日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

早稲田学生街から山手線界隈目白まで

2023年01月24日 | 日記

 小正月前の週末、久しぶりに早稲田学生街まででかけた。中央林間から田園都市線経由で九段下乗り換え地下鉄東西線早稲田駅下車、約一時間半あまりの乗車時間。乗ってさえしまえば地上へ出たとたん、もうそこらあたりは早稲田大学学生街、あいにくの雨模様で傘を差して歩き出す。

 早稲田大学演劇博物館を目指すが方向に迷ってしまい、ようやく早稲田通りから横に入ってゆき、南門からキャンパス構内に入ることができた。学内建物は大部分が新しく高層化していて、大隈重信公銅像が小さくなって見える。
 一番奥まったさきに中央部分に赤瓦屋根の展望塔を抱き、コの字型の両翼を広げた演劇博物館が見えてくる。昭和初期、16世紀イギリス劇場様式をふまえて坪内逍遥の発案により、今井兼二らの設計で竣工したもの。入り口横右手には、逍遥を偲ぶ會津八一の歌碑が立っていた。正面バルコニー下が舞台面となっていて、建物広場が観客席になる。張り出し屋根の下の壁面に掲げられたシェイクスピア劇の名セリフ、“この世はすべて舞台”に呼応して、演劇博物館にふさわしい造りとなっている。

 博物館右手に隣接した五階建ての白い箱型リニューアル建物は、昨年度華々しく開館した国際文学館、通称村上春樹ライブラリーだ。ご本人からの資料の寄贈がきっかけで誕生し、館内村上春樹文庫ではなくて文学館全体の通称名となってしまうことが自体がトピック。村上文学のイメージからすると地域的記念館となるよりも、大学文学館のほうがインターナショナル的であるのかもしれない。
 それにしても約半世紀前の卒業生になるとはいえ、現存作家名を通称とする文学館が社会的大学イメージを先導するようなことになっているとは、国内はもとより世界的な人気面からすると村上春樹文学のインパクトは、やはり別格のものなのだろう。
 改修設計は早稲田出身ではない隈研吾(栄光学園から東京大学)があたり、すべての開設費用は、OBであるユニクロ柳井正氏の全額寄付金で賄っているというから、いまの時代と社会を象徴した建物に違いない。
 開設にあたっての記者経験では、柳井氏を真ん中に向かって右側が村上氏、左側が隈氏のスリーショット。このあたりの経緯について、当の早稲田学生たちは、どのように受け止めていたのだろうか。その文学部は、ここからすこし離れた戸山キャンパスにある。

 演劇博物館を訪れたのは、その村上春樹に因む企画展「映画の旅」を観るため。展示構成は五部にわかれていて若き時代、村上春樹のさまざまな映画体験について示す。まずは神戸時代に通った映画館、大学生時代の早稲田松竹など思い出の映画館パネルと名画の数々のポスターなど。映画体験と映画館体験が分かちがたく結びついていた幸福な時代が共有される。
 次に小説の中で登場する映画についての解説があり、小説を原作として映画化されたものの関連資料があり、といったもの。ひろくアメリカ文学と映画について考察された展示コーナーがある。
 こうしてみると村上ワールドには様々な音楽がそのタイトル=固有名詞も含めて引用されている印象があるが、その時代の映画イメージについても巧みに取り込まれていることが改めて印象づけられる。むしろ、もともとはシナリオ作家を目指したいと思っていたこともあったらしいが、やや屈折した思いでより“個人的な世界”の構築が可能な文学に踏み出していったのではないかと思わせられるのだ。

 もっとゆっくりと見て回りたかったけれど、午後からは池袋へ移動する予定があって、早稲田通りを歩いて高田馬場駅方面へと向かう。通りの両側の街並みは、いくつかの古書店や昔からの飲食店が点在するなかに、学生街らしい新しいエネルギーが溢れかえっている。途中、名画上映館高田馬場パール座の建物は健在のままで、かつて何度も通った身にはたまらず懐かしく、ほっとさせられた。

