ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

吉備路でひとり言

2009年03月21日 | Weblog


やっと春らしくなり、久々の連休で岡山へ出かけた。大和政権と吉備の関係はどうだったのだろう?と前から気になっていたので、自分で見て感じようと思った。吉備にある桃太郎伝説は、崇神天皇が地方平定のため派遣した四道将軍の一人である吉備津彦命(キビツヒコノミコト)が、異国からやってきて悪事をはたらく温羅(ウラ)を退治する話が起源で、総社市の北の岩屋山で鬼城を作り抵抗する温羅、つまり鬼を吉備津彦命・桃太郎が激戦の末退治した話である。大和政権時には吉備国は既に同盟国であったのか、それとも桃太郎伝説は大和が吉備を初めて統制したときの話なのか…。この周辺には桃太郎伝説ゆかりの地は多く、伝説のクライマックスでは吉備津彦命が一度に2本の矢を放ったのが勝利の決め手となるのですが、その際、射抜かれた温羅の左目から流れた血で真っ赤に染まったといわれているのが血吸川(ちすいがわ)。慌てた温羅が雉に姿を変えて山中に隠れると、吉備津彦命は鷹になって追跡。最後は鯉になって血吸川に逃げ込んだ温羅を鵜になった吉備津彦命が捕まえて決着がつくのですが、その決着の地として伝わる場所に鯉喰神社があった。総社駅でレンタサイクルを借り、最終は吉備津彦神社がある備前一宮駅で乗り捨てする片道十数キロのサイクリングだった。快晴とは言え風が強く、備中国分寺までの田園の中を走るロードは向かい風が強く、髪が逆立ち鬼のような顔で必死に漕いでいた様で、すれ違った人が口を開けてこっちを見ていた。それでも田園地帯から国分寺の五重塔が遥かに見えると、まるで7世紀ごろにタイムスリップした気分になり 、大和から長旅で到着した舎人のように嬉しさがこみ上げ疲れも飛んでいく。吉備路周辺は古墳も多くてその規模も大きい。角力取山古墳、作山古墳(ツクリヤマ)や、同じ読みだが日本で4番目に大きい造山古墳などの前方後円墳があり、この大和に匹敵する大きさは、つまり権力も地位も大和と同等ぐらいの豪族がいたことになる。こうもり塚と言う自然の地形を利用して造った前方後円墳がある。仁徳天皇が美人で有名な黒日売(クロヒメ)を宮廷に召したが、皇后の嫉妬をおそれ黒日売は逃げ帰り、天皇は皇后に淡路へ行くと嘘を言って、吉備まで追いかけ思いを遂げた相手の黒日売の墓と古事記は言っている。紙芝居のように夢とロマンが十数キロの吉備路に連なっており、次々と古代妄想ができる。そんな楽しいひと時も終わり、夕暮れ近く自転車を降り現実に帰ってしまうと、明日からのキビジい路が待っている。