日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

M.F.0817覚え書き

2019年08月25日 | 音楽
 猛烈に暑かった夏も終わりに差し掛かり、気がつけば日の出が五時過ぎ、日の入りは18時半を切って、少しづつ日中が短くなりつつあるのを実感する。あちこちに百日紅は咲き誇ってはいるが、すこし涼しさが感じられる夕方に蝉の鳴声は心なしか納まりつつあるように聞こえてくる。
 
 先週末は早く帰宅し、竹内まりやがテレビ番組に出演するというので、久しぶりに「ミュージックフェア」をみた。司会は、フジTV軽部アナと仲間由紀江のコンビ。竹内まりやの出演はデビューして三年後の1981年以来38年ぶりなんだそうで、来月九月発売の三枚組ベストCDのプロモーションがあってのことだろう。同時期、朝日新聞の文化・文芸欄で「語る 人生の贈りもの」連載も始まっていて、このあたりいつもながら所属事務所スマイルカンパニーの丁寧なメディア向け対応、準備周到さに感心する。

 冒頭、四人コーラス隊をバックに「静かな伝説」(2014年リリース「TRAD」より)から始まった。この曲、フジテレビの深夜トーク番組「ワンダフルライフ」テーマ曲であって、司会進行がリリー・フランキーだったな。バックバンドメンバーのギターは佐橋佳幸氏、さすがに夫君山下達郎氏の姿はみえない。ご本人は、縦じま紺のストライプシャツにトラッドなスーツ上下(ズボン)姿で、落着いた雰囲気を醸し出している。
 場面が替わって、以前に出演したアーカイブ映像からなつかしい数曲が紹介される。まずはアップテンポの「J-ボーイ」とギター伴奏によるジャージーな雰囲気の「五線譜」。前者は、セカンドアルバム「UNIVERSITY STREET」(1979)、後者は、モノクロームのスパッツ姿に大きく英文字「Love Songs」をあしらったジャケットデザインが印象的な980年リリースのサードアルバムに収録されている曲。
 続いての「モーニング・グローリー」(山下達郎作詞作曲)は、同じく1980年4枚目のアルバム「Miss M」からの一曲だ。LP盤をリアルタイムに購入して、ウエストコーストサウンド全盛の学生時代に、その流れの中でしばし愛聴していたものだ。まりやご本人が独身時代だったこの頃が、当時個人的にはもっとも盛り上がっていて、地元まほろで開かれたコンサートにもでかけている。

 さらにめずらしい過去のTV映像が蔵出しされる。なんと1980年10月から翌81年3月まで放送されていたという幻?番組「アップルハウス」のなかで、ギターを弾く加藤和彦と「不思議なピーチパイ」をデュエットしているではないか。このふたりの関係って、ただの共演者なのだろうか?
 このあたりは本人が別に語っているように、なかばアイドル路線を迷走しだしている感じもありで、よくぞオンエアをOKしたなあと感心する。それだけ時間がたって笑って?振り返る余裕もでき、お盆の時期という時期に故人となってしまった関係者へのせめてもの供養という気持ちもあったのかもしれない。昨年亡くなり、この夏が初盆となる西城秀樹と「夢を見るだけ」というカンツーネ?をいっしょに歌うシーンも流されて、これはもうプライベートビデオを見せられているようで、素直に感涙もの。
 ほかには、中尾ミエ&森山良子とのトリオで「ムーンライトセレナーデ」、ゴダイゴとの「モンキーズのテーマ」「デイ・ドリーム・ビリーバー」とあり、小さいころから洋楽に親しんでいた恵まれた家庭環境が想像される。流行り廃りのめまぐるしい時代、四十年を超える音楽人生は、本人の努力が幸運を切り開き、喜怒哀楽があって当然、何物にも代えがたい生きてきた証しのようなもの。

 そして締めくくりの曲は、シックな深碧のドレスをまとっての「瞳のささやき」。カントリー歌手クリスタル・ゲイルが「どうかわたしのブラウンの瞳を憂いでブルーに染めないでほしいの」とイノセントな女心を歌った曲のカバーで、うーん懐かしい。ラストには意外な選曲のような気がしてちょっとびっくり。落ち着いたミセスの雰囲気たっぷりのアルトヴォイスとストリングスの響きがぴったり、そういえばこのふたり髪型も同じストレート長髪だし、その歌唱もさることながらあたためていい曲だと感じ入ったのだった。

