ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

道後温泉でひとり言

2012年04月24日 | Weblog
田子の浦にうち出でてみれば…
誰でもが知っているこの歌は山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)が歌った。
柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられている。
彼が日本最古と言われる伊予の国の道後温泉に来て歌った長歌は、
「すめろきの、神の命(みこと)の、敷(し)きませる、国のことごと、湯はしも、さはにあれども、島山(しまやま)の、宣(よろ)しき国と、こごしかも、伊予(いよ)の高嶺(たかね)の、射狭庭(いざには)の、岡に立たして、歌思ひ、辞(こと)思はしし、み湯の上(うへ)の、木群(こむら)を見れば、臣(おみ)の木も、生ひ継ぎにけり、鳴く鳥の、声(こゑ)も変らず、遠き代に、神さびゆかむ、幸(いでま)しところ」
神である天皇が治められている国中に温泉はたくさんありますが、その中でも特に島や山がすぐれた国として、けわしい伊予(いよ)の高嶺(たかね)の、射狭庭(いざには)の岡にお立ちになって、歌を思い、言葉を選ばれた、この温泉の木々を見ると、臣(おみ)の木も生い茂っています。鳴く鳥の声も変わらずに、遠い末の世まで、神々しくなってゆくでしょう、

春の陽射しを受けながら「しまなみ海道」で海を眺めながらゆっくりしようと思っていたが、ドライブインも景色の良いパーキングも見当たらなくて、あっと言う間に今治まで来てしまった。時間があるので今治城をナビに入れた。市街地の結構広い道路から、少し古い町並みになったかと思えば、すぐにこじんまりした綺麗な天守閣が見えた。透き通った堀の水は海水を引いているそうで、白っぽい城壁と桜が良く似合う美しい城だ。

早くチェックインして松山市内を散策しようと車を走らせた。松山市内は道路が広く、路面電車が縦横無尽に走っていた。SL風の「坊ちゃん列車」もあるし、踏切で電車を待つ電車!など、他の町では見られない光景があった。ホテルから自転車を借りて、松山城に登った。現存では一番高い標高130m以上の城で、ロープウェイで登った。天守閣からは春いっぱいの360℃の展望が見られた。

道後温泉は城から近く、道後公園は満開の桜で、多くの花見客で賑わっていた。まだ時間が早かったので、道後温泉本館もすぐに入れた。『千と千尋の神隠し』に登場する「油屋」のモデルになったといわれている外観で、情緒ある和風建築がすばらしい。料金は階数別のサービスによって入浴料が違う。210円でタオルを買って、一番安い400円で入浴した。値段とは関係ないと思うが、お湯は匂いもせず、ヌルヌルもなく、普通の銭湯に来ている様で期待はずれだった。加えて、高い料金の上の階からダダッツと降りてきた団体は中国人だった。バブル時の日本人観光客も海外では嫌われただろうな…と大急ぎでパンツを履いた。

 大街道と言う飛行機でも通れる様な広い商店街を歩いた。その隣には飲食街が広がっていた。松山市の人口はどれほど?と思うほどの繁華街が賑わっている。ふらっと入ったすし屋の大将が同い年と分かり、話が弾んで、ついつい焼酎のロックが進んだ。やさしい大将にスナックを紹介してもらい、店までも送ってくれた。

 山部宿禰赤人は聖武天皇時代の宮廷歌人で、天皇賛歌を多く歌った。かつて、舒明天皇がこの地に遊び、また、斉明女帝は百済へ出兵すべく西へ向かう途中、伊予の熟田津に立寄った。赤人は、そうした天皇の歴史的な事実を踏まえてこの「すめろきの…」を作っている。

「ママ、松山の夜は最高だね!次の曲いく?」この宮廷歌人ではなく、最低歌人は夜の更けるのも忘れ歌い続けるのだった。