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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

聴竹居/藤井厚二と適塾/緒方洪庵 

2013年07月01日 | 日記
 今日から七月、文月に入る。梅雨はまだ明けない。例年より雨は少ない印象。時々、中庭でウグイスの鳴き声が聞こえる時がある。マンション棟に囲われているのでこれが実によく響いて、聞き惚れるくらいの美声。そして昨日も駅へ向かう途中の水道みちを通ると、やはりウグイスの声。中庭とは別のウグイスかもしれないが、よく遭遇するのでこの都市化の進んだ住宅街に住み着いているのだろうか。
 
 先月6月24日夕刊、25日朝刊と連続して小さなベタ記事が掲載されたのが目に留まった。それが「両陛下、聴竹居を視察」「両陛下、適塾展示視察」の見出しである。それによると天皇、皇后両陛下は先月下旬、京都大阪を訪問されていて、その折にかねてからご関心のあった両施設を視察されたとのこと。25日インターネットには、はやくも「聴竹居」前で車を降りられる両陛下の姿を映した映像がアップされいた。地元では大騒ぎ?というか大きな話題になったのだろう。

 これを読んでほうっと思ってしまったのは、去年五月に久しぶりに関西京都大阪にに足を延ばしたさいに、関心をもったのがこの2カ所だったから。「聴竹居」はJR大山崎駅を下車して、国宝茶室「待庵」と大山崎山荘美術館見学のあとに、少し急な坂道を上った高台の途中、緑に囲まれてわずかにその姿を望めた。噂に聴いていたが、ここがあの・・・といった雑駁な印象なのは、遠めにしかに見ることができなかったから仕方ない。記事にはないが、両陛下もこの山崎の地にきたのだから「聴竹庵」のほかにも、「待庵」と「大山崎山荘美術館」に立ち寄られることを所望されていたのかもしれない、あるいは立ち寄られたのかもしれないと想像する。

 「適塾」のほうは翌日大阪中之島近くに宿泊した際、早朝散歩していて偶然みつけた。開館前だったが、記憶の片隅に残っていた緒方洪庵の名前にひかれてチェックアウト後、再度訪れて入ってみたところ、幕末の有名な私塾その建物家屋と知りなんともいえない感動を覚えたものだ。大阪大学医学部の源流につながり、この建造物も大学の所有管理下にあるそうだ。もっとも両天皇が視察されたのは、こちらではなくて豊中市の大学会館適塾記念センターのほうであるから、スケジュールと警備上の問題もあったのだろう。仕方ないのだろうけどもったいないなあ。

 
聴竹居:設計は藤井厚二、1928年竣工。大山崎天王山の中腹の高台にある周辺の気候風土に合わせた環境共生住宅の先駆けとあるが、正確には「近代の」環境共生住宅というべきだろう。なぜなら日本の古民家自体がその成立からして環境共生型であったはずだから。

適 塾:江戸時代末期に西洋医学を学んだ緒方洪庵が大阪にひらいた蘭学塾、福沢諭吉ら近代化を担う人材を輩出した。手塚治虫の先祖も学でいるとある。洪庵は後年、請われて江戸に出て亡くなっている。その墓が文京区内寺院にある。