ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

法隆寺でひとり言

2005年09月24日 | Weblog
彼岸が過ぎてもまだ暑い中、念願の法隆寺に行ってきました。
西名阪の法隆寺ICからすぐ近くにあり、近世では非常に便利?なところにある。
 いつ来たのかな?来たことないのかな?おそらく小学生か中学生の時に若草山に行った記憶があるのできっと法隆寺はその時に来ているだろうな。
 南大門の左に田んぼの一部を駐車場にした所へ車を止めることにした。一日600円だけどおじいさん一人で結構儲かるやろな。そんな銭勘定は忘れ、いよいよ聖徳太子にでもなったつもりで南大門に上がった。
 「う~ん濃い!」…。正面に西院伽藍の中門、奥に金堂、左に五重塔とその黒く縦じまの甍、ず~んと目から心臓に水銀を流し込んだような重さを感じる。建立した新築の五重塔を見た推古天皇や聖徳太子が現在の姿を見たらどう感じるのだろう?古さとか年月とかでは表せない「濃さ」がある。
 ちなみに、法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築で、視界にある西院伽藍はすべて国宝になっており、世界文化遺産にも日本で始めて登録されている。国宝・重要文化財に指定された宝物類が190件、2300余点もあり(パンフレット)、国民の誰もが知っている国宝が数多い。
 楽しみな大宝蔵院へ急げ。あった!玉虫厨子。暗くて見にくいがガイドが照らす懐中電灯でやっと文様が見える。推古天皇の仏殿らしい、教科書にも載っている厨子だけどその側面や背面には仏教の教えが描かれているのを初めて知った。すばらしい!7世紀にこんな仏殿を毎日拝んでいたなんて。その奥の部屋には八頭身の百済観音像がすらりと立っている。これが仏像?と思うほど日本人離れしたスタイルで全身の力を抜いて徳利を指で摘むように持っている。まるで酔っ払いが徳利片手にふらふらしているようで、すごく親しみを感じる。そしてその表情が柔らかくて酔っ払いとはずいぶん違う慈悲深さを感じる。これはこれは観音様クダラん事を言ってすみません。だいぶ時間が経ったがそれでも何だか離れるのが惜しい。
 西院伽藍を出て夢殿がある東院伽藍へ急いだ。それにしても飛鳥時代にこんなに大きな寺院を建てる必要があったのかな?参道途中には奈良・平安・鎌倉時代などに立てられた寺院が並ぶ。やっと夢殿に着いた。夢殿を取り巻く廻廊が黒くてやはり重い、その中に夢殿があり西院伽藍とは狭くて雰囲気が違う。八角堂は1300年も前とは思えない新しさを感じるが、それはこの八角の形がモダンなせいだろうか?夢殿の名前の由来は、聖徳太子が夢の中で金人(仏)に出会ったという伝説から名付けられたとも言われている。
 法隆寺に来て本当に良かった。一緒に見学していた中学生たちにはおそらく殆ど記憶には残らないであろうが、この年齢になると同じ物を見てもずいぶん違うもんだなと、自分がかつて小学生か中学生のころに来てすっかり忘れていた事を思い出した。
 仏教を広めるため、天皇の地位を確立するため、当時の外国へ日本の偉大さを認めさせるため、そして聖徳太子を神仏化するため……建立の動機は何が強かったのか分からないが、こんなにすばらしい、そして1400年以上も立派にその姿を残すエネルギーはどこから来るのだろう。先日訪れた飛鳥は石の文化であったがこの法隆寺は木の文化だ、建築も仏像も。そのかよわい木が悠久の歴史を見続けてきた事の驚きと、仏像の表情のやわらかさを感じないでいられない。あの徳利をつまんだ百済観音は何を伝え様としているのだろう。「もっと力を抜いて歩みなさい、そんなに我を張っても何のためにもならないよ…。」

