ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

磐船神社でひとり言

2008年02月11日 | Weblog

昨日は市内でも5cm程積もる11年ぶりの雪で、新潟時代を思い出させてくれた。
3連休で待ちきれずに起きた2日目の朝、窓から見える一面の銀世界に思わず笑みが浮かんだ。盛岡、新潟で過ごした10年の冬は毎日こんな世界だったな…。早いものだな、まるで想い出もうっすら積もった雪の中に埋もれてしまったようだ。
 あちこちの屋根から雪解けの水がぽたぽた落ち始めた頃に、神社の近くの交差点に着いた。「落石のため通行止!」「あれ?ここまで来てダメか!」買ったばかりのナビで後1分の所でも落石には勝てない。ガードマンに近づいて聞いてみた、「すぐそこの磐船神社までは行けないですか?」「あそこにあったのは神社でしたか?そこまでだったら行けますよ」
これも饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の思し召しか!スタンドを外して中に入れてくれた。すぐ先でわき道に入るが真っ白な道路で、まだ誰も入っていないと思った。ノーマルタイヤで不安があったがすぐ近くなことと雪国での運転を思い出しながら、こんなビショビショな雪なら大丈夫だと確信していた。すぐに境内前まで来たが、一層真っ白な銀世界。思ったより境内は狭く、川の上にご神体の15~20mの船のような大岩が鎮座している。看板には岩窟めぐりは300円、社務所までと書いてあるが社務所を覗いても人気がない。境内はあらゆる木々から雪解け水が落ちてきて雨降りのようだ。誰もいないのでどうすることもできず、せっかく無理に通してもらってここまで来たのにまたしても閉ざされた。何度も難関を潜り抜けて最後のボスがやっつけられなかったRPGの様な欲求不満が残った。見わたす範囲ではご神体だけでなく大岩がずいぶんゴロゴロしていて、こんな大きな岩は人間が動かしたのではなく川上から流れ着いたのかなと思う。回りの景観や川の小ささからするとすごくアンバランスな感じではあるが、その超自然さが信仰の対象になった理由でもあるのだろうと、ポトポト雫を頭に受けて古代から帰ってきた。
 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)ってだれ!神話に出てくる素盞嗚尊(スサノオ)の第5子?で神武天皇東征で神武軍をさんざん悩ませた長髄彦(ナガスネヒコ)の妹の三炊屋媛(ミカシヤヒメ)を妻とし、生まれた宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)は石上神宮(天理市)祭主の祖神であり、饒速日命は物部氏の始祖である。神武天皇東征の時に長髄彦は義兄の饒速日命を奉じてなかなか大和を譲らなかったため、最後には饒速日命が長髄彦を殺害して帰順したと書記に記されている。社伝はそのニギハヤヒがこの大きな磐船に乗ってこの地に天降ったとある。
 今読んでいる本では、この饒速日命が日本の消された覇王として、神から仏教、そして藤原家系統の日向族らによる思惑で神は大国主命へと塗り換えられた。今日の饒速日命さんは2度も会うことを拒否し、雪の中に身を潜め、言葉は雫となってポツポツと話しかけてくる。何とニギヤカシ!?
磐船神社