 駅前広場に着くと、西武鉄道系スポーツ商業施設「BIG BOX」が聳えている。上京した十代の終わりころ、初めて見たこの黒川紀章設計(1974年竣工。ということは、大学生だった村上春樹も出来たての姿を眺めていたはずだ)の斬新な窓のない巨大な箱船型の造形は、都会の底知れなさが閉じ込められているパンドラの箱みたいで、強烈なインパクトがした。
 いまはその外観の印象は白基調のまま、ツートーンが赤から青基調へと変更されて、正面壁に描かれた巨大な白抜きのランナー姿もなくなり、なかのテナントも時代の流れで大きく変わってしまっているようだ。

 高田馬場駅から山手線で池袋へと出る。駅構内を出てすぐの西口公園野外劇場にて、日本音楽集団ニューイヤー・コンサートを聴く。東京芸術劇場のアナトリウムがすぐ横にあり、あいにくの雨模様は引き続くなか、外気はすっかりと冷え込んでいる。

 尺八、琵琶、筝、笛、津軽三味線、打楽器からなる七人編成の舞台は、宮崎駿アニメの「もののけ姫」久石譲曲から始まる。春の海、平家物語の琵琶語りの一節、日本民謡メドレー、M.ラベル曲、長澤勝俊の現代邦楽曲までの幅の広さは、日本音楽集団ならではのものか。約一時間ほどの充実した演奏が無料で聴けたのだから、新春早々の聴き初めとしては有難い。


 演奏会を後にして、西池袋から山手線を左脇に眺めながら、ひたすら目白駅へと向かう。途中、自由学園明日館に立ち寄る。池袋の喧騒からそう遠くない場所に、芝生広場の向こう、低く翼を広げたようなヒューマンスケールの建造物が目に入ってくる。F.L.ライトと遠藤新の共同設計のプレーリー様式と呼ばれる美しい大正期の建物。青銅拭きの屋根とベージュの壁の対比が落ち着いた印象だ。中央部分の旧食堂から灯かりがもれて、わずかに空間の様子がうかがえる。昭和、平成、令和と続くその姿はひとつの奇跡かもしれない。

 通り沿いに大きく枝を広げたソメイヨシノの蕾には春の予感がする。柵のむこうには、スイセンの花が咲き出している。その通りを挟んで建つ学園講堂と婦人之友社屋との調和がすばらしい夕暮れ、雨はやんでいた。

 夕暮れ時、JR山手線を見下ろしながら目白駅へと急ぐ。女性的な柔らかい印象の駅舎のずうと向こうに、灯かりのついた高田馬場から新宿高層ビル群の眺め、都会の余韻がする。これから自宅までは一時間余りほどかかるだろうか。


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寒の入り満月、春七草粥、銀座通りの賑わい

2023年01月12日 | 日記

 寒の入は満月の直前にあたり、仕事帰りに駅から道中東空の方向低く登り始めたお月様は、まだオレンジがかっていて大きく、身重で落っこちそうなくらい。
 翌七日は仕事休みで良く晴れ渡る。すこし遅めの起床の後、用意してもらった七草粥の朝食をいただいた。この日は昭和天皇のご命日にあたり、八王子市高尾長房町の武蔵野陵へは皇族方のどなたかが参拝されているはず。そんなことを考えながら、ヨモギ入り草餅を焼いて食べた。草餅には邪気を払い、健康に効用があるといわれていて、お正月にはふさわしい食べ物だろう。

