久々に晴れた休日だったので、思いつきで出石へ出かけることにした。
無料になった舞鶴自動車道も快適で、NAVIの予想時間通り快適に走ることができた。
…ところが、福知山辺りから様子が変わってきた。雪が一面に積もっている。思い起こせば、年末年始に山陰地方など日本海側は大雪だったのだ。高速を降りると、そこは別世界だった。暫し銀世界に浸り、新潟や岩手の冬を懐かしく思い出した。
「白い雪がすべてを隠し 遠い足跡消してゆくなら ずっと忘れないよう今を 春の雪に閉じ込めていって」iPodにつないだカーステレオから徳永の「春の雪」が流れる。
道路横に積上げられた雪が融け、路面を濡らす。北国の経験から、これが直ぐに凍結してくる怖さを覚えている。思い付きでここまで来たが、ノーマルタイヤでどうするか迷った。後40Kmはこんな地道を走らなければならない。幸い天気は持ちそうだったので、行けるところまで行くことにした。除雪が行き届いていたので、目的の出石神社まで来ることができた。
住宅外の奥に鬱蒼とした森が見え、結構広い境内の真ん中辺りに駐車して参拝できた。
御祭神は、天日槍命(あめのひぼこのみこと)、出石八前大神(いずしやまえのおおかみ)。日本書記には、(新羅の王子である)『天日槍』(あめのひぼこのみこと)は垂仁天皇の御代に日本に聖王がいると聞いて、播磨国にやってきた。その時持っていた『八種の神宝』を奉じたので、天皇から好きなところに住むことを許された。
そこで宇治川を遡って近江国に入り、その後若狭国を巡り、但馬国に至り『出石』に居所を決めた」と記されている。
『古事記』では、書記とは違う話を伝える。昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、アメノヒボコと出会った。ヒボコは、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。男が釈明をしてもヒボコは許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。ヒボコがその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。
ヒボコは娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。しかし、ある日奢り高ぶったヒボコが妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津の比売碁曾神社に逃げた。ヒボコは反省して、妻を追って日本へ来た。この妻の名は阿加流比売神(アカルヒメ)である。しかし、難波の海峡を支配する神が遮って妻の元へ行くことができなかったので、但馬国に上陸し、そこで現地の娘・前津見と結婚したとしている。
古事記においてアメノヒボコと阿加流比売神の子孫・曾孫が、菓子の祖神とされる多遅摩毛理(たぢまもり・田道間守{日本書紀})であり、次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神功皇后)の母、葛城高額比売命であるとされている。
アメノヒボコは泥沼を開拓し鉄も伝えたとされている。そして、神功皇后へとつながり、新羅や半島との交流が想像できる。
とにかく、出石蕎麦だけは食べて帰ろうと、急に舞だした雪を気にしながら、大きなドライブインの蕎麦屋に入った。つきだしに出た、椎茸のわさび漬けが美味しかったのでお土産にした。雪国を、何も考えずにノーマルタイヤで来てしまった、行き当たりばったりのドライブであった。青森の高速で、雪のスリップで廃車にした事故を思い出しながら、アメノヒボコではなく、ユキノヒボコボコの車にならないように、猛スピード!?で逃げ帰った。
無料になった舞鶴自動車道も快適で、NAVIの予想時間通り快適に走ることができた。
…ところが、福知山辺りから様子が変わってきた。雪が一面に積もっている。思い起こせば、年末年始に山陰地方など日本海側は大雪だったのだ。高速を降りると、そこは別世界だった。暫し銀世界に浸り、新潟や岩手の冬を懐かしく思い出した。
「白い雪がすべてを隠し 遠い足跡消してゆくなら ずっと忘れないよう今を 春の雪に閉じ込めていって」iPodにつないだカーステレオから徳永の「春の雪」が流れる。
道路横に積上げられた雪が融け、路面を濡らす。北国の経験から、これが直ぐに凍結してくる怖さを覚えている。思い付きでここまで来たが、ノーマルタイヤでどうするか迷った。後40Kmはこんな地道を走らなければならない。幸い天気は持ちそうだったので、行けるところまで行くことにした。除雪が行き届いていたので、目的の出石神社まで来ることができた。
住宅外の奥に鬱蒼とした森が見え、結構広い境内の真ん中辺りに駐車して参拝できた。
御祭神は、天日槍命(あめのひぼこのみこと)、出石八前大神(いずしやまえのおおかみ)。日本書記には、(新羅の王子である)『天日槍』(あめのひぼこのみこと)は垂仁天皇の御代に日本に聖王がいると聞いて、播磨国にやってきた。その時持っていた『八種の神宝』を奉じたので、天皇から好きなところに住むことを許された。
そこで宇治川を遡って近江国に入り、その後若狭国を巡り、但馬国に至り『出石』に居所を決めた」と記されている。
『古事記』では、書記とは違う話を伝える。昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、アメノヒボコと出会った。ヒボコは、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。男が釈明をしてもヒボコは許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。ヒボコがその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。
ヒボコは娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。しかし、ある日奢り高ぶったヒボコが妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津の比売碁曾神社に逃げた。ヒボコは反省して、妻を追って日本へ来た。この妻の名は阿加流比売神(アカルヒメ)である。しかし、難波の海峡を支配する神が遮って妻の元へ行くことができなかったので、但馬国に上陸し、そこで現地の娘・前津見と結婚したとしている。
古事記においてアメノヒボコと阿加流比売神の子孫・曾孫が、菓子の祖神とされる多遅摩毛理(たぢまもり・田道間守{日本書紀})であり、次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神功皇后)の母、葛城高額比売命であるとされている。
アメノヒボコは泥沼を開拓し鉄も伝えたとされている。そして、神功皇后へとつながり、新羅や半島との交流が想像できる。
とにかく、出石蕎麦だけは食べて帰ろうと、急に舞だした雪を気にしながら、大きなドライブインの蕎麦屋に入った。つきだしに出た、椎茸のわさび漬けが美味しかったのでお土産にした。雪国を、何も考えずにノーマルタイヤで来てしまった、行き当たりばったりのドライブであった。青森の高速で、雪のスリップで廃車にした事故を思い出しながら、アメノヒボコではなく、ユキノヒボコボコの車にならないように、猛スピード!?で逃げ帰った。