ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

吉野ヶ里遺跡を訪ねてひとり言

2006年08月21日 | Weblog
土曜日の出張で福岡に行ったので日曜日に吉野ヶ里まで足を伸ばして帰ることにした。あの広大な吉野ヶ里遺跡を一度見てみたいと、古代史が好きな者は誰もが思うことでしょう。大規模な環壕集落があり、弥生時代の600年間続いた初期から後期まですべての時代の遺物が発掘されており、まさに弥生人の声が聞こえる場所かもしれないと期待が膨らんだ。ネットで調べた時刻の電車にサンドウィッチを買って飛び乗った。「発車しまーす」「……?」乗った車両の前からだけが発車した。同じホームから車両の間も開けないで別の2列車を発着させるなんて想像もしなかった。おかげで予定の快速には置いてきぼりを食らい各停でサンドウィッチを食らいながら行く事になった。暑い、相当歩くことになるなと覚悟を決めるほど駅から遥か向こうに物見櫓が見える。入場ゲートに到着したときは既に汗だくになっていた。入場券400円の自動販売機があるのに周りには何人も人がいて、親切にもタオルや編み笠を無料で貸してくれる。すごいサービスやなと感心した。さて、ゲートまでも駐車場を横切って長かったが入ってからも最初の南内郭エリアまでこれまた長い。アスファルトの上でカラカラに干からびているミミズの心境だ、暑い!展示室の案内が目に入った、例え入場料が10、000円でも入るぞと無料の展示室に干からびかけたミミズが逃げ込んだ。涼しい、エアコンの前から離れられない。楽しみの展示物を見ようと見渡したが、案外小さなプレハブの展示室で復元された竪穴住居や物見櫓の立派さと比べると何かアンバランスで見劣りする。展示品も少なく期待した物はなかった。まあ涼しくなったのでいいか!?しかし、広い所やな。何人ぐらいが生活していたのかなと思い調べてみると、発見された墓の数やその他から推測すると常時1000人ぐらいにはなりそうだ。同じ場所で600年も繁栄した理由は何なんだろう、この集落には大物が生活しておらず、周辺の遺跡に大物が住んでいて、吉野ヶ里遺跡は大勢の人が寄り集まる場所であったような説もある。ここの住民は漢民族であり、神武天皇が攻めたとも神功皇后が攻めたともあり、ヤマトの初期時代が不明瞭で分からない。卑弥呼が納めていた可能性もあり、これだけ住居が再現できたのだからはっきりして欲しい。暑さで頭がボートしてきたので、他のエリアに行く気力がなくなった。弥生時代もこんなに暑かったのかな?そうであれば私は吉野ヶ里一の何の役にも立たないさぼり弥生人に間違いないだろうな。それにしてもこの施設は財団法人が国土交通省と佐賀県の第3セクターで管理しているようだが、弥生の古代ロマンに浸ろうと思ってもしっくり来ないし、リピーターは少ないと思う。古代ロマンより現実の浪費に夢どころではなかった、久々に無駄な投資と中途半端な運営を見た感じがした。