ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

那智大社でひとり言

2010年01月30日 | Weblog
日向から瀬戸内海を東進してきた神武天皇は、河内国(東大阪市)に着いた。しかし、那賀須泥毘古(ナガスネビコ)の妨害に合い上陸できず、熊野灘を回り那智の海岸に上陸した。そのとき那智の山に光が輝くのを見て、この大滝を探り当て、神として祀ったという。仁徳天皇の頃に近くの台地に熊野那智大社を造り、いざなみの尊を主神として祀った。また、境内には神武天皇が大和へ山越えするとき、道案内を務めたという八咫烏(ヤタガラス)が任を終えて帰り、石の中に姿を消したという「烏石」がある。ここでは「オカラスさん」と呼ばれる烏文字で書かれた「熊野午王神符」を500円で買った。心の中では日本代表が今年のワールドカップベスト4を祈願して。さて、神武天皇が熊野上陸したときに、大きな熊に化けた荒ぶる神が現われ毒気を吐き、神武軍全員は正気を失った。そこへ熊野の高倉下(タカクラジ)という者がきて霊剣を献上し、その力で全員が正気に戻った。この剣は天理の石上神宮(イソノカミ)に祀られた。石上神宮を祀っているのは、大和政権で軍事氏族として活躍した物部氏だ。その物部氏はニギハヤヒノミコを祖神とし、ニギハヤヒノミコは神武東征の動機になった人物で高倉下はニギハヤヒノミコの子であり、河内で上陸を阻んだナガスネビコの義弟と話はややこしく、また何か神話と現実の繋がりが強く見えてくる。

ソウルでひとり言

2010年01月22日 | Weblog
2009年末はいろいろあった…。
そんな真っ只中、かねてより決めてあったソウルへの旅に出た。心に穴を空けたまま…。
出発の直前には、突発性難聴になり、体が半分水に浸かったようなズブズブの状態で関空を飛び立った。昨年末は会社を辞め、まるで世間から取り残された片隅の公衆電話のような心境で、福岡から海路対馬まで行った。古代海人族たちが行き来した玄界灘を渡ってみたくて。今回は、8回以上訪韓しているKZさんと一緒で、2泊3日のツアーの2日目に百済へのOPを組んでくれた。KZさん頼りのおまかせ旅行となり、ズブズブの私にとってはありがたい、癒せる旅になった。
 ソウルからバスで高速を2時間半ほど走って扶余(プヨ)に着いた。百済最後の都のあった所で、日本の飛鳥は蘇我入鹿がこのプヨを真似て都造りを行ったようだ。飛鳥の甘樫丘はプソ山で、流れる白馬江(ペマガン)は飛鳥川と言われている。蘇我家は甘樫丘に武器庫を建て、唐の強大な軍事力から都を守っていたプヨを真似、飛鳥で天皇を守っていた。実際見た白馬江は穏やかな流れで、その河口は白村江につながっている。唐の大群はこの川を遡ってきたのだろうと思った。
 白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)は、663年(天智2)8月に朝鮮半島の白村江(現在の錦江近郊)で行われた倭国(日本)と百済の遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との戦い。唐・新羅連合軍の勝利に終わった。大陸に超大国唐が出現し東アジアの勢力図が大きく塗り変わる中で起きた戦役であり、倭国(日本)も領土こそ取られなかったものの、国防体制・政治体制の変革が起きるなど大きな影響を及ぼした。