ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

諏訪の縄文世界でひとり言

2011年11月10日 | Weblog
諏訪大社は、諏訪湖の南側に上社(かみしゃ)本宮・前宮、北側に下社(しもしゃ)春宮・秋宮があり、4つの宮から成っている。すべての社殿の四隅に御柱が立っており、御柱は、それ以前のミシャクジ信仰の石柱との関連性があるという。そして、平安時代から上社では諏訪氏が、下社では金刺氏が大祝(おおほうり)を務めた。祭神は両社とも「建御名方神」とその妻である「八坂刀売神」(やさかとめのみこと)と書かれている。主祭神は上社が建御名方で下社が八坂刀売ということになっているが、双方同じ神様をお祀りしているというのに、その祭儀を司る者が別々で、戦国時代には2者間で内戦状態にもなっている。
 
 まだ朝日の眩しい中、秋宮に到着した。境内はきれいに掃き清められ、神主さんや巫女さんが朝拝、祝詞をあげていた。樹齢八百年を超える大きな杉から朝日がこぼれ出て境内を照らす。巫女さんが熊手で掃く音がシャリシャリと、寝ぼけた精神を目覚めさせてくれた。朝の神社は本当に気持ちがいい。正面の神楽殿はあいにく工事中で、大きなテントに覆われていた。早々に秋宮を後にして春宮へ向かった。春宮の参道の途中には下馬橋が残っていて、道路の真ん中に突然橋が現われる。神楽殿は秋宮より小ぶりであるが幣拝殿などは同じような造りで、両社で彫刻の技が競われたそうだ。春宮の境外に流れる砥川対岸には「万治の石仏」がある。ノミを入れられ血を流したとの伝説があるどっしりとした石像で、岡本太郎が絶賛した縄文風の石仏で、確かに印象的で一度見ると忘れない気がする。石仏に見送られながら、「木落しの坂」を見に行くことにした。

 上社に向かう途中、紅葉で有名な諏訪市の阿弥陀寺に寄って見た。参道は松や杉が鬱蒼と生い茂り、急な坂道を登ると絶壁に彫られた徳本上人の5メートル大の御名号などがあり、本堂裏手を登る岩野堂まで行くと、眼下に諏訪湖が見え、結構きつい参道の疲れを癒してくれる。

 いよいよ上社の本宮に着いた。秋宮と春宮はよく似た構えだったが、本宮は迫力が全然違う。境内には御柱より太い神木の杉が何本かあり、その「生」のエネルギーは神秘的でかつ威厳を保っている。境内はかなりの参拝者がいるのだが、何故か誰もいないような静寂を感じた。上社と下社は祀る氏族が違うが、これだけの違いがあるのは、それぞれが遠い過去の遺伝子を守っているからなのか。近くにある前宮に着いてから、その思いが一層強くなった。前宮は、高台の景観が良い水の綺麗な素晴らしい自然環境にある。ここでは最大の神事「御頭祭」が行われ、守矢氏が守ってきた縄文の雰囲気が強いところだ。本宮の方に少し戻った所に、茅野市神長官守矢資料館がある。車で走ると見落としそうな間口だが、独特のデザインされた建物で不思議な雰囲気を出している。資料館ロビーには前宮十間廊で行われてきた神事、御頭祭(おんとうさい)の状況が復元されている。鹿の首70頭余りやウサギの串刺しなどが供えられて、現代人の感覚では異様さを感じるが、まさに古代の神事という「祈り」を感じる。資料館の敷地の奥にはミシャクジ社と言う古代信仰の神を祀った神社があり、そこだけ時間が止まっているような空間を作っていた。

 ミシャクジの見守る諏訪を後にして、楽しみにしていたビーナスに会うため茅野に向かった。ビーナスラインに入ってすぐに、信州そばの有名店でおいしい昼食を済ませた。何度か走ったことのある懐かしい道沿いに、尖石(とがりいし)縄文考古館がある。三井の森方面へ向かい尖石遺跡を横切るこの風景が好きだ。前方遥か八ヶ岳を望み、左右に視界が広がる。青い空とダケカンバの白い幹、緑の草原、切り取ってもって帰りたいと思う。さて、期待にワクワクしながら考古館に入った。正面右手の展示室Bに居た。赤茶っぽく輝く「縄文のビーナス」が微笑んでいる!太い足に大きなお尻、妊娠したお腹、腕は横に広げているが無い、頭には帽子のような物を被っています。思ったより大きく、光沢がありとても4-5000年前の物とは思えない。非人間的な体格になっているが、全体的には何故か人間らしい。頭に被った頭巾の文様を見ていると、アイヌの鉢巻(マタンブシ)を思い浮かべるが、そう考えるとこの土偶がアイヌの人に見えてきた。ビーナスの横には「仮面の女神」が立っている。太い足を大きく広げ、両腕も広げて、逆三角形の仮面を被り、宇宙人の様な姿。祈りを捧げて舞っている様な躍動感がある。部屋に入った瞬間から4000年前のの真ん中に集い、祈りを捧げる祭りの妄想が始まっていた。