今日は和歌山市内の花山薬師の湯に宿泊する。高野山を降り、丹生都比売神社に寄り、紀ノ川沿いに市内へ向かうが、その途中に奈良時代末(770年)に開創された名刹を訪ねる。平安時代から多くの人が参詣した粉河寺。西国三十三所観音霊場、第三番札所の観音信仰のお寺である。車道横にある大門を抜けると、参道一面の桜が飛び込んでくる。枝垂れやソメイヨシノの桜を眺めながら歩くと、堂々とした中門につく。その門には「風猛山」の額がかかっていて、門構えといい、額の山号といい本当に勇ましい。中門をくぐると本堂の大きな屋根が桜の木の上に覆いかぶさる。何度も焼失し、豊臣秀吉にも火の海にされすべてを失ったが、こうして見事に甦り、桜に囲まれた春を楽しんでいる。東北、北関東が一日も早く甦ることを願った。
天気が良く日暮れまで時間がありそうなので、明日の予定だった伊太祁曽神社を観てから温泉にチェックインすることにした。のどかに流れる紀ノ川を離れ、ナビが伊太祁曽神社へガイドした道は市内の細い道で、奈良町や藤井寺の様に近代の都市整備がなく、古代の街道がそのまま残っている感じだ。
伊太祁曽神社の祭神である五十猛命(イソタケルノミコト)は父神である素盞鳴尊と共に、高天原より最初韓国(カラクニ)に天下ったと記されています。この時、素盞鳴尊は木種を持っておりましたが、その地には植えずに 大八州国(オホヤシマグニ=日本)に持ってきたそうです。そして、息子である五十猛命に、大八州国にその木種を播き施すように命じました。五十猛命は、妹神である大屋津姫命・都麻津姫命 と共に、日本の国に木種を播き最後に、現在の和歌山県にお鎮まりになったということです。と言う事で、伊太祁曽神社が木の神様を祀る神社として広く知られている。紀の国は木の国である。
祭神の五十猛命は新羅から来たと「日本書紀」に書いてあるらしい、製鉄から鉄製品を作る鍛冶の神格がある。製鉄では森林資源は燃料として燃やされ枯渇する。そこに植林して森を再生する。朝鮮半島で製鉄が盛んに行われ、結果的に森林がなくなり、日本に移動してきた集団!これが五十猛命であり、この地の豪族の紀氏の先祖になるのか?この集団は出雲と筑紫に関係が深い海人族で、2世紀ごろの卑弥呼活躍直前の出来事かも知れない。
古代妄想に浸っている間に、すっかり夕暮れになってしまった。続きは全国屈指の高濃度炭酸温泉に浸かりながら楽しみたい。
天気が良く日暮れまで時間がありそうなので、明日の予定だった伊太祁曽神社を観てから温泉にチェックインすることにした。のどかに流れる紀ノ川を離れ、ナビが伊太祁曽神社へガイドした道は市内の細い道で、奈良町や藤井寺の様に近代の都市整備がなく、古代の街道がそのまま残っている感じだ。
伊太祁曽神社の祭神である五十猛命(イソタケルノミコト)は父神である素盞鳴尊と共に、高天原より最初韓国(カラクニ)に天下ったと記されています。この時、素盞鳴尊は木種を持っておりましたが、その地には植えずに 大八州国(オホヤシマグニ=日本)に持ってきたそうです。そして、息子である五十猛命に、大八州国にその木種を播き施すように命じました。五十猛命は、妹神である大屋津姫命・都麻津姫命 と共に、日本の国に木種を播き最後に、現在の和歌山県にお鎮まりになったということです。と言う事で、伊太祁曽神社が木の神様を祀る神社として広く知られている。紀の国は木の国である。
祭神の五十猛命は新羅から来たと「日本書紀」に書いてあるらしい、製鉄から鉄製品を作る鍛冶の神格がある。製鉄では森林資源は燃料として燃やされ枯渇する。そこに植林して森を再生する。朝鮮半島で製鉄が盛んに行われ、結果的に森林がなくなり、日本に移動してきた集団!これが五十猛命であり、この地の豪族の紀氏の先祖になるのか?この集団は出雲と筑紫に関係が深い海人族で、2世紀ごろの卑弥呼活躍直前の出来事かも知れない。
古代妄想に浸っている間に、すっかり夕暮れになってしまった。続きは全国屈指の高濃度炭酸温泉に浸かりながら楽しみたい。