兵庫県には数少ない国宝建築の1つである、太山寺(たいさんじ神戸市)に出かけた。国宝建築では姫路城が有名だが、朝光寺や、播磨の法隆寺と言われる鶴林寺などはあまり知られていない。
垂水の五色塚古墳の北側に位置し、学園都市を越えた山間の住宅街に、車では見過ごしてしまう仁王門が迎えてくれる。
当寺の歴史は遣唐使でもあった藤原鎌足の長男、定恵和尚の開山、霊亀2年(716)鎌足の孫で藤原不比等の子である宇合(うまかい)の建立と伝える。
中門をくぐると、正面には堂々たる本堂が構えている。その大きさや、朱色の柱に蔀戸(シトミド)がはめられた様子が国宝にふさわしい風格を醸し出している。本堂に向かって歩き始めると、苔むしたもみじの古木に、赤い新芽が蝶のように舞っている。その向こうに三重塔が見えて、新緑のなかに馴染んでいる。本堂は仏教の大衆化に伴う新しい仏壇形式だそうだ。
宇合(ウマカイ)は不比等の三男。不比等の子四兄弟は、聖武天皇の夫人光明子(四兄弟の妹)を皇后に立て、四兄弟が政権を握ったが、天然痘の流行で四兄弟全員が相次いで亡くなった。人々は長屋王の祟りと恐れた。「長屋王は密かに左道を学びて国家を傾けんと欲す。」と密告があり、それをうけて藤原宇合らの率いる六衛府の軍勢が長屋王の邸宅を包囲し、長屋王はその妃吉備内親王と子の膳夫王らを縊り殺され服毒自殺した。これが長屋王の変。
奥の院には太山寺川にかかるアカイ橋を渡る。緑と赤のコントラストが面白い。
不比等は実は鎌足の子ではなく、天智天皇の落胤(ラクイン:身分の高い男が正妻以外の身分の低い女に生ませた子)との説がある!、『大鏡』では天智天皇が妊娠中の女御を鎌足に下げ渡す際、「生まれた子が男ならばそなたの子とし、女ならば朕のものとする」と言ったという伝説(実際に男子=不比等が生まれた)を伝えている。
鎌足は百済王子で、不比等は天智天皇の子か……?想いに浸り古代妄想して蓮池を眺めたが、何かが飛び込む音がして我に返った。このへんで退散時(たいさんじ)。
垂水の五色塚古墳の北側に位置し、学園都市を越えた山間の住宅街に、車では見過ごしてしまう仁王門が迎えてくれる。
当寺の歴史は遣唐使でもあった藤原鎌足の長男、定恵和尚の開山、霊亀2年(716)鎌足の孫で藤原不比等の子である宇合(うまかい)の建立と伝える。
中門をくぐると、正面には堂々たる本堂が構えている。その大きさや、朱色の柱に蔀戸(シトミド)がはめられた様子が国宝にふさわしい風格を醸し出している。本堂に向かって歩き始めると、苔むしたもみじの古木に、赤い新芽が蝶のように舞っている。その向こうに三重塔が見えて、新緑のなかに馴染んでいる。本堂は仏教の大衆化に伴う新しい仏壇形式だそうだ。
宇合(ウマカイ)は不比等の三男。不比等の子四兄弟は、聖武天皇の夫人光明子(四兄弟の妹)を皇后に立て、四兄弟が政権を握ったが、天然痘の流行で四兄弟全員が相次いで亡くなった。人々は長屋王の祟りと恐れた。「長屋王は密かに左道を学びて国家を傾けんと欲す。」と密告があり、それをうけて藤原宇合らの率いる六衛府の軍勢が長屋王の邸宅を包囲し、長屋王はその妃吉備内親王と子の膳夫王らを縊り殺され服毒自殺した。これが長屋王の変。
奥の院には太山寺川にかかるアカイ橋を渡る。緑と赤のコントラストが面白い。
不比等は実は鎌足の子ではなく、天智天皇の落胤(ラクイン:身分の高い男が正妻以外の身分の低い女に生ませた子)との説がある!、『大鏡』では天智天皇が妊娠中の女御を鎌足に下げ渡す際、「生まれた子が男ならばそなたの子とし、女ならば朕のものとする」と言ったという伝説(実際に男子=不比等が生まれた)を伝えている。
鎌足は百済王子で、不比等は天智天皇の子か……?想いに浸り古代妄想して蓮池を眺めたが、何かが飛び込む音がして我に返った。このへんで退散時(たいさんじ)。