ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

トルコを巡ってひとり言2

2015年02月15日 | Weblog
 イスタンブールは素晴らしい街だけど、ラッシュ時の渋滞には驚かされる。散策するには歩くか、トラム、メトロを使うべきだ。3日間の滞在中は、ツアーバスを途中で降ろしてもらって、目的地まで歩いた。しかし、街中のストリートはなかなか難しい、ローマの様に石畳や坂道が多く歩きにくいし、細くてまっすぐな道は少なく、道路標識も起点にはあるが途中は何もない。そんな道を毎晩徘徊した。
 最初はブルーモスクのライトアップを見に行ったが、途中でキプロスから仕事で来たと言う青年に話しかけられ、写真を撮ってもらい案内もしてくれて、自分は出張なので今夜はパーティーナイトだから一緒に飲もうと誘われた。本当は飲みたかったけど、よくある手口だと気が付いて、お金を持ってきていないと断った。あっさりとバイバイしたので、やっぱりそうだったのかと胸を撫で下ろした。その帰りには近道をしようと思って道に迷った。

 グランドバザールは平日にもかかわらずものすごい賑わいだ。バザールの店員は「ニーハオ」と声をかけてくる。中国人の方がきっと金になるのだろう。我々もトルコ人もイラクも中東アジアの人種に区別はつかないが、かれらも東アジアの3か国は同じに見えているようだ。ジャーミーは同じ様でも、全然違う。

 2日目の夜はハマムに出かけた、ガイドブックに紹介されたジャールオールを探して入ったら、現金オンリーと言われ諦めた。そして、ブルーモスク近くにあったハマムを思い出し、そっちへ行った。きれいなハマムで途中からは貸切となった。愛想の良いケセジが唸るほどの力でマッサージをしてくれ、時々片言の英語で私は貧しいとチップをねだる。40分程で80ユーロと少し高いと思った。貸切だったのでまあいいか。
 ガラタ橋はエジプシャンバザールのすぐ前にあり、金角湾を渡り旧市街と新市街を結ぶ、2階はトラムや車が通り、1階はレストラン街になっており、その欄干からは釣り人が所狭しと糸を垂れている。ガラタ橋を渡り坂道を上がると、ガラタ塔に着く。寒い中、後ろの中国の女の子と話しながら20分ほど並びチケット販売所まで来たが、看板に外人は25リラとなっており、持ち合わせは15リラしかなく、中国人も高いからと2人ともリタイヤ。ガイドブックは13リラだったが、民間経営で値上がりしていた。それよりも、観光地で外人料金が違う事に驚いた。ガラタ塔からさらに坂道を上がっていくと新市街の目抜き通りであるイスティクラール通りに出る。人通りの多い通りの真ん中には赤色のノスタルジックな路面電車が走っている。通りのブランドショップと対照的だった。

トルコを巡ってひとり言

2015年02月14日 | Weblog
 イスタンブール空港に到着してから、エーゲ海沿岸のトロイ、アイワルク、ベルガマ、エフェス、パムッカレを観光。内陸部の中央アナトリアへ、コンヤ、カッパドキア、アンカラからイスタンブールへ一周して、最終はカイロからギザへ行きイスタンブール経由で帰国。15日間のたっぷりトルコを楽しめる旅行だった。
 セルチェク近くにあるエフェス遺跡は世界最大級の古代都市遺跡、紀元前2000年頃には集落があり、アレキサンダー大王に攻略され、その後ローマ帝国の支配下で発展する。クレオパトラ7世も滞在し、聖母マリアが晩年を過ごした街だった。勝利の女神ニケの像があり、「NIKE」の語源で服の形がマークになったらしい。日本では卑弥呼が活躍するころ、ここでは大きな神殿や図書館、5万人が入る大劇場、娼婦の館等が賑わっていたのだ。

 パムッカレは地中海沿岸から内陸に入っていくデニズリにある。「綿の城」と言う意味のパムッカレは、山肌に残った残雪の様に、そこだけ白く遠くからも見ることができる。崖地に石灰棚が真っ白な段々畑の様に広がり、青く見える温泉がその棚田を流れていく。そのすぐ上の台地には、ヒエラポリスと言う紀元前2世紀から栄える古代都市の遺跡が広がる。ギリシャ時代の円柱が底に沈んでいる温水プールが有名だ。当日は台風並みに風が強くてとても寒く、警備する厚着したポリスも寒そうで、本当の「冷えたポリス」だった。

 楽しみにしていたカッパドキアのバルーンツアーはこの2,3日の強風で中止となった。一人でカッパドキアで一番高いウチヒサルの要塞へ登った。360°の展望は、地球でない様な幻想的な奇岩の谷が広がっていた。エルジェス山やハサン、ギュルル山が噴火を繰り替えし、溶岩と火山灰が大地を作り、浸食と風化で削られ、硬い所は黒く残って、キノコの傘の様になっている。ウチヒサル城砦からホテルに帰る途中、丁度日が沈み始め、赤く染まる谷と、遠くに見える富士山の様なエルジェス山がとても神秘的で、見とれてしまい長い時間立ち止った。