ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

原風景でひとり言

2009年01月21日 | Weblog




誰でも自分なりの原風景を持っている。昭和の原風景…、日本の原風景…。
私が大阪で思い浮かべる原風景は、小学校の頃に初めて道頓堀に行って見た、ネオン看板のにぎやかなこのアングルのイメージだ!図工の時間に描いた記憶がある。
 神戸はどうだろう、メリケン波止場でもセンター街でもさん地下でもない。北野界隈から下りの坂道越しに見た神戸港だ。高校生の記憶と覚えている。どちらも日常的な、しかし、私にとっては非日常的な風景だ。
 プータローの非日常的な2ヶ月が終わる、平日の昼間に私の原風景を再度訪れてみた。
北野界隈は観光用にずいぶん整備され、どの異人館も入場料を取って公開している。イメージの坂道は見つけることができなかった。諏訪山の方だったかも知れない。
大阪は多くの人もこの道頓堀界隈をイメージすることと思う。平日にしては人出が多いがすれ違う半数はアジア外人だ。そして時は変わり、そこに居た「くいだおれ太郎」は消えていた…。「ぷー太郎」も今日で居なくなる。

対馬でひとり言2

2009年01月18日 | Weblog

11:45壱岐の芦辺港を出発し、対馬の厳原港に12:50到着。約1時間の航海であった。厳原は観光地図では結構大きな港に思ったので、レンタカーは予約せずに到着してから来てもらった。レンタカーを呼ぼうと思い携帯を探したら、何と今降りたジェットフォイルにバッグを忘れてきたことに気づき慌てて船内へ向かったら、丁度船員が入り口から私のバッグをぶら下げて出てきた。このまま福岡まで先に帰ってしまうところだったが危うくカムバッグでした。
 さて、最北端の上対馬まで行き釜山を拝もうと思いレンタカーのおじさんに聞くと80Km以上あって2時間では行けないと言われた。壱岐と違いずいぶん南北に細長くなっている。また、89%が山間部となっており軽自動車では一層厳しいドライブになるので最北端はあきらめた。この山間部が多く肥沃な平野が少ない様子が魏志倭人伝に出ている。
「始めて一海を度(わた)る千余里。対馬国に至る。その大官を卑狗(ひく)と曰ひ、副を卑奴母離(ひなもり)と曰ふ。居る所、絶島。方四百余里ばかり。土地は山険しく、深林多く、道路は禽鹿(きんろく)の径(こみち)のごとし。千余戸あり。良田無く、海物を食らって自活し、船に乗りて南北に市テキす。」
食糧事情が悪いために、後には倭寇(わこう)となり朝鮮沿岸地を略奪三昧で暴れ、大いに李氏朝鮮を苦しめ、当時の島主であった宗氏に官位を与え米まで送って倭寇を抑えた。その宗氏の墓所が厳原にある桃山様式の赤い山門が残る万松院である。(写真) 対馬の越高遺跡からは紀元前6800年ごろの九州産の黒曜石の矢尻や、朝鮮半島からの最古の土器などが出土されており、縄文時代早期から両方との交流があったことが分かっており、今回の旅行のきっかけも、このピラミッド時代より以前から玄界灘を往来していた事が不思議で、自分で玄界灘を渡ってみたかったのだ。まさに古代航海術には限界?はなかった。むっ?その航海を術としていた海人族は海幸・山幸の伝承を持ち、その伝承は日本書紀にある「山幸である弟の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が、海幸である兄の火闌降命(ほのすそりのみこと)の釣針を借りてこれを失い、海岸を歩くうちに塩土老翁(しおつちのおじ)に逢い、籠の中に入れられて海に沈められる。たちまちに海神宮(わたつみのみや)に至る。」このワタツミノ宮が対馬には2つある。山幸彦が祭られているが主神は豊玉姫である、木坂の海神(わたつみ)神社と地名が豊玉町にある同じ主神の和多都美(わたつみ)神社である。(写真) みんなが知っている山幸彦・海幸彦の神話がここに来れば現実味を帯びてくる。海神神社は長い石階段を登った山の中腹にあり海を向いて社殿が建っているし、和多都美神社は海の中に鳥居があり、その鳥居の連なる先には海から近くなのに原生林の様な杜に続く。どちらも海人族の航海の無事を祈るにふさわしい場所にある。どうして記紀にこの地の伝承が取り上げられ、その神が天皇家に組み込まれているのか?木坂の海神神社の社家は永留氏です。ナガトメはナカトミとなり中臣となる…!中臣氏は古代から神事祭祀をあつかった。この対馬は亀の甲羅をやいて占う亀卜がこの地の卜部たちによって行われ、古くから卜部として大和政権の中枢に採用されていた。対馬は神話から政(まつりごと)まで古代から深く関わっており、本当に日本の歴史の入り口のような気がする。


対馬でひとり言

2009年01月09日 | Weblog

あけましておめでとうございます。
年末前に行った壱岐・対馬の旅後半の「対馬でひとり言」を書こうと思ってはいるものの…。人間は時間があってもその気にならないと何もしない動物だなと、自分のずぼらを棚に上げ人類のせいにする。私の就活も年末年始で一時停止していたが、年末に受けた面接のいやなダメージから立ち直り、昨日から2社にエントリーして面接待ち状態です。全く新しい世界に飛び込むには、歳がいくほど大きなエネルギーが必要だ。今までだったら当たり前のことがほとんどはそうではなく、これまでの物差しは何の役にも立たない。それどころか異質なものとして邪魔になってしまうことも沢山あるなと感じている。
 壱岐島からジェットフォイルに乗って約1時間で対馬の厳原港に到着した。対馬は本土から132Km、韓国までは49.5Kmと圧倒的に韓国に近く、釜山から国際航路でジェットフォイルが就航している。おそらく島民も博多より釜山へ出かけることが多いと思う。この旅行から帰った翌日に、国会議員団が対馬に視察に行ったニュースを見た。韓国による不動産の買い占めや、韓国資本のホテルがレーダー基地に隣接して建設されており、このまま放っておいたら土地の買い占めや移住者の増加など実効支配は崩れる。竹島に懲りず日本政府の領土意識の低いことが問題となっている。対馬へ上陸するとすぐに目に入るのがハングル文字、店屋の看板は一番大きい字がハングルで、一見韓国の町並みに見える。12月はすでに円高ウォン安になっており韓国の観光客がほとんど来なくなったようだが、それまでの対馬は過疎化が進み、その歯止めの観光産業は韓国が支えてきた一面もある。しかし、日本の中で外国に一番近い対馬で、こんな無防備ではどうしようもないと痛感した。古代妄想の観光の前に、現実の対馬が気になってしまった。 かつて遣隋使や遣唐使、朝鮮通信使などが大和朝廷の表玄関として訪れた対馬が、今や韓国の勝手口になってしまっている。