本日は秋分、旧暦では八月十一日にあたり、すでに日の入りの時刻は夕方六時となっている。世の中五連休の最終日は、昼と夜の長さが同じになる日だ。
連休中はずうっとよい天候に恵まれて、日中さすがに夏日とはいかなかったが、その直前の29°Cまで達した暑い日も数日続いた。そのせいか、時おり思い出したかのような夏の名残の蝉の鳴き声“ツクツクホーシ、ツクツク”も聞こえてきて、うれしいような半面すこし感傷的なような複雑な気分にさせられた。連休初日の19日に所用があって出かけた逗子では、駅前から市役所に向かう途中手前の亀ヶ岡八幡宮境内を通り抜けようとする際には、アブラ蝉の「ジイージイイ」という声が聞こえてきて、湘南だけに夏の残り度合いが内陸とはすこしちがう気がしたものだ。
夏の名残りといえば、住宅地を通ると青空に向かって咲き残った百日紅の枝先の鮮やかな緋色が目についたが、ベランダに植えたままの朝顔も今月の上旬くらいまでしぶとく薄い青色の花を咲かせていた。休日の朝にいよいよ季節替えでもしようかと伸びて巻きついたツルをはずし、その青色の小さな花を二輪、摘んで、室内においた小さな壺屋焼きの容器にいれて生けてみた。はかなげなブルーの色合いがなんだろう、夏の終わりにふさわしい。
「ああ、朝顔を生けるなんて珍しい」となんだがその昔、安土桃山時代の千利休と秀吉の逸話みたいな気がして、ひとり悦に入っていた。さすがに一輪だけ、というのは難しくて、かといって三輪だと投げ入れた容器が小さすぎてバランスが取れない。結局、直感で二輪を向きを少し変えて、ひとつは上方に横向きに、ひとつはその花の向きをすっと真正面に向けて生けることにした。その様子を後から振り返ると、ひと夏の幻想が思わせるのか、可憐でありながらなんだか艶めかしい感じがしてきて、ほんの少し息苦しくなってくるのはどうしてだろう?
そうしたらじつに朝顔の花の命ははかなくて、ものの三十分余りもたたないうちにみるみるしぼみだしてしまった。そのほんの一瞬の生気を放った瞬間が潔くて尊い気がした。千利休もそうして覚悟し、自害していったのだろうか、ふとそんな思いがよぎった。
連休中はずうっとよい天候に恵まれて、日中さすがに夏日とはいかなかったが、その直前の29°Cまで達した暑い日も数日続いた。そのせいか、時おり思い出したかのような夏の名残の蝉の鳴き声“ツクツクホーシ、ツクツク”も聞こえてきて、うれしいような半面すこし感傷的なような複雑な気分にさせられた。連休初日の19日に所用があって出かけた逗子では、駅前から市役所に向かう途中手前の亀ヶ岡八幡宮境内を通り抜けようとする際には、アブラ蝉の「ジイージイイ」という声が聞こえてきて、湘南だけに夏の残り度合いが内陸とはすこしちがう気がしたものだ。
夏の名残りといえば、住宅地を通ると青空に向かって咲き残った百日紅の枝先の鮮やかな緋色が目についたが、ベランダに植えたままの朝顔も今月の上旬くらいまでしぶとく薄い青色の花を咲かせていた。休日の朝にいよいよ季節替えでもしようかと伸びて巻きついたツルをはずし、その青色の小さな花を二輪、摘んで、室内においた小さな壺屋焼きの容器にいれて生けてみた。はかなげなブルーの色合いがなんだろう、夏の終わりにふさわしい。
「ああ、朝顔を生けるなんて珍しい」となんだがその昔、安土桃山時代の千利休と秀吉の逸話みたいな気がして、ひとり悦に入っていた。さすがに一輪だけ、というのは難しくて、かといって三輪だと投げ入れた容器が小さすぎてバランスが取れない。結局、直感で二輪を向きを少し変えて、ひとつは上方に横向きに、ひとつはその花の向きをすっと真正面に向けて生けることにした。その様子を後から振り返ると、ひと夏の幻想が思わせるのか、可憐でありながらなんだか艶めかしい感じがしてきて、ほんの少し息苦しくなってくるのはどうしてだろう?
そうしたらじつに朝顔の花の命ははかなくて、ものの三十分余りもたたないうちにみるみるしぼみだしてしまった。そのほんの一瞬の生気を放った瞬間が潔くて尊い気がした。千利休もそうして覚悟し、自害していったのだろうか、ふとそんな思いがよぎった。