「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなむ 隠さふべしや」(巻一・一八 額田王)
三輪山を隠してしまうのですか。せめて雲にだけでも心があってほしい。雲よ、どうかその山を隠さないで。
謎の多い、美人?の額田王。大海人皇子(後の天武天皇)と結婚して十市皇女を生み、その後天智天皇にも寵愛され、天武、天智との三角関係が言われている。もちろん、この二人の天皇はその後壬申の乱で敵味方になる。天智天皇が崩御すると、その息子の大友皇子に対し、大海人皇子が反旗を翻して反乱側が勝利し、天武天皇となる。
天智天皇は、白村江の戦いでの大敗により、唐からの防御のために飛鳥から近江宮へ遷都した。飛鳥を去る時に額田王が冒頭の歌を詠んだのである。
三輪山に祀られているのは大物主神(おおものぬしのかみ)で、出雲の大国主神と異体同神の神である。どうして出雲の神が倭の主神になっているのか不思議だが、三輪山は古代から神奈備山として崇められた。きれいな円錐形で、今でも御神体として大神神社が祀っている。
大神神社の境内から、摂社である狭井神社へ行き、入山料300円を支払い襷を借りていざ登拝。写真や飲食・煙草などの禁止事項を守って、標高467mで往復4km程の登山になる。
登り始めると最初から階段が続いて、足が慣れるまでは少しきつい。参道はきれいに整備され、ほとんど階段がつけられており、もっと鬱蒼とした原生林の中を想像していたのだが、まるでハイキングコースの様だった。頂上付近に奥津磐座があるが、それほど大きな岩ではない…。また、景色も全く見えないので長居する人もいない。汗を拭ってからすぐに下山した。登る人に声をかけながら一気に下って、2時間弱で狭井神社に戻った。
いつもの、そうめん所『森正』で今年初めての冷そうめんと、むかごご飯を食べた。一気に下りてきたので汗が止まらないが、『森正』の庭に吹く風がすずしい。
帰りに、飛鳥の甘樫の丘に登ってみることにした。標高148mで、すぐに展望所まで登ることができる。高さは低いがその眺望はすばらしい。眼下には、入鹿の首塚が肉眼で見え、飛鳥寺から板蓋宮、遠くに石舞台と飛鳥の里が一望できる。また、大和三山と藤原京も見渡すことができる。
蘇我蝦夷と入鹿親子がこの丘に邸宅を建て、「上の宮門(みかど)」と称した事や、天子だけが行なうことが出来る舞である「八(やつ)らの舞い」を蝦夷が行うなど、おごりたかぶりが暗殺を招いたとされる。甘樫の丘発掘調査では、堀や武器庫跡と思われる物が発掘されているが、館はまだ見つかっていない。果たして、蘇我家の専横だったのか、NHKの解説のように、むしろ飛鳥の宮を守るための要塞だったのか?登ってみたが分からない…(あたりまえ)
黒岩重吾は、蘇我入鹿と当時の皇極天皇が通じていたとの説で「天の川の太陽」を書いており、また他に、天智と天武は兄弟ではなく、天武天皇は入鹿の息子だった…と言う話もある。ここ甘樫の丘展望台に吹く風も心地よく、古代妄想に耽ることができる。やっぱり、天皇が蘇我家をアマ(ヤ)カシたのかな?