ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

宇陀でひとり言

2012年01月08日 | Weblog
「東(ひむがし)の 野にかげろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ 」
柿本人麻呂がこの歌を詠んだ奈良県宇陀市方面へ車を走らせた。快晴だった空も二上山を越えた辺りから、冬らしく寒そうな曇天になった。
万葉集にみられる古代「阿騎野」は宇陀市の中之庄遺跡周辺らしい、ここへ鹿狩りのために軽皇子と共に柿本人麻呂が同行し、詠んだ歌である。
軽皇子は7歳のときに父親の草壁皇子が亡くなり、祖母の持統天皇が必死になって軽皇子に譲位し、15歳で即位して文武天皇となった。しかし、親子とも弱かったのか25歳で崩御。持統天皇は「壬申の乱」で勝利し即位した天武天皇の皇后で、自分の愛息である草壁皇子が継承できるように、ライバルで能力の高い大津皇子を謀反の罪で自殺に追いやった。しかし、その草壁皇子も皇位につかずに若くして亡くなった。持統天皇はどうしても、その子である軽皇子に譲位したかったのである。柿本人麻呂は宮廷歌人として持統天皇時代に花開く、二人が愛人関係っだたように揶揄する説もあるほど寵愛されていた。

 宇陀市の松山地区には歴史的町並みの街道がある。伊勢街道の宿場町で栄えており、「薬の館」など旧藤沢製薬の創始者の出た、細川家の薬問屋などが公開されている。町並みの中で、2階を見ると家の左右端の隣家との境界に壁がある、これが「うだつ」と言うもので、「うだつが上がる」の語源である。隣家との防火壁で、富の象徴らしい。
 宇陀市は結構見所が多い、帰りに「宇太水分神社」(本殿は国宝)と「八咫烏神社」に寄り、近くの「長谷寺」で最終だ。
すっかり時間も経ち、ふり返れば、月かたぶ?…出ていない。うだつも…上がらない男のひとり言。