 この機会に自身の乏しい音楽遍歴をさかのぼって、1980年前後から90年くらいにかけてLP盤と普及し始めたCDで聴いていた女性歌手たちを思いつくままにあげてみれば、リタ・クーリッジ、オリビア・ニュートンジョン、キャロル・ベイヤーセイガ-、メリサ・マンチェスター、エミルー・ハリス、イボンヌ・エリマン、ローラ・フィジー、アンヌ・ドウールト・ミキルセン、セリア、フランソワーズ・アルディ、初期のジョニ・ミッチェル、ジャニス・イアン、フィビー・スノーといったしばらくご無沙汰の人たちの名前がでてくる。これを契機に、良い音響機器をそろえてすこしづつ聴き直してみようかと思っていて、そうしたらどんな発見と連想があるだろうか。

追記:市販第一号のCD発売は、1982年(昭和52)10月1日、ビリー・ジョエル「ニューヨーク52番街」(CBSソニー)。
   生産枚数のピークは1998年で4億6千枚。


 さよなら、令和元年の夏 あしがら花火 開成町酒匂川堤にて(撮影:2019.8.24)

八月の週末、テレビを見ていたら故郷に出会った

2019年08月19日 | 日記
 ことしの八月に入ってからの猛暑は大変なもので、立秋を過ぎた14日のこと、新潟県上越市高田では、台風10号のあとのフェーン現象のため、気温が40.3℃まで急上昇して、この夏の国内最高温度を記録、ニュースとなった。さらに辛かったのは、その暑さと並んで湿度の高さだっただろうと思う。

 その少し前の週末朝、出勤前にNHKニュースをつけていたら、「土曜すてき旅」というわずか五分あまりのコーナーがあり、女性アナウンサーが上越を旅してきたというので、はたしてどこが紹介されるだろうとちょっと興味をもって見た。
 そうしたら真夏ということもあったのか、日本海を遥かに臨む山の中腹からパラグライダーで大空を飛び回る様子が映されるではないか。ここ尾神岳はふるさとのすぐ近くであり、約三十年前に日本初の公式大会が開かれた場所だったことが契機になって、地元にレジャーとして定着したということも知ってうれしくなった。けっこう、中年や初老の男性が楽しんでいる。
 尾神岳といえば“大出口泉水”という名水の地でもあり、いつか帰省のおりには足を延ばしてこの爽快な体験してみたいと思う。鳥のように大空に飛びだしたら、眼下には頚城(くびき)平野の水田、名峰米山山麓のさきには蒼い日本海がどこまでも広がる情景がせまってくるだろう。

 つぎに紹介されていたのが、とあるキャンプ場にある雪を利用したおおきな倉庫。固有名詞こそ出なかったが、安塚キューピットバレースキー場、夏の情景であることはすぐにわかった。「雪室ストア」と呼ばれていたひんやり倉庫内には、地元でとれた米、穀類、キュウリ、トマトなどの野菜やニンジンジュース、お酒などが籠に盛られて並んでいる。その冷気は天然の雪を集めて保存したものを使っていて、豪雪地帯ならではの逆転の発想で自然エネルギーを活用した知恵だ。
 そして隣接した牧場には、除草作業と搾乳を兼ねて四十数頭のヤギたちが飼育されていて、自然の豊かな山村ならではの一石二鳥役を果たしてくれているというわけだ。ここはスキー場なので、夏のシーズンにリフトが動いていれば菱ヶ岳まで登れて、そのむこうはもう信州、千曲川を臨む飯山市郊外の高原がひろがり、そのとなりは野沢温泉だ。そう実感できたのは、大学時代の友人が飯山にセカンドハウスを持ったことを聞き、昨年はじめて立ち寄らせてもらって、その帰りに峠越えをして空き家となってしまった実家に帰省してからのことだ。
 テレビ番組にでてきたのはここまでだったが、さすがに番組としてうまくまとまっていたという印象。帰省のおりには夏も冬も楽しめる、というのを改めて短い時間の画面を通して実感したのだった。
 ここはほかにログキャビンや天然温泉もあって、ゆっくりできる。市街からくる途中には、地場の物産館と十数年ほどの前にできた「小さな空」という武満徹の曲と同じ名前の雪むろ蕎麦屋があり、山菜の天ぷらが美味しく、川瀬の音をききながら気持ちよく過ごさせてもらっている。少し離れてはいるが、市内北方の地にいくと明治の中頃、頃川上善兵衛によって創業された「岩の原葡萄園」という、やはり早くから雪の石室を利用してワインを成熟させていることで知られる日本草分けのワイナリーがある。「深雪花」というのがこのブランドで、数々のコンクールで入賞を重ねている名品だ。

 年を重ねると、離れた故郷の良さがすこしずつわかってきて、知らなかった思いがけない側面を発見したりで、つれなくしていた故郷が愛おしくなる。


 薬師池畔、シラカシの枝にたたずむ、碧い宝石“カワセミ”翡翠 (2019/07/28 撮影)