日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

ニ月最終月曜日の新聞

2019年02月26日 | 日記
 如月は最終週月曜日の朝日新聞紙面から、いくつかの気になった記事や目に留まった記事や広告について記す。いつもは一面にとりあげられた大きなニュースに目を通しても、あわただしく日常に流されてしまい、あまり長く気に留めることは少ない。ところが、今月平成最後の如月25日の紙面は、「池上彰のニュース斜め読み」ではないが、いくつかの気になったことがあった。

 この日の一面トップニュースは、沖縄普天間基地移設をめぐる沿岸部埋め立て是非を問う県民投票の結果についてだ。「辺古野“反対”7割超」と目立つ白抜き見出しで、朝日新聞の一般的カラーからすると当然の扱いだろう。その7割超反対の補足として、投票率52.48%、知事選当選者の得票を超す、の補足がある。この併記は民意を深く考察するうえで重要であり、あとは一面紙面全体のバランスがどうかになる。
 それでは、ほかの項目の扱いはどうかというと、「象徴を模索する道ははてしなく遠く」の見出しで、天皇陛下在位30年の政府記念式典(国立劇場)を報じる記事が続く。こちらは沖縄ニュースの脇に押しやられる形で、思いのほか目立たずに小さい扱いだ。

 もうひとつは、紙面左側六段抜きで「ドナルド・キーンさん死去」「96歳 日本文学海外に紹介」とある記事。前日、すでにインターネットでは流れていたが、個人的にもっとも知りたかった記事だ。三面には、詳しく評伝や池澤夏樹、瀬戸内寂聴さんのコメントも寄せられていた。あわせると相当大きな扱いであり、おそらく朝日読者層の関心を反映したであろう紙面構成だ。コメントの人選については、朝日人脈の作家となっているが(ご両人とも紙面連載を持っている)、同じアメリカ出身の文学研究者、ロバート・キャンベルさんなどの発言もあったならば、さらに興味深かったと思う。
 キーンさん自身については、新潟県柏崎に記念館があったりすることや、都内の旧古河庭園に行った折に、隣接したマンションのお住まいを見上げて、その生き方や暮らしについて関心を抱いていることがあるので、別に機会にまとめて書きたいと思う。

 文学関連ではもうひとつ話題が重なった。一面右側紙面ピックアップ欄に写真付きで、「村上春樹さん パリで語る 30面」とあり、そして社会面トップをみると23日、パリ国立コリーヌ劇場での「海辺のカフカ」上演最終日に開かれた読者との交流会に登場したときの発言が紹介されている。やがて70歳に届こうとする人気作家は、舞台上にジャケットにスニーカー姿で現れ、90分にわたって学生らの質問に答えたという。
 記事から読み取れる限り、政治、社会状況についての発言しか書かれていないので、すこし意地悪く解釈すれば、まるでノーベル文学賞を意識したプロモーションのようにも読める。もしかしたらこのような印象を持ってしまったのは、記事を書いた記者側の問題なのかもしれない。ともあれ、日本においてこのような機会は望めないであろう。最近数回にわたり日本のFMラジオ局でDJとして自ら選曲したという音楽を流しながら話していた気の置けないユーモアのある内容とのかい離は、作家の意図だったのかどうか。

 ふだんの日本では、ほとんどマスコミに登場しない人気作家が、ここでは聴衆に気を許したように「正しい歴史を伝えあるのが僕の世代の生き方だと思う」「僕が十代のころに抱いていた理想主義を何らかの形で受け渡さないといけない」という発言はたしかに素晴らしいが、これまでの小説からは正面切って読み取れないし、あまりにもベタすぎると思う。海外で語ったことでスマートにうけとられるだろうが、やや大家の教訓じみた気がして面白みに欠けてしまう気がするのは、日本人同士だからだろうか。
 作家の中での年齢とともに、現代社会への責任感の増加、デタッチメントからアタッチメントとへという意識の変化があるにしても、小説テーマと社会的発言はやはり別であるといったほうがすっきりする。