飛鳥でのひとり言

2005年09月04日 | Weblog
今読んでいる歴史書に刺激を受けて、8月に飛鳥へ行ってきました。
西名阪を天理ICでおり169号線で南下するコースです。
天理は素通りするつもりでしたが、あちこちにある天理教の宿坊を見ていると何か異様な雰囲気になり、つい市内に車を走らせました。その建物は和風というより古代風で神社でもお寺でもない独特の建築様式でした。初めて訪れる人は私のみならずきっと驚くことでしょう。
 さて、169号に戻り少し車を走らせると「大和神社」の看板が目に留まりました。事前調査も何もしていないので、目に付いたところへ吸い込まれるように入っていきました。そこは大樹に囲まれた長い参道の立派な神社で、その由緒は日本の神の総本家でした。サイトで調べたら次のようになっていました。
 日本(大和)大国魂大神(おおやまとおおくにだまのおおかみ)
 大和神社の主神で三殿の中央の社に祀られている。
 この神は大和平野に鎮座する神々の主神であり、日本の大地主大神(おおことぬ しのおおかみ)とされており、地上地下万物の生育発展、人間及び生物の生命を 司っている偉大なる神格に坐しているという。
http://www.y-morimoto.com/jinja22/ohyamato.html
大神神社と違って観光地化されておらず人も少なく、何か尊厳さを感じさせる雰囲気で私も一気に飛鳥時代の人間になったつもりで参拝できました。
それから神社の反対側の山のほうに車を進めたのですが、この辺りが「山の辺」と言われる所で農家が散在しているのですが道先は幅2~3m程の小路になってしまい、元に戻るのに大変でした。車では決して行かないでください。
 ようやく道路案内を頼りに大神神社を目指したのですが、また看板に呼び込まれて入っていたところは大神神社の末社で豊鍬入…を祭った御社であった。全く人気なく飛鳥時代の幻想にひたれる(これを古代妄想と言う?)。その御社は正面に二上山を望み、死後も夫を見守っている様に思われた。
 そしていよいよ「大神神社」に到着。丁度お昼時になったのでどこか参道に付近にないものかと探すと、駐車場奥の若宮社へ行く参道入り口に蔵と中庭を開放して三輪そうめんを食べさせてくる店が目に入った。これは涼しく風情があり、そうめんと柿の葉寿司をいただいた。本場三輪そうめんが食べれて大いに幸せ…、太古の気分はしばらくお休み。
 大きな鳥居から参道が続き、大神神社の大きさが伝わってくる(楽しみだな)、しかし、本殿に到着すると、あれれ?立派な真新しい神殿でがっかり。今までのお社が古代ロマンへの入り口だったのにこれはこれは近代経済の象徴、宗教法人の特権を感じてしまって祀られている大物主大神は何を思っているのだろう?早々に引き上げて飛鳥村を目指した。
 桜井側から車を走らせると最初に飛鳥資料館が飛び込んできた。どれどれと観覧することにしたが、丁度埴輪の特別展示が開催されていてその大きさや力強さに感心した。ついでにお客も少ないのに薄暗い展示室で監視しているガードマンにも感心した。退屈やろうな…。そして山田寺の東回廊の再現を見た。あの大化の改新で活躍した蘇我倉山田石川麻呂が建立した世界最古の木造寺院建築の一部である。1000年以上の木造とそれをケアするハイテクとのミスマッチが何故か痛々しい。他の展示物を見て感じるのだが、私が学んだ乏しい歴史観では展示物から感じる7世紀が随分進化していて芸術的だなと思う。道具から余裕や遊びが感じられる。すばらしい!
 資料館を出て左折すればいよいよ飛鳥時代へ突入だ。30年以上前に訪れた石舞台一画は見る影もなく?整備され、そこにあったのは観光スポットそのものでした。駐車場に車を止めて折りたたみの自転車を出した。こういう時にこそ衝動買いした自転車が役に立つ、レンタル自転車屋が多いのに何か悪いことをしているようで、また快感もあった。
 早速飛鳥寺目指して下り坂を一気に走り出す。何てこじんまりしたお寺だろう、韓国の小学生が団体で入っていて満員、庭から南門を出ると蘇我入鹿首塚がひっそりと残されており、敗者の扱いを感じる。団体が出たので中に入るとあの飛鳥大仏がやさしげな笑みを浮かべているような顔で語りかける。「お前の生き様は何だ…」その迫力にひざまつくし かない。「この時代に比べると、永くて平和な生き様だな…」とひとり言。
 こうして、思いつきの飛鳥ロマン紀行は幕を閉じた。この時代に生きていたら何ができたろう、もし、今の自分がタイムスリップしたらどれだけ歴史を変えることができるのかな?聖徳太子より蘇我入鹿より野望があるのかな……。