ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

五色塚古墳に登ってひとり言

2007年09月29日 | Weblog
垂水駅の近くに車を駐車し、歩いて行こうと思った。9月末だというのにまだ日差しは強く、駐車場横の坂道を上がるとすっかり汗ばんでしまう。五色塚古墳まで500Mの看板を見て上がってきたはずだったが、両サイドは住宅街のど真ん中で、どう考えてもこんな所に古墳なんかあるわけないなと心配になりかけたときに、前から学生らしき男の子が近づいてきた。「すみません、この辺に五色塚古墳がありますか?」「この歩道の茶色い色が消えたところで左を見てください…」変な案内だなと思いながら道の先に目をやると、後100M足らずで歩道に塗ってある茶色い帯が無くなっている。「ありがとう!」歩いて行って左を向くと、目に飛び込んだのは大きな石積みされた丘だった。「これか!」っと感動しながら住宅街の端っこにある大きな古墳に暑さも忘れ足早に歩いていた。
 五色塚古墳は明石海峡大橋の近くで淡路に面した海峡を一望できる絶景のスポットにある。古墳は治めていた地域が一望できる所に作られることが多いらしいが、この古墳に眠る豪族は、眼下の明石海峡を治め交通の要所を守っていたのかな?普通は古墳に入ることは許されないし、ほとんど丘のように草木が茂って近くから見ても何も分からないが、この古墳は石を積み上げ、埴輪を並べ、しかも入場無料で開放している。天皇家の古墳で無い事が分かり神戸市が管理している。何と2億5000万を掛け10年半の歳月を費やし、復元させたんだって!嬉しいやら悲しいやら、古墳奮闘や?
 どうして沢山の埴輪を古墳に並べたりするのか不思議だが、日本書紀によると、出雲国の勇士であった野見宿禰(ニミノスクネ)が皇后の葬儀の時、殉死にかえて埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられたとされる。「エッ!と言う事は埴輪の前は人間が埋められていたの…?」エジプトでもインカでも殉死は当たり前だったからなと薄気味悪い思いがしたが、野身宿禰の話は伝説だと分かってほっとしている。
 汗ばんでいた体も古墳に吹く心地よい風に冷やされた、秋は確実に近くまで来ているなと見下ろした海峡に「たこフェリー」のたこが海の上を泳いでいく。