ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

三十三間堂でひとり言

2006年10月01日 | Weblog
10月の同門会の幹事打合せで久々に京都に行くことになった。
京都は学生時代の4年間と会社に入ってから最近の赴任で5年間通い続けた所だ。9年も通えば第二の故郷と言ってもおかしくないのだろうが、どうもそんな気がしない…。何故だろう?京都には住んでいなかった事が大きいのかも知れない、しかし、京都のその伝統が寄せ付けないような何か大きな者に許しを得ていないような気になる。他の人もそう感じているのだろうか…。
 夕方の打合せなので、初めての国立博物館とその横にある三十三間堂に行くことにした。三十三間堂とは変わった名前だが、正式名は蓮華王院で横長120mの間に柱間が33あるからだそうだ。それより圧巻は堂内には何と1001体の千手観音が階段式に並べてあることだ。中に入って端っこから堂内を見渡すとこの世とは思えない異様な光景に一瞬足が止まる。ゆっくり見て廻ると中央の中尊や前列にある28体のインドの神々があり、また日本人にカミナリ様はどんな姿かと聞けば皆が描くだろう雷神があり、国宝のデパートです。
こんな手間のかかるものを誰が建てたのかと思えば平清盛だった。やっぱり…!1159年に平治の乱が起こり藤原信頼は殺され源義朝一族も殺され、ついに平家の天下となった。その5年後、当時の天皇「後白河上皇」の陵になる法住寺の一角に建立した。「平氏にあらざれば人にあらず」と言わしめた絶頂期だったかも知れない。また、後白河天皇も大変な天皇で結局源頼朝からは「日本国第一の大天狗」と評された、自分の政権維持のためには平家や木曽義仲、はたまた源義経、頼朝の兄弟を討伐させることになった。親王の時にはその資質を危ぶまれ即位ができないところだった、「文にあらず、武にもあらず、能もなく、芸もなし」と父・鳥羽法皇に酷評されていた可愛そうな人であった。しかし、その様な人間が政権を握るとやっぱり多くの人を裏切ることになる。
 人の手を借りないと実権を握れないから、千手観音を千体も作らなければいけなかったのだろうか。