 週末、午後からは銀座に出ることにして、恒例の「現代の書 新春展」を見に行った。新春の銀座通りは、歩行者天国の老若男女で賑わっていて、とりわけ外国人観光客の姿が目につくようになっていた。
 書の展示会場は、四丁目交差点角、時計塔のあるビルの六階ホール。昨年6月に改装オープンして「セイコーハウス銀座」という名称へと変わってしまったけれど、旧来から馴染んだ銀座和光のほうが重みがあってしっくりくる。会場はさほど広くはなく見渡せるくらい、厳かな雰囲気がする。ここに書を出展できること自体、相当に名誉あることなのだろう。文字よりも装丁にほうに目が行ってしまうのは、俗人の証拠か。
 見終わってから、地階に降りて店内をすこしぶらつく。やはり優雅でゴージャスな雰囲気が漂っている。富裕層ばかりでなく、中間層にも開かれていて巡るだけですこし高揚した気分にさせてくれるところが、東京銀座ならではのマジック、なのかもしれない。

 和光を出てから交差点のむこう側、ガラス円筒形の銀座三愛ビルへと向かう。その一階は、“Le Café Doutor”とすこし気取ってはいるけれど、あのドトールコーヒーショップである。ここではブレンド一杯が460円、器は真っ白なロゴ無しのすこし厚めの陶磁カップだ。
 せっかくだから二階へあがって、交差点を見下ろす窓際カウンターに席をとる。さきほどの時計塔ビルや向かいのデパート、日産ショールームのあるビル、銀座通りや晴海通りの賑わいが一望のもとに眺められる都会のど真ん中の特等席。ここでのひと休みが珈琲一杯の値段で済むとは、素晴らしいこと。

 まだ夕暮れまで時間はたっぷりとあるから、どう過ごそうかと思案しているうちにそうだ、新年の映画鑑賞はじまりを銀座でというのもいいなあ、と思いつく。スマホを取り出して、時計塔ビル裏手の映画館上映スケジュールを調べると、午後三時すぎからは「土を喰らう十二ヵ月」の上映開始だ。主人公役が沢田研二、松たか子のふたりというのもなかなかいい気がした。この映画にしようと決めると、しばらく時間までカウンター席から向かいのデパートへと出入りする人々、交差点を行きかう市井の風景を眺めていた。

 ふたつのスクリーンが同居する映画館建物の二階がお目当ての上映場所、ここで観るのは本当に久しぶりのこと。四季折々の食でつづる人生ドラマ、というのがテーマ。原作は水上勉のエッセイ集、信州田舎暮らしをする老境の作家が主人公だ。
  編集担当者で年の二回りほど離れた恋人役の松たか子が、その作家ツトムが独居する茅葺古民家へと原稿の催促がてらに東京から訪れる。恋人どうしなのに愛の表現は食の情景のみで、あからさまに性が描かれることはない。一度だけ、男が女の手に手を重ねようするシーンがあるが、つれなく女のほうがその手を引き離してしまい、男はそれ以上に求めようとしない。まだ若くて都会的な雰囲気をもつ女は、老境の男のことを最後の決断ができない、優柔不断な性格と心得ていて少なからず物足りなく思っているようだ。
 そんな心境の時のふたりの会話のトーンは、年齢相応よりもすこし高めで、初々しくもあり微妙に交差しないすれ違いを象徴しているかのようだ。ツトムが鼻歌で「鉄腕アトム」を歌うシーンがなんだか可笑しい。

 四季折々の情景が映し出されるなか、男の畑仕事の様子や旬の食材から丁寧に作られる料理を味わいつつ重ねる交流が淡々と描かれてゆく。男は中学生のころ京都の禅寺へ修行に出されて、そのときに精進料理を覚えたと語る。取り立てのタケノコをゆがいて、大皿に盛って二人して喰らうシーンがいい。喰らうは生きること、男の亡くなった妻の母親の死、その娘で義理の妹夫婦の身勝手さ、田舎の葬儀から浮かび上がる近所との関係性などが、次々と現れる料理でつながれてゆく。
 慌ただしく葬儀が済んだ後に、男は一緒に暮らそうと提案するが、すでに女は男のもとを去る決意を固めていて、同僚?からのプロポーズを受け入れたことを示唆して都会へと去ってゆく。するとそれも予感していたかのように男はいつもの田舎暮らしへとゆっくりと戻っていくのだった。

