天気予報は雨!?今まで旅行先で傘をさしたことがない「晴れ男」だから心配はない。仲居さんに「雨降らない事を祈っています」と送り出された。しかし、最近のゲリラ豪雨を思うと、ひょっとすると降られるかもと思い予定を一部変えた。
朝一番、あわら温泉から越前へ向かい、途中丸岡城に寄った。日本最古の天守閣で、こじんまりした天守内の狭くて急な階段が印象的だ。
永平寺へ行く前に、六呂瀬山古墳と松岡古墳群を見に行った。六呂瀬山古墳は九頭竜川の右岸、六呂瀬山山頂に位置する前方後円墳や方墳があるところで、継体天皇の生母を輩出した一族の大首長墓であるとの説がある。車を止めて登ろうとしたら、整備中で入山禁止の看板があり生木が倒れていた。あきらめずに少し歩くと、坂井市の教育委員会の荷物で道が塞がれていた。ここは断念して車で10分程の松岡古墳群へ向かった。こちらは公園として整備されているが、予想以上に広いので入り口の春日山古墳だけを見ることにした。横穴式石室がドームの中で解放されていて、石室には笏谷石で作られた横口式舟形石棺が安置されていた。この横に穴が開いている石棺は出雲地方で見られるタイプで、春日山古墳に納められた首長は出雲地方と関わりがあったと考えられ、同じ部族であったかも知れない。
幸いに雨はまだ降らないし、それどころか真夏のような暑さになった。干からびそうな体で車内に戻ると、エアコンが救ってくれた。
さて、永平寺は僧侶の育成と信徒の信仰の源の曹洞宗大本山らしく、威厳があり壮大なスケールの寺院だった。門前町も栄えているようで、各店舗の駐車の車獲得の賑わいも楽しいが、古刹を巡っていると、この様な大寺院にはあまり尊厳と畏怖を感じない。「儲かってるな」…宗教より経済が優先している様に感じてしまう。
いよいよ最後の目的は勝山市にある平泉寺白山神社だ。思わず息をのむ杉木立の参道、苔むした境内、今まで訪れた他の古刹を圧倒する幽玄さ、すばらしい。717年泰澄によって開かれたという、白山信仰の越前拠点として、最盛期には48社36堂6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成した。その栄華は今の境内に全くない。あるのは絨毯のような苔だけ。泰澄大師がここで神様に出会ったことが、平泉寺の始まりと言われる「御手洗の池」の前に座り込むと、時代も季節も忘れて、静寂の中から何かが現れそうな畏怖を感じた。
入り口の食事処で蕎麦を食べた。岡本太郎や櫻井よしこさんらのサインがあり、みんな感動しただろうなと思った。女将さんに、「苔は自然に生えるのですか?」「えぇ、すぐに生えるので大変ですよ」「庭の手入れは誰がされるんですか?」「年に2回だけ地域住民が総出でやりますが、それ以外はほとんど手付かずです」「それにしてはきれいですね」「まだ日にちがそう経っていませんからね」あまりに境内がきれかったので、思わず次々と質問してしまった。
雨の予報だったので、降りだしたら行こうと思っていた恐竜博物館にも時間があるので寄ってみた。宇宙船のような銀色の丸いドームが迎えてくれた。
今回は縄文から大和政権のできる前の弥生時代、そして8世紀の白山神社と、千年以上の永いタイムトラベルだったが、最後に何と2億年前まで行ってしまった。
丹後、越と廻って感じたことは、大和ができる前から日本海沿岸には半島からの渡来人により、発達した文化があり、鉄や塩などの貴重品を基に経済力と軍事力を蓄え、大和建国に貢献し、また大和連携と並行した半島との独自外交も維持しながら繁栄した地域であること。この地には敦賀の地名になった「ツヌガアラシト」と、出石に定着した「アメノヒボコ」が神として存在するが、二人は同一人物ともいわれ、気比神宮の祭神である神宮皇后との関係もおもしろい。
