです」と形容されている。ひとつの楽曲が、二十年を経て日本のひとつの小説作品世界に象徴的に登場し、ようやく五十年を経て世界文学の可能性を拡げたと公認されたのだから、小さな波紋の広がりと時間軸の長さを示していて、その事実の前にしばしの沈黙が生じるもやむなし、と思うのだ。
 ともかくもこの機会に発売と同時に買ったあと本棚にしまい込まれたままの「世界の終わりに」向き合ってみよう。その中で「激しい雨」はどう響くのだろうか。