 エンドロールに流れるのは、沢田研二が歌う「いつか君は」(1996年初リリース)。別れを予感させる歌詞が映画に寄り沿っていて、またジュリーの歌声に色気があり何とも味わい深い。
 映画館を出てからもしばらく余韻が味わいたくて、銀座の街中ビルの合間を彷徨ってから地下鉄に乗り、銀座線で帰路へ着く。


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正月は一富士二鳶三江の島御膳で縁起良し

2023年01月08日 | 日記

 令和四年の元旦、六時過ぎに目覚める。寝室からリヴィングへ移ってカーテンを開けると、清らかな初春の朝日が射しはじめてている。
 何はともあれ、お湯を沸かし、まずは緑茶を一服。元旦の新聞朝刊は大量の広告紙面もあって分厚さではち切れそう。テレビチャンネルを回すとNHK総合が映り、画面には正月ならでは「富士山ぐるっと一周ウォーク 世界遺産巡り」が目はじまっていた。ナレーションは三浦友和と広瀬アリスのコンビ、落ち着きと若さがあって新春に相応しいか。
 眺めていたら、画面には駅前の源兵衛川遊歩道、白滝公園、三島柿田川湧水、三嶋大社境内、広小路老舗鰻家と出てくるではないか。あれあれ、これって去年春と秋に訪れたところじゃないかと嬉しくなってしまった。記憶の引き出しが継継ぎと蘇る。
 それはさらに続き、三保松原からの相模湾越しの霊峰富士の姿が映されると、今年の大河ドラマ「どうする家康!?」にまつわるエピソード、鷹狩り好きと半島で栽培される特産地場折戸ナスへとつながる。その次は富士宮市まで進んで、上空から本宮浅間大社全景を映していくのには驚かされた。世界遺産登録されたとはいえ、清水港から対岸の三保半島まで渡り、東海大学海洋博物館を横目にして、ぐるりと半島の松原海岸を歩いて美保神社まで巡ったひとはそういないないだろうな。あのときの旅の終点は富士宮だった。
 最後は、富士吉田に残る御師家屋や名物うどんが紹介され、最後には本栖湖からの富士山、これは千円札の裏面左側にデザインされている図柄のもとになった眺めなのだと知る。こうなると、いずれ機会をみて訪れて見たものだという気になってくる。
 
 やがて家族が起きてきて、そろってお雑煮をいただく。平凡であるがささやかな幸福が繰り返される食卓の正月風景が広がる。そのあとは家族ひとりひとりが別行動となり、わたしは自転車を駆って地元神社に初詣でにでかけることにした。
 行幸道路から座間キャンプの地下道を抜けて下り、キャンプ反対側に沿って下っていくと、その先に賑わう鈴鹿神明社があり、参拝のあとに干支絵馬と当年暦冊子を求めて戻るのが恒例になっている。ことしは五年ぶりに干支飾りの陶製「卯」を求めた。
 そこから母のところへと向かう途中、座間キャンプ正門前を通ると看板が一新されていた。A・レーモンドが設計に関わったであろう敷地内教会の尖塔をフェンス越しに眺めながら、通称行幸道路を息を切らしながら上ってゆくと、小田急相武台駅の前だ。


民家のむこうの座間キャンプ掲旗ポールの日の丸・星条旗。白昼の下弦月。


 行幸道路からみた座間キャンプ内教会鐘堂(2023.1.1)

 さてこの日の夜は、毎春恒例となったお楽しみ番組「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯・新春スペシャル」を見る。今年最初の訪問場所は「絶景!江の島ぶらり旅」ときた。
 一昨年暮れに友人と鎌倉山檑亭での昼食のあとに連泊して、翌々日大船からモノレールで江の島へと巡った近場絶景旅の最終風景と重なるわけで、なんという巡り合わせの偶然!まるで記憶体験を後追いして、味わい直している気分になってくる。