新羅を攻略した神宮皇后、新羅の王子であるアメノヒボコ…。「ウガォー、ガォー」ティラノサウルスが睨んでいた。古代妄想から現実に戻ったら、そこは太古の恐竜時代だった。ついに雨は降らなかった。
朝一番、あわら温泉から越前へ向かい、途中丸岡城に寄った。日本最古の天守閣で、こじんまりした天守内の狭くて急な階段が印象的だ。
永平寺へ行く前に、六呂瀬山古墳と松岡古墳群を見に行った。六呂瀬山古墳は九頭竜川の右岸、六呂瀬山山頂に位置する前方後円墳や方墳があるところで、継体天皇の生母を輩出した一族の大首長墓であるとの説がある。車を止めて登ろうとしたら、整備中で入山禁止の看板があり生木が倒れていた。あきらめずに少し歩くと、坂井市の教育委員会の荷物で道が塞がれていた。ここは断念して車で10分程の松岡古墳群へ向かった。こちらは公園として整備されているが、予想以上に広いので入り口の春日山古墳だけを見ることにした。横穴式石室がドームの中で解放されていて、石室には笏谷石で作られた横口式舟形石棺が安置されていた。この横に穴が開いている石棺は出雲地方で見られるタイプで、春日山古墳に納められた首長は出雲地方と関わりがあったと考えられ、同じ部族であったかも知れない。
幸いに雨はまだ降らないし、それどころか真夏のような暑さになった。干からびそうな体で車内に戻ると、エアコンが救ってくれた。
さて、永平寺は僧侶の育成と信徒の信仰の源の曹洞宗大本山らしく、威厳があり壮大なスケールの寺院だった。門前町も栄えているようで、各店舗の駐車の車獲得の賑わいも楽しいが、古刹を巡っていると、この様な大寺院にはあまり尊厳と畏怖を感じない。「儲かってるな」…宗教より経済が優先している様に感じてしまう。
いよいよ最後の目的は勝山市にある平泉寺白山神社だ。思わず息をのむ杉木立の参道、苔むした境内、今まで訪れた他の古刹を圧倒する幽玄さ、すばらしい。717年泰澄によって開かれたという、白山信仰の越前拠点として、最盛期には48社36堂6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成した。その栄華は今の境内に全くない。あるのは絨毯のような苔だけ。泰澄大師がここで神様に出会ったことが、平泉寺の始まりと言われる「御手洗の池」の前に座り込むと、時代も季節も忘れて、静寂の中から何かが現れそうな畏怖を感じた。
入り口の食事処で蕎麦を食べた。岡本太郎や櫻井よしこさんらのサインがあり、みんな感動しただろうなと思った。女将さんに、「苔は自然に生えるのですか?」「えぇ、すぐに生えるので大変ですよ」「庭の手入れは誰がされるんですか?」「年に2回だけ地域住民が総出でやりますが、それ以外はほとんど手付かずです」「それにしてはきれいですね」「まだ日にちがそう経っていませんからね」あまりに境内がきれかったので、思わず次々と質問してしまった。
雨の予報だったので、降りだしたら行こうと思っていた恐竜博物館にも時間があるので寄ってみた。宇宙船のような銀色の丸いドームが迎えてくれた。
今回は縄文から大和政権のできる前の弥生時代、そして8世紀の白山神社と、千年以上の永いタイムトラベルだったが、最後に何と2億年前まで行ってしまった。
丹後、越と廻って感じたことは、大和ができる前から日本海沿岸には半島からの渡来人により、発達した文化があり、鉄や塩などの貴重品を基に経済力と軍事力を蓄え、大和建国に貢献し、また大和連携と並行した半島との独自外交も維持しながら繁栄した地域であること。この地には敦賀の地名になった「ツヌガアラシト」と、出石に定着した「アメノヒボコ」が神として存在するが、二人は同一人物ともいわれ、気比神宮の祭神である神宮皇后との関係もおもしろい。
新羅を攻略した神宮皇后、新羅の王子であるアメノヒボコ…。「ウガォー、ガォー」ティラノサウルスが睨んでいた。古代妄想から現実に戻ったら、そこは太古の恐竜時代だった。ついに雨は降らなかった。