ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

四天王寺でひとり言

2008年01月08日 | Weblog

JR天王寺駅を降りて天王寺公園を左にして北へ15分ほど歩くと、石の鳥居のある西重門にたどり着く。昔より天王寺駅界隈は小奇麗になっているが独特の雰囲気が残る。
四天王寺は今から約1400年以前、推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立された日本仏法最初の官寺である。聖徳太子の誕生は574年であるから19歳の時の建立となる。そもそもはあの有名な物部氏と蘇我氏の排仏崇仏の争議の際に、蘇我馬子と共に物部守屋の討伐に邸宅へ向かうが反撃に合い三度の退去を余儀なくされる。そのときに厩戸皇子は四天王像を造り戦勝を祈願して軍勢を立て直し、ついに守屋は射殺された。戦勝の後、厩戸皇子は摂津に四天王寺を馬子は飛鳥に法興寺を建立した。現在の堂塔伽藍は戦火天災で何度も建て替えられているが寺域と一直線の伽藍配置は飛鳥時代と同じになっている。なかでも五重宝塔は鉄筋でできており、螺旋階段を上がると舎利塔が祭られている。五重塔に上がるのは初めてだし、他の塔もこんな風に舎利塔が奉安されているのかと面白かった。全然次元が違うが、面白かったのは寺域内に2件の露天商が出ていたが、遠目で見ると肌色の塊が陳列されていて不思議に思い近づくと、何と!肌色の塊は、ババシャツが何枚も重ねて並べてあって、見慣れない光景に思わず目をそらしてしまった。また、その横には骨董品らしき品物が輪投げの様に並べてあり、店主と客とのやり取りを聞いていると、ちょうど日本語で翡翠の名前がなかなか言えない場面に遭遇した。店主は見た目は日本人だがどうやら外人らしい、本当に日本の骨董の価値が分かるのかと興ざめて並んでいる商品を見たら、何だか急にガラクタに見えてきた。もっぱら聖徳太子の時代は朝鮮半島との交流が盛んになり、難波津から降りた韓人への威圧が必要であり、この四天王寺を建立したとも言われている。私はこのババシャツの重なった塔に偉容を感じ、骨董を売る現韓人に当時から変わりない脈々とした逞しさを感じた。http://kodaimoso.exblog.jp/ このアドレスで写真が見れます
(境内北にある亀井堂で水供養を見て、ふとひらめいた!飛鳥にある日本最古の亀形石造物は同じ水供養の祭事に使われたのではないだろうかと思った。亀形の石に水を貯め、木簡(卒塔婆様の木片)を浸し、杓で掬い上げる儀式)