ケセラ・セラ と ドリス・デイ
たとえ辛いことがあっても生きる
( 我が家の庭のサツキ 5/30 )
When I was just a little girl
I asked my mother
What will I be
Will I be pretty
Will I be rich
Here's what she said to me
私がまだ女の子だったとき
ママに こう尋ねたんだ
私は何になるのかと
可愛い子になれるかと
お金持ちになれるかと
すると ママはこう言ったんだ
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
ケセラ・セラ
何であろうと
未来は見えなくても
ケセラ・セラ
なるようになるものよ
(なるようにしかならないものよ)
- 以下略 -
〈 *一応 蛙 🐸補訳詞 〉
「ケセラ・セラ」は
イタリア語の「 Che sara,Sara 」を
スペイン語の「 Que sera,sera 」に
翻訳したのだそうだ(意味は同じ)
※ a は a に ' が正しい表記のようだ
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ドリス・デイ(歌手、映画女優)
アメリカ・シンシナティ生まれ
ドリスが10歳の時 両親が離婚
歌や踊りが好きで
バレリーナを目指していたかなあが
15歳の時に列車事故に遭い
その夢は諦めたが
歌の練習だけは続けた
その甲斐あって 18歳の時
バンドの専属歌手となる
そして メンバーのアルと結婚し
息子を産むが 20歳の時に離婚
2年後
「センチメンタル・ジャーニー」が
大ヒット!
1950年には
「二人でお茶を」がヒットし
1953年
「カラミティ・ジェーン」が
また大ヒットして
1956年
ヒチコック監督の「知りすぎた男」の
主題歌だったこの『ケセラ・セラ』が
大ヒットしアカデミー歌曲賞を受ける
3度目の夫の死後 映画界を引退し
テレビに活動の舞台を移し
『ドリス・デイ・ショー』を中心に活躍
1981年には 4度目の夫と離婚
その後は動物愛護の活動を行うも
2019年5月13日
カリフォルニアの自宅で
肺炎にて逝去 97歳
私の母くらいの世代であった
( Wikipedia ドリスデイの項を参考)
言わば波乱万丈の人生だったと思うが
何事にもめげずに
ドリスデイは いろんなことに
果敢に挑戦しながら
それぞれの時期を 納得しながら
逞しく生きていったのではないか
コロナ禍の最中に
ケ・セラ・セラなどと言ったら
袋叩きに遭いそうだが
しかし 言うだけ言って
するだけしたら その先は
自分の思うように話が進むとは
限らないから
「天命を待つ」位の気持ちで
いる他はないと思う
ps 2020.5.29 草稿
今日 ラジオから
植木等歌の「だまって俺について来い」が
流れてきた
二つの歌の内容を見聞きして
この時期に何と能天気な⁈発想だ
と驚き
視聴者の反応を心配もしたが
まぁ 歌は歌として認め
ポジティブに考えれば
これくらい太っ腹の方が
ストレスも少なく生き抜くことが
できるかも⁇
ケセラセラの訳は
下記の訳を参考にしました
Que Sera Sera : 洋楽歌詞和訳・ときどき邦楽英訳(意訳)
Que Sera Sera - Doris Day (1956)
The theme song of "The Man Who Knew Too Much" directed by Hitchcock.
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