 最後に口直しの話題を。ここのところ、小さな連載広告で掲載を楽しみにしているものがある。「天声人語」欄の左端、博物館明治村「本物の歴史がここにある。」と題した、不定期に園内建築物などを紹介している囲み広告である。
 初回は二月四日立春の日で、明治村の顔ともいえるF.L.ライト設計の「帝国ホテル 中央玄関」(東京千代田区より移築)からはじまり、劇場「呉服座」(大阪池田市)、「西郷従道邸」(東京目黒区)、「蒸気機関車12号」(イギリス製、新橋と横浜間を走行)、そしてこの日の「聖ヨハネ教会堂」(京都)と続いている。この企画は写真もカラーで見栄えがして、添えられた短文も要領を得ていて、とてもいい。
 そのうちに、東京千駄木にあった「鴎外・漱石旧住宅」や、故郷の雪国から移築された「小熊写真館」(新潟旧高田市)も続いてほしいと願っている。

 追記:と書いたら、今朝の朝刊に「森鴎外・夏目漱石旧住宅」が掲載されている!(2019.02.27)


フクジュソウ、春を待つ(撮影:2019.02.20)


 自然林の通路脇に二輪咲く。その花のひらいてとじての繰り返し、一週間で次第に葉がのびてきた。(2019.02.26)

 



如月立春大吉

2019年02月10日 | 日記
 新暦年が明けたと思ったら、あっという間に二月である。新元号に改元される今年の旧暦元旦にあたる如月立春は大安と重なり、文字通りの立春大吉でめでたし、めでたしの年となってなってほしいものだ。

 昨日夜は、寒波の影響で小雪が舞ったりしていて、今朝起きたら空気はひんやり、植栽のうえにはうっすらと雪がつもっていた。それもよく晴れた冬の陽光のもとで、午前中にはほぼ消えてしまっていた。こんなお休みのときには、家の中にこもっているものもったいなく、あてもなく自然の風景をみにでかけたりするに限る。
 梅が咲き始めているだろうから、ちかくの里山風景がのこっているところにいってみようと車を走らせる。国道16号を横断して相模と武蔵の国境あたり、TBS緑山スタジオの脇をすぎていくと、やがて鶴川に近い三輪の里につく。郊外にある中世の山城あとが懐かしい里山風景として残されているところだ。

 ここにある立派な風神雷神像のある山門を構えた高蔵寺は真言宗のお寺。こじんまりした境内はよく手入れがされていて、いつきても気持ちがいい。境内の池からは、段々に水がくだって流れるようになっていてもう少しすると水芭蕉が咲いていたりする。この季節、庭にはロウバイがあちこちで咲いていているが、ボタンの花芽はまだ固い。ムクロジの大木が一本、二本の松がきれいに藁縄で雪つりされている。
 昭和のはじめには、当時都内世田谷にすんでいた北原白秋がここを訪れて詠んだ歌が碑に刻まれているのをみると、柿生の里や東の高野山といわれた王禅寺もちかく開通したばかりの小田原急行(いまの小田急)線を利用したのだろうかと想像する。どんな契機だったのかは知らないが、どうも夫婦ふたりで巡ったらしい。

 

 高蔵寺のむかいに残された里山はよく手入れされた三輪の里、かつてののどかな農村風景の原型を遺している貴重な一帯だ。奥まった本丸あとには、産土神なのだろうか七面堂が祀られていた。遠目には紅梅が見事でやがて白梅が咲きだし、緋寒桜、枝垂れ桜、山桜と次々に乱れ咲きだす。黄色い菜の花との競演が見事でもあり、懐かしくもある幻想的な情景となる。
 いまはまだその時期には少し早く、じっと息をひそめて春の到来を待ち続けているかのようである。毎年の変わらぬ風景、いつもでもそうであってほしい。

 
ことしもまた同じ風景。年々歳歳花相似たり、歳々年々人同じからず