ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

出石神社でひとり言

2011年01月26日 | Weblog
久々に晴れた休日だったので、思いつきで出石へ出かけることにした。
無料になった舞鶴自動車道も快適で、NAVIの予想時間通り快適に走ることができた。
…ところが、福知山辺りから様子が変わってきた。雪が一面に積もっている。思い起こせば、年末年始に山陰地方など日本海側は大雪だったのだ。高速を降りると、そこは別世界だった。暫し銀世界に浸り、新潟や岩手の冬を懐かしく思い出した。
「白い雪がすべてを隠し 遠い足跡消してゆくなら ずっと忘れないよう今を 春の雪に閉じ込めていって」iPodにつないだカーステレオから徳永の「春の雪」が流れる。
道路横に積上げられた雪が融け、路面を濡らす。北国の経験から、これが直ぐに凍結してくる怖さを覚えている。思い付きでここまで来たが、ノーマルタイヤでどうするか迷った。後40Kmはこんな地道を走らなければならない。幸い天気は持ちそうだったので、行けるところまで行くことにした。除雪が行き届いていたので、目的の出石神社まで来ることができた。
住宅外の奥に鬱蒼とした森が見え、結構広い境内の真ん中辺りに駐車して参拝できた。
御祭神は、天日槍命(あめのひぼこのみこと)、出石八前大神(いずしやまえのおおかみ)。日本書記には、(新羅の王子である)『天日槍』(あめのひぼこのみこと)は垂仁天皇の御代に日本に聖王がいると聞いて、播磨国にやってきた。その時持っていた『八種の神宝』を奉じたので、天皇から好きなところに住むことを許された。
そこで宇治川を遡って近江国に入り、その後若狭国を巡り、但馬国に至り『出石』に居所を決めた」と記されている。
『古事記』では、書記とは違う話を伝える。昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、アメノヒボコと出会った。ヒボコは、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。男が釈明をしてもヒボコは許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。ヒボコがその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。
ヒボコは娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。しかし、ある日奢り高ぶったヒボコが妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津の比売碁曾神社に逃げた。ヒボコは反省して、妻を追って日本へ来た。この妻の名は阿加流比売神(アカルヒメ)である。しかし、難波の海峡を支配する神が遮って妻の元へ行くことができなかったので、但馬国に上陸し、そこで現地の娘・前津見と結婚したとしている。
古事記においてアメノヒボコと阿加流比売神の子孫・曾孫が、菓子の祖神とされる多遅摩毛理(たぢまもり・田道間守{日本書紀})であり、次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神功皇后)の母、葛城高額比売命であるとされている。
 アメノヒボコは泥沼を開拓し鉄も伝えたとされている。そして、神功皇后へとつながり、新羅や半島との交流が想像できる。
とにかく、出石蕎麦だけは食べて帰ろうと、急に舞だした雪を気にしながら、大きなドライブインの蕎麦屋に入った。つきだしに出た、椎茸のわさび漬けが美味しかったのでお土産にした。雪国を、何も考えずにノーマルタイヤで来てしまった、行き当たりばったりのドライブであった。青森の高速で、雪のスリップで廃車にした事故を思い出しながら、アメノヒボコではなく、ユキノヒボコボコの車にならないように、猛スピード!?で逃げ帰った。


西宮神社でひとり言

2011年01月16日 | Weblog
2011年が始まった。列島は厳寒にさらされ日本海側は大雪に埋もれた。日本の外交も2012年を控え、激しい年になりそうだ。昨年の尖閣や北方列島問題があったからではないが、本当に国家としてしっかりしてほしい。政治家やマスコミを批判することは簡単だが、問題は国民自身の自立が出来ていない事だ!何でも人のせいにして、自分の責務には全く無関心の人が多すぎる。無差別、通り魔殺人は、その動機を社会や人のせいにする典型的な自己責任放棄だ。他責(人の責任にする)現象は日常でも多く見られる。「禁止って書いてないから…」「みんながやってるから…」等など切りが無い。その反面自分の権利だけは主張する。本当に困った国民になってしまった。
 十日戎には開門と同時に境内を駆け抜ける、福男選びの神事で有名になった西宮神社へ初詣に行った。祭神の蛭子命(ヒルコ)は古事記で国産みの際、伊弉諾岐命と伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である。しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。その子が西宮の浜に漂着して祭られた。エッ!自分の子供を捨てるなんて、神も仏もあったもんじゃない!これも古代の常識内らしい。「えびす」も戎、恵比寿、夷、蛭子などいろいろ書かれるが、「えべっさん」は、大国主神と言われているし、また事代主神(コトシロヌシ)とも言われる。えべっさんが鯛を抱え釣竿を持っているのは、美保関で釣りをしていた所へ、国譲りを迫れた事代主神が、海中の青柴垣に身を隠した神話に由来する。蛭子神にしても事代主神にしても悲しい神だが、人形遣い(くぐつまわし)などの芸人や漁師、そして商売人達に祭られて、商売繁盛のにこにこ顔の神様になった。
 わが国も、TPP・外交など山積する課題を越え、えべっさんのように国民が商売繁盛でにこにこ出来る様に願いたい。そのためにも一人ひとりが、自分の事だけを考えず、もっと周りの人の事や、ひいては子孫や国家の事も考えて行動していかなければならない。