  こちらの番組のほうは、おそらく11月下旬から12月初旬あたりのロケなのだろう。ご両人、西浜海岸らしき砂浜で落ち逢って始まり、ふたりして弁天橋を渡りながら富士山絶景を眺め、青銅製の鳥居で別れたあと、タモリは参道をエスカーに乗車、鶴瓶のほうは左手の漁師町方面へとずんずん入ってゆく。そのあとには例によって住民との交流のひとしきりがあり、辺津宮で再合流したら、芸能の神様である弁財天を祀る奉安殿を参拝するという流れ。タモリのほうは、この後に再度エスカーを乗り継ぎ、稚児が淵岩屋洞窟まで探検することで江の島巡りは完結となる。
 あまりにも何度も個人的に訪れたお馴染みの風景に、おふたりの道行エピソード姿が重なっていき、元旦のNHK番組は面白さ倍々増の次第。やはり江の島詣でと富士の姿を拝むなら初春のころ、できることなら空気の澄み切った午前中に限る。

  三日はその記憶も冷めやらぬままに江島神社へ初もうでに出かける。午前九時すぎ、小田急片瀬江の島駅到着、人出はまだそれほどでもなく、思いのほかまばらといった感じ。
 駅舎は一昨年に赤色の柱に白壁を基調として新調され、華やかさとお目出度さが満載といった印象がして新年に相応しいと思う。残念ながら、元旦のテレビ映像には映らなかったけれど。


 龍宮殿?みたいなイルカの鉾が載った小田急片瀬江島駅。青空トンビが舞う。 

 駅前広場から引地川にかかる橋をわたり、国道地下道をくぐっっていく。弁天橋からは、冠雪の富士の秀麗としかいいようのない姿がくっきりと望める。この情景、何度訪れて見ても感嘆のため息がでるくらいにDNAの琴線に触れて、繰り返し心象風景に刻み込まれていく。
 青銅の鳥居をくぐり、両側にお店がひしめく参道は、まだ時間が早く空いていて進みやすい。やはり、正月の参拝は午前中に限る。石段をあがり、大鳥居前の広場につく。タモリはここからエスカーに乗り込んだけれど、例年通りそのまま急な石段をのぼっていく。上がるにつれて、見える風景がパノラマのように広がってゆく愉しさ。まずは辺津宮へ参拝、となりに祀られる弁財天様にもお参りする。

 八角形の奉安殿内には、八ッぴ弁財天と妙音弁財天の二体が並んで安置され、周囲を十五体の待童子が取り囲んでいる。妙音弁財天のほうは、すらりとした中性的な裸像で白塗りの肢体に琵琶を抱えて左足を下ろしたお姿。あらためて眺めれば、不思議な空間でタモリと鶴瓶のおふたりが訪れたというのもなんだか本当なの?という気がしてくる。いっそのこと、ご両人もこの先いつかここに祀られることがあれば、いあまどきの参拝者があふれるだろうなあ。

 さらに進んで亀ヶ岡広場に着くと、早咲きの河津桜が日当たりのよい枝先にぽつぽつりと咲き出している。デッキからは、相模湾越し真正面に浮かぶ富士と姿と対面できて、月並みに感動する。ここから、奥の宮までは石畳をあとすこしのアップダウンだ。締めの参拝を済ませてから、いつもの江之島亭でひと休み、富士山が眺められる海側の席で早めの昼食をいただく。このいつものお正月の習慣がささやかながらも、最高の贅沢のひとつなのかもしれない。
 お土産に黒糖饅頭を買いもとめ、稚児が淵まで降りて春の海を眺めにゆく。ここから遊覧船「べんてん丸」に乗船する。海上はあたたかで風もなく穏やかで、小型船の進む後にひとすじの白波線が引かれていくばかりだ。
 小さな航海は、江の島を右手に相模の山並みを左手に見ながら、ほんの五分ほどで弁天橋の江の島寄り桟橋へと到着する。


相模湾越し湘南平と丹沢箱根山のむこう、冠雪抱く霊峰不二(2023.1.3撮影)


 江の島頂上二景。龍野ヶ岡の向こうに富士と展望塔灯台(2023.1.3)


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