彼岸が過ぎてもまだ暑い中、念願の法隆寺に行ってきました。
西名阪の法隆寺ICからすぐ近くにあり、近世では非常に便利?なところにある。
いつ来たのかな?来たことないのかな?おそらく小学生か中学生の時に若草山に行った記憶があるのできっと法隆寺はその時に来ているだろうな。
南大門の左に田んぼの一部を駐車場にした所へ車を止めることにした。一日600円だけどおじいさん一人で結構儲かるやろな。そんな銭勘定は忘れ、いよいよ聖徳太子にでもなったつもりで南大門に上がった。
「う~ん濃い!」…。正面に西院伽藍の中門、奥に金堂、左に五重塔とその黒く縦じまの甍、ず~んと目から心臓に水銀を流し込んだような重さを感じる。建立した新築の五重塔を見た推古天皇や聖徳太子が現在の姿を見たらどう感じるのだろう?古さとか年月とかでは表せない「濃さ」がある。
ちなみに、法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築で、視界にある西院伽藍はすべて国宝になっており、世界文化遺産にも日本で始めて登録されている。国宝・重要文化財に指定された宝物類が190件、2300余点もあり(パンフレット)、国民の誰もが知っている国宝が数多い。
楽しみな大宝蔵院へ急げ。あった!玉虫厨子。暗くて見にくいがガイドが照らす懐中電灯でやっと文様が見える。推古天皇の仏殿らしい、教科書にも載っている厨子だけどその側面や背面には仏教の教えが描かれているのを初めて知った。すばらしい!7世紀にこんな仏殿を毎日拝んでいたなんて。その奥の部屋には八頭身の百済観音像がすらりと立っている。これが仏像?と思うほど日本人離れしたスタイルで全身の力を抜いて徳利を指で摘むように持っている。まるで酔っ払いが徳利片手にふらふらしているようで、すごく親しみを感じる。そしてその表情が柔らかくて酔っ払いとはずいぶん違う慈悲深さを感じる。これはこれは観音様クダラん事を言ってすみません。だいぶ時間が経ったがそれでも何だか離れるのが惜しい。
西院伽藍を出て夢殿がある東院伽藍へ急いだ。それにしても飛鳥時代にこんなに大きな寺院を建てる必要があったのかな?参道途中には奈良・平安・鎌倉時代などに立てられた寺院が並ぶ。やっと夢殿に着いた。夢殿を取り巻く廻廊が黒くてやはり重い、その中に夢殿があり西院伽藍とは狭くて雰囲気が違う。八角堂は1300年も前とは思えない新しさを感じるが、それはこの八角の形がモダンなせいだろうか?夢殿の名前の由来は、聖徳太子が夢の中で金人(仏)に出会ったという伝説から名付けられたとも言われている。
法隆寺に来て本当に良かった。一緒に見学していた中学生たちにはおそらく殆ど記憶には残らないであろうが、この年齢になると同じ物を見てもずいぶん違うもんだなと、自分がかつて小学生か中学生のころに来てすっかり忘れていた事を思い出した。
仏教を広めるため、天皇の地位を確立するため、当時の外国へ日本の偉大さを認めさせるため、そして聖徳太子を神仏化するため……建立の動機は何が強かったのか分からないが、こんなにすばらしい、そして1400年以上も立派にその姿を残すエネルギーはどこから来るのだろう。先日訪れた飛鳥は石の文化であったがこの法隆寺は木の文化だ、建築も仏像も。そのかよわい木が悠久の歴史を見続けてきた事の驚きと、仏像の表情のやわらかさを感じないでいられない。あの徳利をつまんだ百済観音は何を伝え様としているのだろう。「もっと力を抜いて歩みなさい、そんなに我を張っても何のためにもならないよ…。」
西名阪の法隆寺ICからすぐ近くにあり、近世では非常に便利?なところにある。
いつ来たのかな?来たことないのかな?おそらく小学生か中学生の時に若草山に行った記憶があるのできっと法隆寺はその時に来ているだろうな。
南大門の左に田んぼの一部を駐車場にした所へ車を止めることにした。一日600円だけどおじいさん一人で結構儲かるやろな。そんな銭勘定は忘れ、いよいよ聖徳太子にでもなったつもりで南大門に上がった。
「う~ん濃い!」…。正面に西院伽藍の中門、奥に金堂、左に五重塔とその黒く縦じまの甍、ず~んと目から心臓に水銀を流し込んだような重さを感じる。建立した新築の五重塔を見た推古天皇や聖徳太子が現在の姿を見たらどう感じるのだろう?古さとか年月とかでは表せない「濃さ」がある。
ちなみに、法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築で、視界にある西院伽藍はすべて国宝になっており、世界文化遺産にも日本で始めて登録されている。国宝・重要文化財に指定された宝物類が190件、2300余点もあり(パンフレット)、国民の誰もが知っている国宝が数多い。
楽しみな大宝蔵院へ急げ。あった!玉虫厨子。暗くて見にくいがガイドが照らす懐中電灯でやっと文様が見える。推古天皇の仏殿らしい、教科書にも載っている厨子だけどその側面や背面には仏教の教えが描かれているのを初めて知った。すばらしい!7世紀にこんな仏殿を毎日拝んでいたなんて。その奥の部屋には八頭身の百済観音像がすらりと立っている。これが仏像?と思うほど日本人離れしたスタイルで全身の力を抜いて徳利を指で摘むように持っている。まるで酔っ払いが徳利片手にふらふらしているようで、すごく親しみを感じる。そしてその表情が柔らかくて酔っ払いとはずいぶん違う慈悲深さを感じる。これはこれは観音様クダラん事を言ってすみません。だいぶ時間が経ったがそれでも何だか離れるのが惜しい。
西院伽藍を出て夢殿がある東院伽藍へ急いだ。それにしても飛鳥時代にこんなに大きな寺院を建てる必要があったのかな?参道途中には奈良・平安・鎌倉時代などに立てられた寺院が並ぶ。やっと夢殿に着いた。夢殿を取り巻く廻廊が黒くてやはり重い、その中に夢殿があり西院伽藍とは狭くて雰囲気が違う。八角堂は1300年も前とは思えない新しさを感じるが、それはこの八角の形がモダンなせいだろうか?夢殿の名前の由来は、聖徳太子が夢の中で金人(仏)に出会ったという伝説から名付けられたとも言われている。
法隆寺に来て本当に良かった。一緒に見学していた中学生たちにはおそらく殆ど記憶には残らないであろうが、この年齢になると同じ物を見てもずいぶん違うもんだなと、自分がかつて小学生か中学生のころに来てすっかり忘れていた事を思い出した。
仏教を広めるため、天皇の地位を確立するため、当時の外国へ日本の偉大さを認めさせるため、そして聖徳太子を神仏化するため……建立の動機は何が強かったのか分からないが、こんなにすばらしい、そして1400年以上も立派にその姿を残すエネルギーはどこから来るのだろう。先日訪れた飛鳥は石の文化であったがこの法隆寺は木の文化だ、建築も仏像も。そのかよわい木が悠久の歴史を見続けてきた事の驚きと、仏像の表情のやわらかさを感じないでいられない。あの徳利をつまんだ百済観音は何を伝え様としているのだろう。「もっと力を抜いて歩みなさい、そんなに我を張っても何のためにもならないよ…。」