2009年末はいろいろあった…。
そんな真っ只中、かねてより決めてあったソウルへの旅に出た。心に穴を空けたまま…。
出発の直前には、突発性難聴になり、体が半分水に浸かったようなズブズブの状態で関空を飛び立った。昨年末は会社を辞め、まるで世間から取り残された片隅の公衆電話のような心境で、福岡から海路対馬まで行った。古代海人族たちが行き来した玄界灘を渡ってみたくて。今回は、8回以上訪韓しているKZさんと一緒で、2泊3日のツアーの2日目に百済へのOPを組んでくれた。KZさん頼りのおまかせ旅行となり、ズブズブの私にとってはありがたい、癒せる旅になった。
ソウルからバスで高速を2時間半ほど走って扶余(プヨ)に着いた。百済最後の都のあった所で、日本の飛鳥は蘇我入鹿がこのプヨを真似て都造りを行ったようだ。飛鳥の甘樫丘はプソ山で、流れる白馬江(ペマガン)は飛鳥川と言われている。蘇我家は甘樫丘に武器庫を建て、唐の強大な軍事力から都を守っていたプヨを真似、飛鳥で天皇を守っていた。実際見た白馬江は穏やかな流れで、その河口は白村江につながっている。唐の大群はこの川を遡ってきたのだろうと思った。
白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)は、663年(天智2)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江近郊)で行われた倭国(日本)と百済の遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との戦い。唐・新羅連合軍の勝利に終わった。大陸に超大国唐が出現し東アジアの勢力図が大きく塗り変わる中で起きた戦役であり、倭国(日本)も領土こそ取られなかったものの、国防体制・政治体制の変革が起きるなど大きな影響を及ぼした。
そんな真っ只中、かねてより決めてあったソウルへの旅に出た。心に穴を空けたまま…。
出発の直前には、突発性難聴になり、体が半分水に浸かったようなズブズブの状態で関空を飛び立った。昨年末は会社を辞め、まるで世間から取り残された片隅の公衆電話のような心境で、福岡から海路対馬まで行った。古代海人族たちが行き来した玄界灘を渡ってみたくて。今回は、8回以上訪韓しているKZさんと一緒で、2泊3日のツアーの2日目に百済へのOPを組んでくれた。KZさん頼りのおまかせ旅行となり、ズブズブの私にとってはありがたい、癒せる旅になった。
ソウルからバスで高速を2時間半ほど走って扶余(プヨ)に着いた。百済最後の都のあった所で、日本の飛鳥は蘇我入鹿がこのプヨを真似て都造りを行ったようだ。飛鳥の甘樫丘はプソ山で、流れる白馬江(ペマガン)は飛鳥川と言われている。蘇我家は甘樫丘に武器庫を建て、唐の強大な軍事力から都を守っていたプヨを真似、飛鳥で天皇を守っていた。実際見た白馬江は穏やかな流れで、その河口は白村江につながっている。唐の大群はこの川を遡ってきたのだろうと思った。
白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)は、663年(天智2)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江近郊)で行われた倭国(日本)と百済の遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との戦い。唐・新羅連合軍の勝利に終わった。大陸に超大国唐が出現し東アジアの勢力図が大きく塗り変わる中で起きた戦役であり、倭国(日本)も領土こそ取られなかったものの、国防体制・政治体制の変革が起きるなど大きな影響を及ぼした。